名盤(交響曲第7〜9番)


交響曲第7番ハ長調 作品60

1941年6月22日。レニングラード音楽院の小ホールにてピアノ科の試験に委員長として立ち会っていたショスタコーヴィチは、独ソ戦(大祖国戦争)勃発の知らせを聞いた。レニングラードはドイツ軍に包囲され、以後44年1月まで900日に及ぶ封鎖が続いた。当時のショスタコーヴィチは、交響曲第6番が思ったような成功を収めず、シェバリーンに宛てた手紙の中で「作曲家たちは私の作品に憤慨している。どうすべきか。どうやら、私は役立たずのようです。こうした状況にいちいち落胆すまいと努めてはいるのですが、なんとしても塞ぎの虫がおさまりません」(驚くべきショスタコーヴィチ, p. 15)と語る一方で、ピアノ五重奏曲作品57が第1回スターリン賞第一席を受賞するなど、相変わらず安定しない評価の中で活発な創作活動を続けていた。

消防訓練中のショスタコーヴィチ戦争の勃発を受け、ショスタコーヴィチは人民義勇軍への編入を強く希望したらしい。この話を聞いた映画監督レオニード・トラウベルグは義勇軍本部に直接赴き、天才の生命を守らなければならないと説得した。結果、ショスタコーヴィチはレニングラード近郊にある防衛施設の建設現場に送られ、音楽院の屋上で寝ずの番を勤める民間消防団員に加えられ、義勇軍劇場の音楽部門の指揮を任されることとなった。こうした愛国的な衝動から生れたのが、本作交響曲第7番である。

同年9月17日、ショスタコーヴィチはレニングラード・ラジオを通して次のように語っている:

私は一時間前、新しい交響曲の大作の第二楽章のスコアを書き上げました。もしもこの作品を首尾よく完成させることができ、第三、第四楽章を終えることができるなら、この作品を『第七交響曲』と呼ぶことができるでしょう。そんなわけで私はすでに二つの楽章を書き上げています。私はこの作品に一九四一年七月からとりかかっています。

戦時下にもかかわらず、そしてレニングラードに迫りつつある危険などものともせず、私はかなり短い期間でこの交響曲の二つの楽章を書き上げました。

なんのために私はこのことを皆さんにお伝えするのか?

私がこのことを伝えるのは、いま、私のこの話を聴いて下さるレニングラード市民の皆さんに、私たちの町の生活が正常に保たれていることを知っていただくためです。いま、私たちはみな戦時下の勤労奉仕を行なっています。文化に携わる労働者も、レニングラードの他のすべての市民、果てしないわが祖国の市民と同じくらい高潔に自己犠牲的におのれの義務を遂行しています。

私は根っからのレニングラードっ子であり、愛する町を一度として捨てたことはありません。私はいま、刻々と迫りつつある緊張の一瞬をぴりぴりと感じています。私の人生と仕事はレニングラードと切っても切り離せないものです。

レニングラードは私の故郷です。私が生まれた町であり、私の家です。そして何十万という同じレニングラード市民が私と同じ感情を抱いています。生まれた町、愛する広い通り、比類ない美しさをもった広場や建物に対する限りない愛情の重いです。私たちの町を歩くとき、深い確信に似た感情が生まれてきます。レニングラードはネヴァ川の両岸で威風堂々たる美しさをいつまでも誇り、レニングラードは永遠に私の祖国の力強い砦となり、文化の遺産をいつまでも殖やしていくだろうということです。

ソビエトの音楽家たち、私の親愛な、無数の戦友たち、私の友人たち!

わが国の芸術がいまや重大な危機に頻しているということを肝に銘じておいてください。私たちの音楽を守りましょう、おのれを捨て、潔く働こうではありませんか。

私たちにとってこれほど大切な音楽、その創造のためにもっている最上のものを捧げている音楽もまた、常にそうであったように、たゆむことなく成長し、向上していかねばならないのです。私たちのペン先からあふれる一つ一つの楽想、それは力強い文化の支えに対する普段の貢献であるということを覚えておかねばなりません。私たちの芸術が良くなれば良くなるほど、すばらしくなればなるほど、それは何者にも絶対に破壊することはできなくなるのだ、という確信はますます強くなります。

さようなら、同志諸君!

私はまもなく第七交響曲を完成させるでしょう。私はいま急いで軽やかに仕事をしています。私の考えは明確であり、抑えがたい創作欲によって、私は作品の完成へ向けて前進しています。そしてその時、私はもう一度この新しい作品とともに電波に乗せてもらうつもりです。私の仕事に対する友情ある厳しい評価を不安とともに待ち受けるつもりです。

すべてのレニングラード市民、文化人、芸術家の名において、私はみなさんに確約します。私たちは不屈であり、私たちは常に立哨中なのです。(驚くべきショスタコーヴィチ, pp. 166-168)

この演説の一部は、アシケナージ盤CD(London)にて聴くことができる。全て自らの手で書かれたこの演説は、彼の熱烈な愛国精神が決して作り物ではないことの証しでもある。作曲は極めて早く進められ、第1楽章は9月3日、第2楽章は17日、第3楽章は29日、そして第4楽章が完成したのは12月27日のことだった。第3楽章と第4楽章との間に日にちが空いているのは、10月15日に一家がウラルへの疎開を命じられ、その途中にあるヴォルガ中流域の町クーイブィシェフに移動するということがあったためである。初演は1942年3月5日、サムイール・アブラーモヴィチ・サモスード指揮ボリショイ劇場管弦楽団により、疎開先のクーイブィシェフ文化宮殿講堂にて行なわれた。ソヴィエトの全ラジオ放送局によって、最も重要な政府報道と同じように中継されたという。続く3月29日、今度はモスクワ労働組合会館円柱の間にて、同じくサモスード指揮のボリショイ劇場管弦楽団とモスクワ放送交響楽団との合同オーケストラによるモスクワ初演が行なわれた。このモスクワ初演のプログラムの中で、ショスタコーヴィチはこの作品について、次のように述べている:

第七交響曲は、一九四一年の戦争をあつかった標題楽である。それは四楽章から成っている。第一楽章では、わが国のすばらしい平和な生活に恐しい力―戦争が侵入してきたことが語られる。わたしは、戦闘(飛行機の爆音、戦車のひびき、大砲の一斉射撃)を自然主義的に表現しようとはせず、いわゆる戦争音楽ともしなかった。苛酷な出来事の内容をつたえたいと思っただけである。

第一楽章の展開部では、自分たち自身、自分たちの未来を信じている人びとの平和な生活が述べられている。これは、戦争のおこるまでは数千のレニングラードの予備兵、全都、全国の人びとがどれほど素朴な、平和な生活をおくっていたかを述べたものである。

中間部全体のテーマは戦争である。

第一楽章の中央部は、葬送行進曲あるいは、より正確には、戦争の犠牲者へのレクィエムである。ソヴェトの人びとは自分たちの英雄たちを追悼する。レクイエムのあとまたいっそう悲劇的なエピソードがつづく。この音楽をどう特徴づけたらいいか、わたしは知らない。おそらく、そのなかには母の涙があり、あるいは悲しみがあまりにも大きくて涙さえ出ないようなときの感情があるだろう。近親者を失ったものの悲しみをあらわす大きなソロ・ファゴットのあと、第一楽章の明るい、抒情的な結びがくる。いよいよ最後のところになって、ふたたび遠くから、戦争自体やこれから先の戦闘を思いださせるような戦争のテーマがやってくる。

第二楽章は、きわめて抒情的なスケルツォである。ここには、なんと楽しい出来事、なんと嬉しい話があったかの思い出がある。これらすべてが悲哀と夢想のもやにおおわれる。

第三楽章は、激情的なアダジオである。生活の歓喜、自然にたいする讃嘆などが、第三楽章の思想である。第三楽章はひきつづき第四楽章に移って行く。第一楽章とならんで、第四楽章はこの作品の基本的な部分をなしている。第一楽章は戦いであり、第四楽章は来たるべき勝利である。この楽章はみじかい序曲ではじまり、そのあとにきわめてにぎやかな、興奮した第一のテーマの叙述がくる。そのあと、厳粛な性格の第二のテーマがはじまる。この第二のテーマは全曲のクライマックスである。このクライマックスは、静かに確信をもって発展し、大きな厳粛なひびきの終りへとすすむ。

ざっとこういったところが、交響曲の聴衆とわかちたいと思った思想である。(1942年3月29日の音楽会プログラム:ショスタコーヴィチ自伝, pp. 119-120)

さらに後年には、より端的に各楽章の内容に言及している:

いっそう具体的で、ほとんどテーマ音楽ともいうべきなのは、第七交響曲の標題だった。初めわたしは、各楽章にふさわしい題名をつけることすら考えた(第一楽章は「戦争」、第二楽章は「回想」、第三楽章は「広大な祖国」、第四楽章は「勝利」というように)。しかしこういった副題がなくても、多くの聞き手にはわたしの標題、なかでも第一楽章はかなり正確につかめるはずだった。(『ソヴェト音楽』1951年第5号ショスタコーヴィチ自伝, p. 190)

初演は大成功を収めた。聴衆は熱狂し、単なる新作の発表ではなく、もはや政治的事件ですらあった。7月7日には、ノヴォシビールスクにて疎開中のムラヴィーンスキイ指揮レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団が演奏し、続く8月9日にはレニングラードでの歴史的な初演が行なわれた。

…それには総譜が特別機でとどけられた。レニングラード市にただ一つ踏みとどまっていた交響楽団―ラジオ委員会管弦楽団の欠員補充のためには、司令部は専門音楽家を前線から呼びもどした。演奏会は八月九日にひらかれたが、その日はヒットラー軍が市に侵入しようとした当日だった。苦しさと飢えにもかかわらず、フィルハーモニーのホールは聴衆でうずまった。もはや慣れっこになっていた砲撃が鳴りを静めたのには、だれもがいぶかしがった。のちになって、レニングラード戦線のゴーヴォロフ司令官の命令によって、敵のトーチカが沈黙させられたことがわかった。(ショスタコーヴィチ自伝, p. 131)

他の連合国もこの作品に大きな関心を寄せ、特にアメリカ初演の権利を巡ってはクーセヴィツキイ、ロジーンスキイ、ストコーフスキイ、オーマンディらの著名な指揮者達が競いあったという。マイクロ・フィルムでスコアがアメリカに送られ、7月19日、トスカニーニ指揮のNBC交響楽団が国外初演を果す。この演奏はラジオ局のスタジオで行なわれ、ラジオを通じてアメリカ全土に放送された(この時の録音は、現在CDにて聴くことができる)。凄まじいまでの反響の中で、著名なものは『ワシントン・ポスト』紙に発表されたサンドバーグの詩である:

先週日曜日、あなたの交響曲がはじめて全米にひびきわたった。数百万人の人びとが、心臓の血で書かれたあなたの音楽物語に耳をかたむけた。かつてどんな国にも侵入しなかったような最も恐ろしい軍事機構にたいして赤軍はたたかっている……。全世界は息をころして、この戦闘のなりゆきをみまもっている。そしてわれわれは、あなた、ドミートリー・ショスタコーヴィチの声を聞き、あなたが彼の地にいて、その戦いを語る音楽を生みだしたことを知っている……。あなたの音楽は、世界の人びとにむかって、人類の精神と自由の宝庫に資するために戦い苦しみつつある偉大な、誇りたかい、不屈の人びとについて語っている。(ショスタコーヴィチ自伝, p. 132)

ちなみに、当時アメリカに亡命していたバルトークもこの放送を聴き、第一楽章の「戦争の主題」を後に自作の「管弦楽のための協奏曲」第4楽章の中で嘲笑を込めてパロディックに引用している。

こうした栄光に包まれた作品に影を落したのが、有名な『ショスタコーヴィチの証言』の中にある、次の記述である:

第七番と第八番の交響曲については、まったくばかげたことをわたしは耳にしている。それらの愚かな意見がどれほど長いあいだ生きつづけていることか、あきれるばかりだ。ときどき、人間はこんなにも考えることに怠惰なのかと驚かされることがある。この二つの交響曲の初演の直後に、これらの作品について書かれたすべての意見が、そののち考える時間もあったはずなのに、なんの変更もなしに今日までくり返されている。それでもやはり、戦争はずっと以前に、ほぼ三十年前に終わっていたのだ。

三十年前なら、この二つが戦争交響曲と言われても仕方がなかった。しかし、いやしくも交響曲と呼ばれる価値のあるものなら、指令によって書かれることはめったにないのである。……

第七交響曲は戦争のはじまる前に構想されていたので、したがって、ヒトラーの攻撃にたいする反応として見るのはまったく不可能である。「侵略の主題」は実際の侵略とはまったく関係がない。この主題を作曲したとき、わたしは人間性にたいする別の敵のことを考えていた。

当然、ファシズムはわたしに嫌悪を催させるが、ドイツ・ファシズムのみならず、いかなる形態のファシズムも不愉快である。今日、人々は戦前の時期をのどかな時代として思い出すのを好み、ヒトラーがわが国に攻めてくるまでは、すべてがよかったと語っている。ヒトラーが犯罪者であることははっきりしているが、しかし、スターリンだって犯罪者なのだ。

ヒトラーによって殺された人々にたいして、わたしは果てしない心の痛みを覚えるが、それでも、スターリンの命令で非業の死をとげた人々にたいしては、それにもまして心の痛みを覚えずにはいられない。拷問にかけられたり、銃殺されたり、餓死したすべての人々を思うと、わたしは胸がかきむしられる。ヒトラーとの戦争がはじまる前に、わが国にはそのような人がすでに何百万といたのである。

戦争は多くの新しい悲しみと多くの新しい破壊をもたらしたが、それでも、戦前の恐怖にみちた歳月をわたしは忘れることができない。このようなことが、第四番にはじまり、第七番と第八番を含むわたしのすべての交響曲の主題であった。

結局、第七番が《レニングラード交響曲》と呼ばれるのにわたしは反対しないが、それは包囲下のレニングラードではなくて、スターリンが破壊し、ヒトラーがとどめの一撃を加えたレニングラードのことを主題にしていたのである。

わたしの交響曲の大多数は墓碑である。わが国では、あまりにも多くの人々がいずことも知れぬ場所で死に、誰ひとり、その縁者ですら、彼らがどこに埋められたかを知らない。わたしの多くの友人の場合もそうである。メイエルホリドやトゥハチェフスキイの墓碑をどこに建てればよいのか。彼らの墓碑を建てられるのは音楽だけである。犠牲者の一人一人のために作品を書きたいと思うのだが、それは不可能なので、それゆえ、わたしは自分の音楽を彼ら全員に捧げるのである。

わたしは絶えずこれらの人々のことを思い出し、ほとんどすべての大きな作品のなかで、彼らのことをほかの人々に思い出させようと試みている。戦争の歳月はこのような仕事に好ましい条件を与えていたが、それというのも、戦時中は、それ以前にくらべて、当局も音楽にたいしてあまり言いがかりをつけなくなり、悲観的な音楽だといって憤慨することも少なくなったからだ。もっとあとになると、人々が拷問にかけられたり、殺されたりしたのは戦時中だけであったかのように、すべての不幸は戦争のせいにされた。かくして、第七番と第八番が「戦争交響曲」となったのである。(ショスタコーヴィチの証言, 中公文庫, pp. 274-276)

これは実に辛辣な、そして深刻な文章である。確かにこの本が出版される以前から、「戦争の主題」がレハールの喜歌劇「メリー・ウィドウ」(ヒトラーが非常に愛好していた作品と言われている)から「ダニロの歌」を引用したものであることが指摘され、その部分の歌詞が「パリの酒場『マキシム』に行こう」(当時幼かった長男の名前がマクシームである)、そしてそのリフレインの歌詞が「親愛なる国家を忘れさせてくれる」であることから、ショスタコーヴィチの他の作品と同様に“裏の意味”があるのではないかとの憶測はあった。

しかし、どうなのだろう?極限状態に置かれたレニングラードで、ヒトラーではなくスターリンのことを考えてあのような曲を作ったというのは、にわかには信じがたい。ショスタコーヴィチの伝記映画や、その他のソ連のドキュメンタリー等を見ると、ロシア人のレニングラード攻防戦に対する思い入れは、我々の想像を絶するものがある。そんな状況下で、ショスタコーヴィチだけが醒めた目でスターリンを描こうとするものだろうか?人民義勇軍への熱烈な志願というのは偽りの行為だったのか?あのラジオ演説は、虚偽の心を並べただけのものだったのか?『証言』の真贋問題には深入りしないが、たとえこの記述がショスタコーヴィチ本人によるものだとしても、後年、当時を回想したショスタコーヴィチが皮肉な調子で過去を語っているのであり、作曲当時の心情はやはり純粋な愛国心に満ちていたのだろうと筆者は考える。この終楽章のコーダに、交響曲第5番作品47や交響曲第12番作品112のような二面性を見出そうとするのは、あまりに強引ではなかろうか?筆者は、バンダの加わった壮麗な響きに、素直に酔いしれ、昂揚する。

したがって、作品の悲劇性を無理矢理強調するような演奏は筆者の好みではない。熱く共感に満ちた演奏でこそ、この作品の素晴らしさが分かる。まず筆頭に挙げたいのは、バーンスタイン/シカゴSO(DG)盤。バーンスタイン晩年の芸風と曲とが抜群の相性を見せた、とてつもなく巨大な名演。時として自らの個性ばかりが前面に出てしまうことの多いバーンスタインだが、ここではそれが全て曲の本質と共鳴している。全ての音に熱い血が通い、どの一瞬も気を抜くことができない。かなり遅いテンポを取っているものの、飽きるということがない。シカゴ響の技術も抜群で、スコアに書かれていることが完璧に音になっている。同じくバーンスタイン/ニューヨークPO(Sony)の旧盤も、若々しい覇気に満ちていながらも、コクのある和声でじっくりと歌い込んだ情熱的な佳演。曲に対する素朴な共感を呼び起こすような演奏である。引き締まった低弦や金管の響きが格好良く、聴きやすいことはこの上ない。ただし、第1楽章展開部の第3変奏(練習番号25〜29)がカットされている。理由は不明。

バーンスタイン盤と優劣を付け難いのがスヴェトラーノフ/ソヴィエト国立SO(Melodiya, LP)の旧盤。これはスヴェトラーノフが、ソヴィエト国立響の常任指揮者に就任して間もない頃の録音。曲と演奏者の相性が非常に良く、ツボにハマった表現に納得させられる。盛り上がった部分で臆面もなく歌い上げるだけではなく、弱奏部での緊張感も模範的だ。オーケストラに荒っぽい部分が散見されるものの、共感に満ちた歌が全編に聴かれて大変魅力的。中でも第3楽章のクライマックスは素晴らしい。「レニングラード交響曲はかくあるべし」とでもいえるような演奏。一方スヴェトラーノフ/スウェーデン放送SO(Vanguard)のライヴ録音は、前半2つの楽章は今一つだが、後半は集中力に満ちた素晴らしい演奏。手兵のロシア国立響でないにもかかわらず、いつもどおりの華麗なロシアン・サウンドを聴かせるところがさすが。全体に重厚なテンポをとりつつも、引き締まったリズムで弛緩するところがない。壮大かつ強烈な強奏も実に効果的。作品に込められたメッセージを提示するというよりは、ひたすら壮麗な響きを積み重ねていくところが、いかにもスヴェトラーノフらしい。終楽章コーダは圧巻。最終和音の引き延ばしに興奮しない者がいるのだろうか!

バルシャーイ/ユンゲ・ドイチュPO & モスクワPO団員(BIS)の独ソ戦開戦50周年記念演奏会のライヴ録音も傑出している。自然な音楽の流れと、共感に満ちた興奮とがバランスよく盛り込まれた名演。ライヴならではの瑕もない訳ではないが、ほとんど気にならない。二つの団体の複合オーケストラであるにもかかわらず、アンサンブルのみならず音色までもが素晴らしく溶け合っている。曲のすみずみまで熱い情感が漲っているため、勢いで押すところから抒情的な部分に至るまで、一切弛緩することなく聴かせてしまう説得力がある。コンドラーシン/モスクワPO(Melodiya)盤も忘れるわけにはいかない。どちらかと言えばスマートな解釈だが、典型的なロシアン・サウンドが重厚な魅力を加えている。何より素直な共感が、聴き手の胸を熱くする。変ったことをすることなく、この作品の魅力を適正に伝えるという点では特に傑出した演奏。おおらかな歌心も素晴らしく、バランスのとれた名演。

こうした、聴き手の大部分が予想し、また求めている路線を超えて、この作品の持つ多層的な内容を全て表現し尽した名演がケーゲル/ライプツィヒ放送SO(Weitblick)盤。揺るぎのないテンポの中で、ありとあらゆる感情が複雑な表情を持って音楽に結晶化されている。この作品の割り切れなさと有無を言わせぬ高揚感とが、これほどまで見事に両立している演奏は皆無。特に第3楽章以降の深く説得力のある音楽は他の追随を許さない。オーケストラの音色はいかにもドイツ的で、特に金管楽器の硬質な響きは好みが分かれるだろうが、こうした解釈にはむしろふさわしい。クライマックスでの暴力的なまでの響きも感覚的な次元を超えた刺激に満ちている。オーケストラはあまり達者ではなく、精緻なアンサンブルを要求する向きには不満もあろうが、少なくとも筆者にとっては些事である。

この他にも聴き応えのある演奏が目白押し。アンチェル/チェコPO(Supraphon)盤は、非常に純度の高い佳演。細部まで緻密に磨きあげながらも、自然な音楽の流れが犠牲になっていない。純音楽的なアプローチといえるが、それでいて曲に対する共感にも不足していないところに好感が持てる。録音は古いが、聴きづらくはない。この曲に抵抗のある人には、お薦めの演奏である。Pragaレーベルから出ているライヴ盤は、ほぼ同じような演奏。ひょっとしたら、同一音源かもしれない。ベリルンド/ボーンマスSO(EMI)盤も、いわゆる純音楽的な秀演。奇を衒うことなく、実に素直に音楽が流れていく。力づくの部分は皆無だが、共感に満ちた素朴な高揚感が素晴らしい。この曲が持つ押し付けがましい嫌味を感じさせずに、自然に引き込んでしまう魅力がある。オーケストラ、特に弦楽器に弱さが感じられるのが惜しいが、この曲に抵抗を持っている聴き手には強く薦めたい。ハイティンク/ロンドンPO(London)盤も丁寧にスコアが音化された演奏で好感が持てる。“純音楽的”という形容詞が非常にしっくりとくる。力任せに絶叫したり、必要以上に深刻ぶったりすることがないので、極めて素直に音楽の響きと構成を楽しむことができるだろう。ただ、音楽に身を任せているうちに忘我の境地に達するような、居ても立ってもいられなくなるような高揚感とは無縁である。一方、ノイマン/チェコPO(Supraphon)盤はどこまでもしなやかな美演。特に管楽器の音色には惚れ惚れする。オーケストラはしっかりと鳴っているのだが、無理な強奏をさせることはないため、良い意味で肩の力の抜けた仕上がりになっている。この曲に嫌味を感じる聴き手には薦められる。N. ヤルヴィ/スコティッシュ・ナショナルO(Chandos)盤もなかなかの出来。このコンビによるショスタコーヴィチ演奏らしく、若々しい覇気に満ちた、引き締まった演奏が繰り広げられている。特に第1楽章展開部の推進力は特筆すべき出来。テンポの弛まない終楽章もなかなか素晴らしい。嫌味たっぷりなサウンドを、これほどまでに爽快に聴かせてしまう演奏は他にない。ただ、中間楽章があまりにそっけなく、心に響いてこないのが残念。

本家の重厚さを味わいたいのであれば、ロジデーストヴェンスキイ/ソヴィエト国立文化省SO(Melodiya)盤。非常に巧みな演奏。響きはいつもながら強烈なものだが、音楽そのものは意外にもスマートな流れを感じさせる。壮大な音響と過度に甘美な抒情のどちらにも溺れることなく、スコアを丁寧に紐解いていくような解釈が面白い。特に第1楽章展開部で、その巧さが光っている。この曲に対する既成概念そのものの巨大な響きの下から、複雑な人間感情が浮かび上がってくるのが素晴らしい。ロストロポーヴィチ/ナショナルSO(Erato)盤も共感に満ちた熱い演奏。すみずみまでエネルギーが漲った力強いスケール大きな仕上がりに、自然と引き込まれる。音色が感じられなかったり、音程やアンサンブルに細かい乱れが聴かれるなど、オーケストラの技術的な不足も感じられるが、この極めて人間的な音楽の前ではあまり気にはならない。ただ、弱奏部で音楽が落ち着かず、若干騒がしさが残っているのが残念。これは、ロストロポーヴィチの指揮にも問題があるのだろう。

最後に、ムラヴィーンスキイ/レニングラードPO(Melodiya)盤も挙げておきたい。1楽章に全体にエコーがかかったような音質で聴きづらい部分があるが、当時のソ連の録音としては標準的。したがって、随所に表われる強奏部はことごとくマイクに入りきっていない。非常に劇的なこの曲を、極めて冷静に指揮している様子が見て取れる。したがって曲の弱い部分も全て露呈されてしまう感もあるが、1楽章のボレロの部分で、練習番号45の転調前に戦慄を覚えさせる演奏はこれ以外にない。スコア自体は単純であるため、多くの指揮者がその劇的な効果に安易に身を委ねてしまうところだが、ムラヴィーンスキイは実に的確に曲のツボを心得ている。4楽章も、コーダだけ絶叫して盛り上げるスヴェトラーノフなどとは大違い。極めて緻密に計算されている。3楽章のコーダで最初の主題を弦楽器が演奏する部分の美しさは、このコンビだからこそなし得たものであろう。録音状態さえもう少し良好であれば、間違いなくトップクラスの演奏である。

バーンスタイン盤
(DG 427 632-2)
バーンスタイン盤
(CBS/SONY CSCR 8174)
スヴェトラーノフ盤
(ZYX CLA 10011-2)
スヴェトラーノフ盤
(Vanguard 99043)
バルシャーイ盤
(BIS BIS-CD-515)
コンドラーシン盤
(Victor VICC-40094/103)
ケーゲル盤
(Weitblick SSS0028-2)
アンチェル盤
(Supraphon 11 1952-2)

ベリルンド盤
(EMI TOCE-8910)
ハイティンク盤
(London POCL-9255/66)
ノイマン盤
(Supraphon COCO-9076)
N. ヤルヴィ盤
(Chandos CHAN 8623)
ロジデーストヴェンスキイ盤
(Victor VICC-40001/11)
ロストロポーヴィチ盤
(Erato WPCC-3252)
ムラヴィーンスキイ盤
(Victor VICC 40118/23)

交響曲第8番ハ短調 作品65

イヴァーノヴォの作曲家の家で、1943年7月2日から9月9日にかけての約40日間で作曲された。初演は同年11月4日、モスクワ音楽院大ホールにてエヴゲーニイ・アレクサーンドロヴィチ・ムラヴィーンスキイ指揮ソヴィエト国立交響楽団が行なった。初演者のムラヴィーンスキイに献呈されている。この年の2月、スターリングラード(現ヴォルゴグラード)でドイツ軍が潰滅し、翌1944年1月にはレニングラードが解放された。そうした歴史的経緯もあり、1944年4月2日のアメリカ初演(ロジンスキイ指揮ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団)の後、この作品は「スターリングラード交響曲」と呼ばれるようになった。

世界的な名声を得た前作交響曲第7番作品60が(たとえショスタコーヴィチ自身がそう思っていなかったとしても)戦争に突入した祖国への愛国的な讚歌であるのに対し、本作品は戦争の悲惨さと人間のあり方を真摯に問いかける深刻な内容を持っている。 この2曲は、文字通り戦争の“表と裏”の両面を描き出している。

交響曲第7番が大好評の内に演奏されていた1942年、ショスタコーヴィチは次の交響曲について次のように言及している:

わたしは今、ソヴェト政権樹立二十五年記念の交響曲をつくっている。これは交響詩となるはずで、そのテーマは祖国大戦争から生れたものである。完成はしていないので、この仕事についてくわしくのべることはむずかしい。(『モスクワ・ボリシェヴィク』1942年9月4日号:ショスタコーヴィチ自伝, p. 128)

このような内容を持った作品の存在は知られておらず、おそらくこれは“レーニン交響曲”と同様、当局が勝手に発表したガセネタだろう。本作品についての、最初のコメントは以下のものである:

ついこのあいだわたしは新しい第八交響曲の仕事を終えたところだ。非常な速さで、たった二カ月余で書きあげたわけである。この交響曲の具体的なプランは、前もってなかった。第七交響曲を仕上げたとき、はじめはオペラ、バレーを書くつもりでいたが、モスクワ防衛軍の英雄的なオラトリオを書くことになってしまった。そしてそのオラトリオの仕事もあとまわしになって、第八交響曲にかかったというわけである。それにはテーマのきっかけというものはない。この作品には、わたしの思想と経験、それに赤軍の勝利にかかわる喜ばしいニュースが影響していないはずのないわたしの概して好もしい創作状態とが反映している。この新作は、未来を、戦後の時代をうかがう一種の試みである。

第八交響曲には、多くの内的な、また悲劇的、ドラマチックなかっとうがある。けれども全体としては、楽観主義的な、人生肯定的な作品である。第一楽章はきわめてゆっくりしたテンポですすみ、そのクライマックスできわめてドラマチックな緊張に達する。第二楽章は、スケルツォの要素のある行進曲、第三楽章はすこぶる活発、ダイナミックな行進曲である。第四楽章は形式は行進曲風ではあるが、沈痛な性格のものだ。フィナーレ、第五楽章は、いろいろなダンスの要素、民謡風のメロディーをもった明るい、喜びにみちた牧歌的な音楽である。

この交響曲をこれまでのわたしの他の作品とくらべると、気分的に最も近いのは第五交響曲と五重奏曲である。この第八交響曲には、これまでの自分の仕事にふくまれていた主義主張のようなものが今後の発展方向をみいだしているような気がする。この新作の思想的、哲学的概念は、ごく単純化していうと、わずか二つの言葉で、生きることは美しい、というふうに言いあらわすことができる。あらゆる暗くて陰気なものが消え去って、美しいものが勝つ。(『文学と芸術』1943年9月18日号:ショスタコーヴィチ自伝, pp. 135-136)

もう一つ、戦後に書かれた文章も引用しておこう:

戦争中、わたしは二つの交響曲、それにいくつかの室内楽曲、器楽曲、声楽曲をつくった。

わたしの音楽には、われわれの時代のきわめて興味ぶかい、複雑な、そして悲劇的な様相がある程度うつしだされていると思う。

わたしは、戦争という巨大な鉄槌をうけて耳のきかなくなった人間の精神生活図を芸術形式に再現したかった。その不安、その苦悩、その剛毅、その歓喜を語ってみたかったのである。しかもあらゆる心理の動きは、知らず知らず格別の明晰さと劇的性格をおびてきた。それらが常に戦争というたいまつに照されていたからだ。

わたしはしばしば、個人の運命と人民大衆の運命とを結びつけた。そしてそれらは、怒り、痛み、あるいは喜びなどにつつまれて、ともに進んで行った。

生活と自由を愛する、したがって、シェークスピアのいわゆる災厄の海に勇敢にたちむかう人間を描くことは、わたしにはいかにも誘惑的だったのである。

わたしの音楽の主人公であるこの人間は、苦しい経験と破局をのりこえて勝利へと歩をすすめる。彼は幾度も倒れ、また立ちあがる。強い意志とけだかい目的とは、たたかいと最後の勝利のために彼を鼓舞してやまない。いうまでもなく、彼の道に薔薇がまかれているのでもなく、楽しい鼓手が同道しているのでもない。

わたしの作品の楽観的なフィナーレは、いずれも全く作者の勝手なつくりごとではなかった。わたしにとっては、それらは作品の全体の芸術的文脈のなかから合法則的に生れてくるものだった。それらはまた、事件の客観的な論理と、暴政と悪業は必ず亡び、自由と人間性は勝利するという歴史の歩みのわたし自身の理解とも一致する。

戦争は地上のいたるところを混乱におとしいれた。戦争はあらゆる進歩的人間の肉体的、精神的エネルギーを極限にまで追いこんだ。だからこそ、現実から遠のきたくなかった音楽家たちは、音の遊戯にふけるわけにはいかなかったのだ。彼らはなお、自分たちの作品が極度の情緒性、熱情、真のヒューマニズムにみちるように努めるべきだと思う。

わたし自身もそう努力してはいるが、それがどこまで達せられるかは自分ではわからない。(『祖国大戦争期のレニングラードの作曲家、音楽学者の業績』1946年:ショスタコーヴィチ自伝, pp. 161-162)

これらの文章は、特に“楽観的”という言葉を額面通りに受け取ることは危険だが、しかし、この作品の持つ内容を適切に表現しているように感じられる。「ソ連が負けている時に第7番のような明るい交響曲を作り、ソ連が勝ち始めてから第8番のように暗い交響曲を作るとは、ショスタコーヴィチはファシストではないか」としてずいぶんと批判されたらしいが、ショスタコーヴィチが描いたのは戦争ではなく、戦争の時代を生きた人間だったのであろう。その意味で、第7番も第8番も真摯な作品だといえる。

ショスタコーヴィチ自身が述べている通り、交響曲第5番作品47やピアノ五重奏曲作品57と共通する雰囲気を持つこの曲は、ショスタコーヴィチの全作品の中でも一際そびえ立つ大傑作である。筆者は、純器楽の交響曲の中では最も優れた作品だと確信している。水も漏らさぬ緊密な構成、無意識に聴き流すことを拒否する深い楽想、強引なまでに聴き手を引きずり込む巨大なエネルギー、いずれを取ってもこの作品を超える音楽は、そうはない。

この作品に関しては、初演者ムラヴィーンスキイを超える演奏はない。おそらく、今後も出てくることはないだろう。全部で4種類の演奏が出ているが、中でもムラヴィーンスキイ/レニングラードPO(Philips)の1982年ライヴ盤は、空前絶後の超名演。数あるムラヴィーンスキイのショスタコーヴィチ演奏の中でも、究極の名演と言えるだろう。全ての要素が理想的に再現され、考え抜かれ計算し尽くされた設計であるにもかかわらず、あたかもたった今生み出されたかのような新鮮さも失っていない。厳しさの極みでありながら余裕あふれる響きが、この巨大な交響曲にとてつもない深みを与えている。ショスタコーヴィチの全作品の中でも最上級といえるこの作品の持つ内容を、余すところなく表現しきった、いや更により深遠な内容を付け加えたとさえいえる凄絶な演奏である。何度聴いても飽きるどころか、常に新たな発見と感動がある。このPhilips盤の前日(または当日)に行なわれた通しリハーサルの映像(DML)もある(もしかしたら、同一の演奏かもしれない)。当然のことながら、演奏自体は全くと言ってよいほど同じである。しかし、映像の持つインパクトは計り知れないものがある。ムラヴィーンスキイの指揮姿そのものがこの曲を表しているかのようで、音声を消しても音楽が聴こえてくるほどだ。無駄の少ない動きや厳しい目を見ていると、これこそが理想の指揮だと言いたくなる衝動を押えることができない。稀有の音楽体験ができる、最高の音楽ソフトだといえよう。

ムラヴィーンスキイ/レニングラードPO(BBC)の1960年ライヴ盤も凄い。レニングラード・フィルの歴史に残る1960年の海外巡業公演のうち、ロンドンでの演奏会を収録したもので、後年の録音と比較しても、この時点で基本的な解釈はほぼ固まっている。しかし、緊張感あふれるアンサンブルから湧き出る熱気は、他の録音とは異種のものである。確信に満ちた解釈と完璧なアンサンブルが、聴き手をいやが応にも昂奮させずにはおかない。翌1961年にレニングラードで行なわれたライヴ録音(ムラヴィーンスキイ/レニングラードPO(BMG))は、ほとばしる熱気という点ではBBC盤に劣るが、逆に緊迫感においてはるかに上回っている。絶頂期のレニングラード・フィルの合奏力はまさに驚異の完璧さで、ムラヴィーンスキイの音楽をより説得力のあふれるものとしている。僕の好みとしては、BBC盤よりもこちらをとりたい。

ムラヴィーンスキイの前では、いかなる演奏も色褪せてしまうが、ショルティ/シカゴSO(Decca)盤を聴き逃すのは惜しい。これは、ショルティによるショスタコーヴィチ・シリーズの第1作にして最高傑作。3日分のテイクを編集しているために厳密な意味でのライヴ録音とはいえないだろうが、それにしても驚異的な完成度。完璧にコントロールされた音の洪水が、もはや人間業とは思えないような機能美を呈している。この非人間的な様相はこの曲の一つの側面でもあり、これ以上ないくらい圧倒的である。ムラヴィーンスキイなどに聴かれる尋常ならざる深みとは無縁であるが、むしろそういう要因を完全に無視してしまっているところがこの演奏の美点であるとすらいえるだろう。

これらの高みには達していないものの、曲の素晴らしさを堪能させてくれる立派な演奏も少なからずある。まず、本家ソ連勢の演奏としては、コンドラーシン/モスクワPO(Melodiya)盤が筆頭に挙げられよう。異様なカロリーに満ちた演奏。終始凶暴な音響に圧倒され続ける。もちろん、奇を衒った演奏ということではなく、このコンビならではの個性を存分に発揮しながらも素直にスコアに立ち向かっている姿勢が素晴らしい。ただし、凶悪な録音と相まって、聴き通すには尋常ではないエネルギーを要する。万人向けとまではいえないかもしれない。また同じコンビによるライヴ録音(コンドラーシン/モスクワPO(Praga))もある。演奏データ等はあまり信用できないが、どうやら上記Melodiya盤とは別音源の模様。こちらも野生的なまでの迫力に満ちた凄演。冒頭から終始まで全ての音に持てる限りのエネルギーが注ぎ込まれている。テンポをはじめとする曲の解釈は非常に模範的なもので、演奏者の曲に対する共感に感銘を受ける。非常に高カロリーな演奏なので聴いていると疲れないでもないが、聴き手を引き込む力もまた尋常ではない。ライヴ録音のためか、技術的にはやや粗い。同系統の演奏として、ロジデーストヴェンスキイ/ソヴィエト国立文化省SO(Melodiya)盤も忘れるわけにはいかない。何とも凶暴な演奏。ピッチやアンサンブルの不揃いなど全くお構いなし。耳に優しくない強烈な音響を、これでもかという位に叩きつけてくる。しかしこれは決して効果狙いではなく、曲の本質を抉り出そうとする切実な姿勢と密接に関係しているので、嫌味を感じることなく曲に引き込まれてしまう。ただ、こういう響きに慣れていない聴き手には拒否反応を示される可能性大。非常に疲れる演奏であることは間違いない。

爆演揃いのソ連勢に対し、国外の演奏家によるものは、概して地味ながらも味わい深い演奏に仕上げられている。プレヴィン/ロンドンSO(DG)の新盤は、このコンビには珍しく気合いの入りまくった熱演。無理にがなり立てたりすることはないが、猛烈なテンションが最初から最期まで持続しているのに圧倒される。第1楽章や第5楽章のクライマックスには思わず引き込まれてしまうが、凄いのは第4楽章。非常に遅いテンポで静寂の世界を見事に描き出している。録音も良く、この作品の内容を存分に味わうことができる。K. ザンデルリンク/ベルリンSO(Deutsche Schallplatten)盤は、非常に地味で渋い演奏だが、深い内容を持った味わいのある音楽である。第2楽章などではオーケストラの技量とも相まって物足りなさを感じるが、第4楽章などの暗い静寂が支配しながらもニュアンスに富んだ音楽は感銘深い。突き刺すような緊張感というよりは、どこか懐の大きい温かさを感じさせる演奏である。スラトキン/セント・ルイスSO(RCA)盤も非常に整然とした、機能的でありながらも格調の高い秀演。ロシア風のアクの強さとは無縁の響きだが、曲の本質を見失っていないのが素晴らしい。オーケストラの名技も、決して派手ではないのだが光っている。曲の持つ精神の高貴さと裏腹の異常さはあまり感じられないが、立派な演奏であることは確かである。

オーケストラが西側の団体で指揮者が亡命ロシア人による演奏は、やや折衷的。M. ショスタコーヴィチ/ロンドンSO(Collins)盤は、重量級の演奏。ひたすら力で押しまくるが、そのネチっこいまでの重苦しさはこの曲の持つ魅力の一端を伝えてくれる。リズム感がぱっとしない、弱奏部がやや希薄な音楽になっているなどの問題もあるが、曲の巨大さを十分に描き出していることも事実。筆者が好きなタイプの演奏ではないが、この嫌味たっぷりな演奏に惹かれる人もいるだろう。N. ヤルヴィ/スコティッシュ・ナショナルO(Chandos)盤も、ややスマートながら力感に満ちた好演。テンポ設定や音色の生かし方など、模範的な演奏に仕上がっている。録音の影響もあるのか全体に華やかな響きになっているが、作品を楽しむという意味においてはむしろ万人受けするものと言えるだろう。ただ、第4楽章のような部分での深みには欠けるので、全曲を通して聴いた時の感銘はあまり大きくはない。

これらに比べると、やや違った雰囲気に仕上げられているのが、フェドセーエフ/モスクワ放送SO(Relief)の新盤。このコンビの美質が十二分に発揮された、流麗かつ色彩感に溢れた秀演で、特に管楽器と打楽器の名義は圧倒的。交響曲第10番の新盤同様、抒情的な側面が強調された、実に人間臭い仕上がりになっている。深い味わいにも事欠かず、個性的な注目すべき演奏ということになるだろう。ただ、この作品にはもっと非人間的な冷たさや凶暴さが欲しいところ。筆者には、その点が物足りない。

ムラヴィーンスキイ盤
(Philips 422442-2PH)
ムラヴィーンスキイ盤
(BBC BBCL 4002-2)
ムラヴィーンスキイ盤
(BMG-Melodiya BVCX 8024/7)
ショルティ盤
(Decca 425 675-2)
コンドラーシン盤
(Victor VICC-40094/103)
コンドラーシン盤
(Praga PR 250 040)
ロジデーストヴェンスキイ盤
(Victor VICC-40001/11)

プレヴィン盤
(DG 437 819-2)
K. ザンデルリンク盤
(Deutsche Schallplatten
32TC-77)
スラトキン盤
(RCA 60145-2-RC)
M. ショスタコーヴィチ盤
(Collins 12712)
N. ヤルヴィ盤
(Chandos CHAN 8757)
フェドセーエフ盤
(Relief CR 991056)

交響曲第9番変ホ長調 作品70

1945年。第二次世界大戦が終結した。ソ連は多数の被害を出したものの、勝利を収めた。

ドイツにつづいて日本侵略主義者が膝を屈し、第二次世界大戦は勝利のうちに終結した。あらゆる先進的、進歩的人びとを解放戦争に団結させた偉大な事業は勝利をおさめたのである。

戦争のもたらしたおそろしい不協和音は鳴りをしずめた。自動小銃をにぎりしめていたヴァイオリン演奏家たちの指は、ふたたびその快い音いろのヴァイオリンの弦に生き生きとふれるだろう。こうして平和と創造的な労働の明るい旋律がわきおこるにちがいない。

われわれは、過去をふりかえり、勝利への足どりをしっかと見つめ、前途をたしかめ―何にむかって自分たちが進んでいるかを知っている。この過去と未来をきわめて明確に自覚することは、大きな形式の芸術作品―偉大な事業と現代とを不朽なものにする作品の形をとるべきである。われわれのあいだには、この名誉な責任ある仕事をむざむざと子孫にゆずる芸術家のいるはずはない。

古典になるべき作品を創らなければならない時、永遠の生命をもった作品、人類の真に貴重な財産となるべき作品を創造しなければならない時がやってきた。世界の芸術で最もすぐれた作品は、いつの時代にも人民のたたかい、勝利、その成果と固くむすびついていた。ベートーヴェンの第九交響曲は、一七八九年の事件〔フランス革命〕によって生れたのではなかったろうか。第一祖国戦争〔一八一二年の対ナポレオン戦争〕の時代の勝利者である人民の民族的誇り、民族的感情こそが、グリンカの偉大な才能をして「イワン・スサーニン」のテーマにむかわせたのではなかったろうか。(『ソヴェト芸術』1945年5月10日号:ショスタコーヴィチ自伝, pp. 156-157)

まさにこれは、当局の意向そのものである。無論、ショスタコーヴィチが祖国の戦勝を否定的に捉えていたとは必ずしも言えないが、どこの国でも知識人達はその勝敗に関係なく、戦争というものをもっと深刻に受け止めていた。おそらく、ショスタコーヴィチもそうだっただろう。加えて、この勝利がスターリンの独裁体制にとって今後どういう意味を持つのかということについても、おそらくは正確に把握していたに違いない。1945年8月、イヴァーノヴォに滞在していたショスタコーヴィチ一家と一緒に過した批評家ダニール・ジトミルスキイは、次のような証言を残している:

2、3日の間、誰も夕食にはいなかった。ドミートリィ・ドミートリェヴィチとニーナ・ヴァシーリェヴナはモスクワへ発ってしまっていた。私は彼らにイヴァノーヴォ駅で会った。帰る道すがら、ドミートリィ・ドミートリェヴィチはまず私に“ウラニウム”爆弾について、広島の信じ難く恐ろしい破滅について話した。ニーナ・ヴァシーリェヴナは大きな権威をもって、原子分裂の重大さについて説明した。ドミートリィ・ドミートリェヴィチは沈鬱で黙り込んでいたが、同時に内心の動揺を隠せなかった。彼は短くせっかちな語句で話した。しゃがれた、憔悴したような声の調子、うつろな眼差し、青ざめた顔色が彼の苦悩を伝えていた。そして我々は黙ったまま彼の小さなダーチャまで歩いた。私は広島について、同時にこの瞬間の複雑さについて(私達にとっては戦争が終わっていたにもかかわらず)混乱のうちに考え,そして近い将来に何が控えているのかと考えた。私は自分の落胆を口に出そうとしたが、ドミートリィ・ドミートリェヴィチは一点を見つめたまま、素早く私の嘆きを断ち切った。「我々の仕事は喜ぶことだ!」(Wilson, E., SHOSTAKOVICH A Life Remembered, p. 411)

1944年から翌年にかけての冬頃、「力の漲る勝利の英雄的な長調」の第一楽章のスケッチを聴いたという音楽家が何人かいるらしい。ショスタコーヴィチは、当局の意向に沿った作品を準備していたということであろう。しかし、第九交響曲として、ショスタコーヴィチが発表したのは、この、嬉遊的な小規模の作品であった:

わたしの第九交響曲は、その性格上、それ以前の第七、第八交響曲とはきわめて趣きがちがっている。第七、第八交響曲を悲劇的英雄的なものとすれば、第九交響曲は透明、明晰、明るい気分のものである。この交響曲は、五つのそれほど大きくない楽章―アレグロ、モデラート、プレスト、ラルゴ、アレグレットから成っている。モスクワでは、ムラヴィンスキー指揮の国立交響管弦楽団によって、レニングラードではレニングラード国立フィルハーモニー管弦楽団によって演奏される。

最初の公開演奏会は、十月末になる。(『ソヴェト芸術』1945年9月7日号:ショスタコーヴィチ自伝, p. 157)

作曲に要した時間は驚くほど短いもので、第一楽章が8月5日、第二楽章が12日、第三楽章が20日、第四楽章が21日、そして第五楽章が30日に書き上げられている。下書きは一切せず、ほんの数ヵ所の訂正はあったものの、最初からスコアをインクで清書書きしたらしい。初演は1945年11月3日、レニングラード・フィルハーモニー大ホールにて、エヴゲーニイ・アレクサーンドロヴィチ・ムラヴィーンスキイ指揮レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団によって行なわれた。

当局の意向とはあまりにもかけ離れたこの作品が、初演後ほとんど話題にのぼることもなく、事実上無視された格好になったのは当然のことだろう。ショスタコーヴィチの主要作品の中で、初演者による録音が残されていないのはこの曲くらいである。フォミーンによるムラヴィーンスキイの評伝巻末の資料によると、ムラヴィーンスキイはこの曲を2回しか指揮していない。すなわち、レニングラードとモスクワの初演以降、一度も演奏していないということであろう。しかしこのことにもかかわらず、それからもムラヴィーンスキイとの信頼関係が維持されたところを見ると、やはりこの作品には政治的な問題があり、それをショスタコーヴィチ自身もよくわかっていたということなのだろう。確信犯である。

妙に陽気な第一楽章、陰気な第二楽章、暴力的な第三楽章。いずれも舞曲的性格を持っており、“戦勝を祝って踊る人民の姿”と解釈できないこともない。そして、ベートーヴェンの交響曲第9番終楽章冒頭のチェロ・コントラバスのエピソードのパロディであるファゴットのソロを持つ第四楽章で、ベートーヴェン同様にそれまでの旋律を否定した後、粗野で庶民的なユダヤの舞曲を主要主題とする第五楽章に突入する。「スターリンのことを称讚する作品を待っている」と共産党の幹部から要求され、「書きます」と返事した作品が、これである。見た目の明るさとのギャップが、これほど恐ろしい作品もあるまい。

とはいえ、そうした政治的文脈だけで評価されるような作品でもない。いきなり清書書きしたとは信じがたいほど、緻密に構成された、華麗なオーケストレイションの効果に満ちた傑作である。発表後、とりわけ西側で頻繁に取り上げられてたことも当然だろう。まさに、ショスタコーヴィチの本領が発揮された作品ということができるかもしれない。

この曲には、西側の演奏家による優れた録音が残されている。筆頭はショルティ/ウィーンPO(London)盤。これは圧倒的な名演。曲に込められた裏の意味などを深読みするのではなく、ひたすら客観的に音を積み上げたことが結果として成功している。ショルティの強引な指揮はウィーン・フィルの美質を奪い去り、自己の美学を徹底して押し付けているのだが、時折聴こえる独特の音色と節回しはウィーン・フィルならではのもの。ショルティ流の機能美を再現しながらも自分達の流儀を守り通そうとする火花の散り合いが、聴き手の興奮を誘う。ウィーン・フィルをまるでショルティに強姦されているかのようなウィーン・フィルの演奏は、図らずもスターリン体制下で苦悩するショスタコーヴィチの姿をも描き出しているようにも聴こえる。期せずしてこの曲の本質を抉り出した演奏と言えよう。デュトワ/モントリオールO(London)盤も素晴らしい。見事に磨き上げられた美演で、この曲に求められる鋭い諧謔性は前面に出ていないものの、全く破綻のないアンサンブルが自ずから曲の持っている内容を自然かつ適切に描き出している。ともすればその内容だけで判断されがちな曲であるが、この演奏を聴くといかによく作り上げられたスコアかが分かる。このコンビの美質が十二分に発揮された名演である。

もちろん、本家ソ連勢の演奏もたまらなく魅力的だ。まずは、ロジデーストヴェンスキイ/ソヴィエト国立文化省SO(Melodiya)盤を挙げたい。技術的には巧いのか下手なのかよく分からない不思議な演奏だが、ただ粗いだけではない独特の魅力を持った名演。細部に対する拘りも面白いが、何よりも全体を貫く生き生きとした躍動感が素晴らしい。殊に第5楽章の解放感は格別。ロジデーストヴェンスキイの美質が十分に発揮された演奏といえるだろう。コンドラーシン/モスクワPO(Melodiya)盤も素晴らしい。録音も悪いし、技術的なアラも皆無とは言えないが、スコアを適切に再現した理想的な演奏。引き締まったテンポ設定、色彩感覚溢れる楽器間のバランス、いずれをとっても奇を衒ったところがなく、全く不満を持つことなく聴き通すことができる。しかも、力感に満ちているのが素晴らしく、どこかやけくそになっているショスタコーヴィチの姿すら彷彿とさせる。コンドラーシンには他にコンドラーシン/アムステルダム・コンセルトヘボウO(Philips)コンドラーシン/ユンゲ・ドイチュPO(Berlin Classics)という二つのライヴ盤があるが、完成度はスタジオ録音に比べてやや落ちるものの、どちらもコンドラーシンの特徴がよく出た立派な演奏。スヴェトラーノフ/ソヴィエト国立SO(Melodiya, LP)盤も凄い。第1楽章の超快速テンポに驚かされるが、緩徐楽章は適切なテンポ。徹頭徹尾ソヴィエト的な重厚さが特徴的な演奏だが、このコンビの一つの極致を示す引き締まったアンサンブルと高い技量が素晴らしい。機能性を生かして難パッセージを淀みなく突き進んでいくスヴェトラーノフの解釈はこの曲の本質に合致しており、理想的な演奏に仕上がっている。D. オーイストラフ/ソヴィエト国立SO(Russian Disc)盤も圧倒的な覇気に満ちた豪壮な演奏。ライヴということもあり、さすがに荒さも目立つが、その勢いの良さには思わず引き込まれてしまう。中でも弦楽器の濃厚な歌い回しは素晴らしい。第4楽章のしみじみとしたファゴットの歌を聴くと、オーイストラフがいかにショスタコーヴィチの音楽を把握しきっていたのかがよく分かる。この曲の本質をしっかりと捉えた秀演。

一方、デプリースト/ヘルシンキPO(Ondine)盤は、非常に丁寧な風格あふれる名演。スコアのすみずみから純度の高い音を引き出すことに成功しており、安心して音楽に身を任すことができる。解釈もまっとうなもので、第3楽章終結部でリタルダンドを楽譜の指示より数小節早くかけ始める部分以外は作曲家の意図通りといえるだろう。あえて難をいえば、少し落ち着き過ぎかも。もっとはちゃめちゃな感じがあっても良いだろう。大人の演奏。同系統の演奏としては、ノイマン/チェコPO(Supraphon)盤も良い。非常に美しい仕上がり。特に管楽器の音色には惚れ惚れする。解釈そのものは非常にオーソドックス。どこまでも格調高く穏やかな表情に物足りなさを感じる聴き手もあるだろうが、ここまで徹底した丁寧な仕上がりは大変立派なもの。作品の背景云々を深読みすることなく、素直に楽しむことのできる秀演である。ロシア勢の割に、テミルカーノフ/サンクト・ペテルブルグPO(RCA)盤もところどころにもったいぶった表現はあるものの、基本的にはスマートな演奏。全体に早目のテンポで押してくるが、響きは意外なほど洗練されている。全体の造形も模範的なもので、しっかりと構成されているために見通しが良い演奏に仕上がっている。個人的にはもっとローカル色が前面に出た演奏が好みだが、これはこれで悪くない。他に、レヴィ/アトランタSO(Telarc)盤が深い味わいには欠けるものの、よく整えられた華麗で楽しい演奏。このコンビのショスタコーヴィチ演奏の中では最も優れたものであろう。この曲に複雑で暗いものを聴きたい向きには不満もあろうが、ごくオーソドックスな佳演である。

ショルティ盤
(London POCL-1087)
デュトワ盤
(London POCL-1576)
ロジデーストヴェンスキイ盤
(Victor VICC-40001/11)
コンドラーシン盤
(Victor VICC-40094/103)
コンドラーシン盤
(Philips 438 284-2)
コンドラーシン盤
(Berlin Classics 0021572BC)
スヴェトラーノフ盤
(ZYX CLA 10011-2)
D. オーイストラフ盤
(Russian Disc RD CD 11 192)
デプリースト盤
(Ondine ODE 846-2)
ノイマン盤
(Supraphon COCO-9077)
テミルカーノフ盤
(RCA 09026 68548 2)
レヴィ盤
(Telarc CD-80215)

 ShostakovichのHome Pageに戻る

Last Modified 2008.05.13

inserted by FC2 system