名盤(交響曲第1〜3番)


交響曲第1番ヘ短調 作品10

ショスタコーヴィチの記念すべき最初の交響曲。レニングラード音楽院の卒業作品として、主に1924年末から1925年にかけて作曲された。初演は1926年5月12日、レニングラード・フィルハーモニー大ホールにて、ニコラーイ・マリコー指揮レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団が行なった。初演は大成功で、第2楽章がアンコールで演奏されたという。この成功によってショスタコーヴィチは“現代のモーツァルト”、“ソ連が生んだ最初の天才”などと絶賛されることとなる。初演直後からワルター、トスカニーニ、クレンペラーといった西側の大指揮者達にも注目され、頻繁に取り上げられた。文字通り、出世作である。

初演後、ショスタコーヴィチは次のような言葉を残している:

一九二六年五月一二日、フィルハーモニーのホールで、わたしの交響曲がマリコ指揮によって演奏されて大きな成功をおさめた。その成功と交響曲のすばらしい響きとで元気と希望が湧いてきた。なんとか生活の資がえられれば、うまずたゆまず音楽の仕事をして、全生活をそれにささげたいと思っている。(『ドミートリー・ドミトリエヴィチ・ショスタコーヴィチ伝』中央国立文学・芸術記録保存所編:ショスタコーヴィチ自伝, p. 12)

この若々しくも決意に満ちた言葉が見事に実践されたことは、その後のショスタコーヴィチの創作活動を見れば一目瞭然であり、それはショスタコーヴィチにとってだけではなく、我々後世の人間にとっても幸せなことであった。

作曲は、第2楽章、第1楽章、第3楽章そして第4楽章の順に進められ、1925年6月1日に完成した。完成後、ショスタコーヴィチはこの作品のスコアを師匠であるグラズノーフに見せている。

卒業制作は第一交響曲であった。……グラズノフもシテインベルグも、和声と協和音の関係にはきわめて厳しかった。わたしが自分の第一交響曲の最初の部分を(連弾で)グラズノフに聞いてもらうと、彼はその和声に不満だった。序奏部のなかでも消音器をつけたラッパの初めのいくつかのフレーズの音が、彼からみると不調和だというのである。彼はそれを直すように求め、別の和声を提案した。(『回想のレニングラード音楽院』1962年:ショスタコーヴィチ自伝, pp. 349-350)

『ショスタコーヴィチの証言』では、この話は次のように続く:

最初、わたしは導入部のトランペットの弱い出だしの楽節のあとを一個所だけ訂正した。老人を怒らせたくなかったのだが、その後、もちろん、これはわたしの音楽であって、けっしてグラズノフのではないのだ、と考えた。いったい、なぜ彼に気がねしなければならないのか。わたしにしたって、彼の音楽に気に入らないところがたくさんあるものの、自分の趣味に合わせて作り変えるように彼にすすめたりはけっしてしない。そして、交響曲の初演の直前になって、わたしはすべてを元通りに直した。グラズノフはひどく腹を立てたが、時すでに遅すぎた。わたしはかつてのグラズノフのように従順ではなかったからだ。確かに、彼はデビューのとき、わたしよりもちょうど二歳若かった。(ショスタコーヴィチの証言, 中公文庫, p. 291)

該当個所は、第1楽章5〜8小節のフレーズ。

本作品は、いかにも卒業作品らしく、構成や動機の扱いなどに几帳面なまでの優等生振りを発揮している。また、第3楽章以降にワーグナの「トリスタン」からの影響が認められる辺りも、後の謎に満ちた引用の仕方に比べると実に素直なだけに、どこか微笑ましい。ショスタコーヴィチにも習作時代があったのだ。

とはいえ、本作を単なる“習作”と位置づける訳にはいかない。独特の和声やリズムの感覚、機知に富んだ曲相、特徴的な乾いた抒情等、いわゆるショスタコーヴィチらしさの萌芽が見られるだけではなく、それらが既に十分な完成度を持って交響曲にまとめあげられているところが非凡であり、素晴らしい。後の交響曲に見られる巨大な存在感はまだないが、それゆえにこの作品を愛する人も多い。“ショスタコーヴィチの最高傑作”だとまで評する人もいる程だ。最高傑作というのは言い過ぎだとしても、その端正なたたずまいと、若々しい情感は極めて魅力的であり、全世界で広く取り上げられ、そしていまだに取り上げられ続けているのも納得がいく。

古くから比較的多くの録音が残されているが、ショスタコーヴィチ特有のアクがそれほど強くないためか、有無を言わさぬ決定盤というものはない。指揮者の個性とオーケストラの個性、そして録音状態に対する聴き手の好みによって、様々な選択ができるだろう。筆者が一番お薦めするのは、アンチェル/チェコPO(Supraphon)盤。この曲の内容を全て引き出した、名演。ショスタコーヴィチがロシア交響楽の伝統やワーグナーから受けた影響をはっきりと示しつつも、ショスタコーヴィチの個性を見事に提示し、さらに交響曲としての造形が完璧になされている。オーケストラも技術的には完璧とまでは言えないものの、魅力溢れる音色で丁寧な演奏をしており大変素晴らしい。良い意味でこの曲を等身大に描き出した、必聴の演奏といえよう。録音が良くないと聴く気が起こらない人には、デュトワ/モントリオールSO(London)盤がいい。すみずみまで丁寧に磨き込まれた美演。奇を衒うような部分は皆無で、良い意味での模範的な演奏に仕上がっている。聴き手に新しい発見をさせるというよりは、この曲のあるべき姿を素直かつ完璧に提示している。オーケストラの技術も極上で、全く破綻というものがない。最上級の職人芸を聴くことができる。

本場のロシアン・サウンドを楽しみたければ、マルケヴィチ/ソヴィエト国立SO(Dante)盤がいいだろう。引き締まったリズム、見通しの良い造型力、いずれもマルケヴィチの美質が最大限に発揮された名演。加えて、存分に鳴り切ったアクの強いオーケストラが非常に魅力的。録音状態があまり優れないのが残念だが、この作品の魅力が余すところなく表現されている。ロジデーストヴェンスキイ/ソヴィエト国立文化省SO(Melodiya)盤は、丁寧な譜読みが光る地に足のついた名演。ちょっとした楽器バランスやアーティキュレーションの面白さばかりが耳についてしまいがちだが、鳴っている音楽そのものは王道を行っている。ロシア風のアクの強い音色も非常に効果的で、非常に充実した演奏に仕上がっている。

極めて個性的なのは、ケーゲル/ライプツィヒ放送SO(Eterna)盤。リズム構造が完璧に把握されているために、音楽が一瞬たりとも弛緩することがない。楽器間のバランスも緻密に設計されていて、背筋が凍るような和声の美しさに驚かされる瞬間も多々ある。決して派手なところはないのだが、単に誠実なだけにとどまらない戦慄を覚える名演。ショスタコーヴィチの若さを暴き出すところが多いが、それがマイナスになっていないところに、ケーゲルの非凡な手腕を見ることができる。同じドイツ系ではK. ザンデルリンク/ベルリンSO(Deutsche Schallplatten)盤がスコアをよく読み込んだ、真摯な演奏。各楽器の生かし方が絶妙で、どちらかと言えば地味な響きにもかかわらず聴き手を飽きさせない。もちろん、交響曲としての造形も確かで、この曲のあるべき姿を的確に表出している。単に減点材料がないという以上の渋い魅力を持った名演。

上述の演奏に比べると、やや落ちるが一聴の価値のある録音も数多い。まずはロシア系の演奏から。アーロノヴィチ/モスクワ放送SO(Melodiya, LP)盤。典型的なロシアの響きに満ちた佳演。ショスタコーヴィチの初期作品というよりは、むしろロシア交響曲の系譜に連なる作品として捉えられているようだが、こうした柄の大きな歌い回しも悪くはない。堅実なアンサンブルと、管楽器の濃い色が魅力的な演奏である。コンドラーシン/モスクワPO(Melodiya)盤は、この作品の規範となる演奏。確かにこのコンビ特有の荒さが気にならなくもないが、基本的に奇を衒うことなくロシア流儀の音でスコアを忠実に再現していることの魅力は筆舌に尽くし難い。より個性的な演奏や一層精度の高い演奏は他にあるが、最もオーソドックスな演奏ということになるとこの演奏が筆頭に挙げられよう。同じ指揮者による旧録音コンドラーシン/ボリショイ劇場O(Omega)盤は、古き良き時代のロシアン・サウンドを堪能させてくれる。個人的には大好きな演奏だが、残念なことに録音が悪すぎる。

西側の演奏家による録音も、立派な演奏が目白押し。曲を素直に楽しめる演奏としては、アシケナージ/ロイヤルPO(London)盤、バーンスタイン/ニューヨークPO(Sony)盤、ハイティンク/ロンドンPO(London)盤、M. ヤーンソンス/ベルリンPO(EMI)盤、オーマンディ/フィラデルフィアO(Sony)盤等が挙げられる。巨匠指揮者の個性を味わいたいのであれば、バーンスタイン/シカゴSO(DG)盤、ショルティ/ロイヤル・コンセルトヘボウO(Decca)盤、ホーレンシュタイン/ロイヤルPO(Carlton)盤、海賊盤だがチェリビダッケ/デンマーク放送SO(Originals)盤辺りが、好き嫌いは分かれるだろうが面白いだろう。

アンチェル盤
(Supraphon COCO-75321)
デュトワ盤
(London POCL-1433)
マルケヴィチ盤
(Dante LYS 576-577)
ロジデーストヴェンスキイ盤
(Victor VICC-40001/11)
ケーゲル盤
(Eterna 0031702BC)
K. ザンデルリンク盤
(Deutsche Schallplatten
25TC-290)
アーロノヴィチ盤
(Angel SR-40192, LP)
コンドラーシン盤
(Victor VICC-40094/103)
コンドラーシン盤
(Omega OCD 1031)
アシケナージ盤
(London POCL-1006)
バーンスタイン盤
(Sony SMK 47614)
ハイティンク盤
(London POCL-9255/66)
M. ヤーンソンス盤
(EMI 7243 5 55361 2 9)
オーマンディ盤
(Sony SBK 62 642)
バーンスタイン盤
(DG 427 632-2)
ショルティ盤
(Decca 436 469-2)
ホーレンシュタイン盤
(Carlton 15656 91542)
チェリビダッケ盤
(Originals SH 863)

交響曲第2番ロ長調「十月革命に捧ぐ」作品14

1927年3月に、国立出版所の音楽局宣伝部が十月革命10周年記念の交響的作品としてショスタコーヴィチに委嘱し、同年6月に作曲が完了した。初演は1927年11月5日、レニングラード・フィルハーモニー大ホールにてニコラーイ・マリコー指揮レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団と国立アカデミー・ア・カペラ合唱団によって行なわれた。この曲は、十月革命を記念する最も優れた交響曲作品として、レニングラード・フィルハーモニーのコンクールで最高賞を得ている。

当時のショスタコーヴィチは、1924年に結成された現代音楽協会によって紹介された西欧現代音楽の多大な影響を受けていた。交響曲第1番作品10の後、歌劇「鼻」作品15を頂点として、しばらく前衛的な作品が続く。この作品の中でも、実験的な手法が多用されている。加えて、アレクサーンドル・ベズィメンスキイの極めて政治的な詩を用いていることなど、この曲には当時ショスタコーヴィチが生きた社会の香りが満ちている。

「交響的ポエム」として着想され、作曲後は「交響的捧げ物」と名づけられていたこの作品では、冒頭のクラスター的な部分に始まり、練習番号29から始まる“ウルトラ対位法(27声部から成る)”、サイレンの使用など、前衛的手法の意欲的な活用が見られる。ショスタコーヴィチ自身は、20年代末の大学院の研究報告書に次のように書いている:「<十月革命>で、私は戦いと勝利の激情を伝えようと試みた。ここで私は、ウルトラ対位法(同時に響く27声部)のオーケストレーション・システムを導入した。これは大変ダイナミックに響く」。「対位法的な音色に移って、ウルトラ対位法はうまく出来上がった。作品全体が対位法的である。カノンやフーガを応用している。合唱は全音階的に叙述されている。全作品の語り口は、弁証法的な流れをもっている」。このレニアールナヤ・ポリフォニー(一つ一つ異なった音楽的声部から作られた対位法)は、後の交響曲第4番作品43やヴァイオリン協奏曲第1番の中にも見られるが、この作品でも混沌の中から込み上げてくる内面の力を効果的に表現するのに使われている。

サイレンの導入は、この曲をショスタコーヴィチに委嘱した宣伝部のL. シューリギンの発案らしく、彼に宛てた手紙の中でショスタコーヴィチは次のように書いている:「あなたの着想がこの上もなく、私の気に入ってます。そして今、私はサイレンを鳴らす必要のある場所にたどり着いています。私はサイレンの音域がどんなものか、先頃特別に工場に出掛けてみました。サイレンの響きは、極めて低いものでした。私にとってサイレンは、ファ♯であってほしかった。そして、pppからfffまでクレッシェンド出来ることが、絶対の条件でした」。ただし、ad libiumとしてホルン、トランペット、トロンボーン、チューバで代用可との作曲者自身による注意書きがあり、多くの場合はサイレンを使わずに演奏されている。

こうした器楽のみによる前半部分に比べると、合唱の入る後半部分はいささか平凡なもの。ベズィメンスキイの詩はあまり歌向きではなく、作曲に当たっては若干の苦労があったようだが、決して歌謡性に富んだ音楽ではないものの、無難にこなしていると言えるだろう。かつて西側ではこの合唱の入る部分は省略されて演奏されていたらしいが、もちろん政治的な歌詞の問題もあるだろうが、音楽的にもさほど重要視されていなかったことが分かる。この部分については、次のようなエピソードがある:「合唱のところに『たたかいには名まえがある!』の言葉のあと、ちょっとした間奏曲がはいる。弦楽器奏者は、ピッチカート(つきびき)でひくのを何としてもいやがった。だが誓って、ここはピッチカートでひけるところだが、かけだしの作曲家がいくらかむずかしい曲をつくるときっと楽団員は演奏できないというものだ。とどのつまり、こちらが折れてでて、アルコ(弓)にしたが。うまくいった。それでもいつかはこの箇所を最初のもくろみどおり演奏したいと思っている」。(シュリギンあて手紙より―シュリギン『論文と回想』, モスクワ, pp. 60-61, 1977.:ショスタコーヴィチ自伝, p. 18)もちろん、現在では楽譜の指示通りに演奏されている。

この作品と、続く交響曲第3番作品20とは、共に単一楽章で後半部分に政治的な内容の歌詞を持った合唱が入るという類似性がある。恥ずかしい程の体制讚美的な作品であることに加え、散漫な構成などを見ても、やはり他の交響曲と同じレベルで論じることはできないだろう。ショスタコーヴィチが息子のマクシームにこの2つの作品の演奏を禁じたという話や、ロストロポーヴィチがソ連を出ていかなければならなくなった際、別れの挨拶として国外でショスタコーヴィチの交響曲全集を作るとショスタコーヴィチに語った時、「ありがとう、スラーヴァ。だが交響曲を録音するなら4番以降にしてくれ」と言った話(ロストロポーヴィチはこの言葉を、第2番と第3番を録音されたくなかったからだと推測している)などからして、ショスタコーヴィチ自身がこれらの作品を不出来なものとして、自分の交響曲として挙げることに躊躇を感じていたことは間違いない。あるいは、純粋に社会主義体制を賞揚した若気の至りに対する恥ずかしさのようなものを感じていたのかもしれない。しかしながら、前衛的な手法が大衆に訴えかける力を持つと無邪気に信じていた若きショスタコーヴィチの有り余るエネルギーが、この作品の、特に前半部分には漲っている。筆者はそれゆえに、この作品を埋もれさせてしまうのは惜しいと感じる。

この作品については、コンドーラシン/モスクワPO他(Melodiya)盤が考えうる最高の演奏。錯綜したポリフォニックな書法を完璧に把握し、早目のテンポと引き締まったリズムで理想的に統率されている様は圧巻。特筆すべきは後半の合唱で、これ以外はありえないと断言できる声の響きには我を忘れてしまいそう。練習番号94の「これこそは旗、これこそは生きる世代の名。10月、コミューン、そしてレーニン!」という部分の絶叫の凄まじさには、形容する言葉もない。前半と後半のつながりも良く、これこそ演奏芸術の真髄といえるだろう。なお、サイレンは使っていない。

コンドラーシン盤一枚あれば他の演奏は全く必要ないが、どうしても最近の録音で聴きたいという向きには、ロストロポーヴィチ/ロンドンSO他(Teldec)盤が薦められる。ダイナミックレンジは広いが、音楽そのものはしなやかな流れを持ったスマートなもの。強烈な個性を聴かせる演奏ではないが、作品の内容を適正に音化していると言えるだろう。この演奏で素晴らしいのは、後半の合唱。ロシアの団体とは全く異なる響きだが、確かな技術に裏打ちされた格調高い歌唱には耳を惹きつけられる。他に、ブラシコーフ/レニングラードSO他(Russian Disc)のライヴ盤が、録音は悪いものの、全体に張り詰めた意志と高揚感が漲った好演。

コンドラーシン盤
(Victor VICC-40094/103)
ロストロポーヴィチ盤
(Teldec 4509-90853-2)
ブラシコーフ盤
(Russian Disc RD CD 11 195)

交響曲第3番変ホ長調「五月一日」作品20

前作交響曲第2番作品14と多くの共通点を持つ作品だが、本作は委嘱作品ではなく、ショスタコーヴィチ自身の意思によって1929年夏、コーカサス地方のグダウタという保養地で作曲が進められた。初演は1930年1月21日、モスクワ=ナルヴァ文化会館においてアレクサーンドル・ガーウク指揮のレニングラード・フィルハーモニー管弦楽団と国立アカデミー・ア・カペラ合唱団によって行なわれた。

この作品についてショスタコーヴィチは「わたしはプロレタリアートの国際的連帯の祝日の一般的気分のみをつたえようとした。ソヴェト連邦の平和な建設を表現したかったのである。たたかい、エネルギー、それに『たゆまぬ精神』の要素は、この交響曲に赤い糸となってつらぬいている」(『世代』1930年1月21日号:ショスタコーヴィチ自伝, p. 26)と語り、翌年に当時の創作活動を振り返った文章の中では「自分の考えでは、ソヴェト音楽文化の発展において何らかの価値のあると思われるものはただ一つ、いろいろ欠点はありはするが『メーデー交響曲』だけである」(『労働者と演劇』1931年第3号:ショスタコーヴィチ自伝, p. 29)とコメントしている。さらに、1940年にも「たえずわたしは、作曲するさいに、自分たちの生きているこの時代とソヴェト人の思想と感情とを反映した音楽をつくりたいと願っている。『十月にささげる』(結びの合唱つき)、『メーデー交響曲』などのすべての交響曲、『新しいバビロン』『一人の女』『出会った人』『黄金の丘』それにマクシム三部作などの映画音楽はみなそういう気持ちでつくった」(『夕刊モスクワ』1940年12月11日号:ショスタコーヴィチ自伝, pp. 101-102)とこの作品について言及している。

単一楽章で後半部分に政治的な内容の歌詞を持った合唱が入るという点において、本作品は交響曲第2番作品14の姉妹作として捉えられることが多いが、その内容においては若干の違いがある。ショスタコーヴィチは1929年に「私は大学院の修士作品として、『メーデー交響曲』を思い描いている。この作品は第2交響曲『10月革命に捧げる』とは、全く異なった性格をもっている。第2交響曲が闘いにおいて役割を果たしてるとすると、『メーデー交響曲』は平和な建設の祝祭的な気分を現していると表現することが出来るだろう。聴衆への影響を強めるために、終曲部分に詩人キルサーノフの詩による合唱を導入している」という風に、この2つの作品を比較している。旋律性を否定するかのような前衛的手法に満ちた交響曲第2番に対し、本作品では同じ旋律を繰り返し用いることなく、ひたすらわかりやすい旋律を次から次へと並べていくところが特徴的だ。

全体の響きはいかにもショスタコーヴィチ的で、様々な可能性を意欲的に探っている作曲家の姿が作品の背後に聴き取ることができる。とはいえ、セミョーン・キルサーノフの詩による合唱部分はもちろんのこと、あまりに散漫な前半部分も正直言ってあまり感心しない。特に、前半と後半との接続部である練習番号88からのくだりは、退屈。寺原伸夫氏の解説によると各旋律には固有の描写的な意味合いがあるようで、確かに納得はできるのだが、だからといって曲が面白く聴けるということにはならない。全15曲に及ぶショスタコーヴィチの交響曲の中で、駄作の部類に入るといって過言ではないだろう。交響曲第2番の前衛性と交響曲第3番のとめどない歌謡性は、交響曲第4番作品43において芸術的な実を結ぶこととなる。この2作品に政治的な“裏の意味”を読むことは聴き手の自由だが、筆者にはやはり純粋に実験的な作品であるようにしか思えない。

この曲については、意外に西側の演奏家が優れた演奏を残している。ヴァンスカ/BBCスコティッシュSO他(BBC)のライヴ盤が特に素晴らしい。引き締まったテンポと爽やかな響きが、平明だが退屈なこの曲を魅力あるものに仕上げている。合唱も含めてロシア風の響きには乏しいが、むしろその透明感が良い方向に作用している。散漫な構成にもかかわらず手堅くまとめあげたヴァンスカの力量に感服する。ショスタコーヴィチの交響曲全てにこういうアプローチが通用するわけではないが、この曲に関しては文句なしにベストと言えよう。地味だが充実感のある名演。インバル/ウィーンSO他(Denon)盤も格調高い名演。この曲でこういう仕上げができるとは思わなかった。過度に分析的でもなければ、過度に情熱的でもない。金管楽器や打楽器の大音響でごまかすこともなく、ごくオーソドックスにスコアを再現しているだけなのだが、実にスケールの大きい立派な演奏となっている。合唱も立派すぎる位だが、曲全体の中でよくバランスがとれている。

ロシア系の演奏家によるものとしては、ロジデーストヴェンスキイ/ソヴィエト国立文化省SO他(Melodiya)盤が凄い。アクの強い音色と、凶暴なまでにオーケストラを煽り立てるようなロジデーストヴェンスキイの棒を堪能できる名演。あまり出来の良くないこの曲に対してこれほどまでに本気で臨んでいることも異常だが、これほどまでに内容や魅力を引き出しているのもまた凄い。冗長な曲にも関わらず、最初から最後まで間然とすることなく聴き通してしまう。ロストロポーヴィチ/ロンドンSO他(Teldec)盤も、強烈な表現意欲と、引き締まった音楽の流れが大変素晴らしい。技術的にも不満は全くなく、この作品が持つ平明な楽想を素直に表出している。後半の合唱も立派な出来で、この作品に不釣り合いな程格調高い響きが全曲の締めくくりにふさわしい。他に、スメターチェク/プラハ放送SO他(Praga)盤が幾分暴力的なまでの力強さに満ちた演奏で面白い。粗っぽくなる部分も多いが、この曲を面白く聴かせるためにはこれ位で丁度良いのかもしれない。全体の勢いは合唱が入る後半でも変わらず、合唱のやや鋭めの響き(やや男声が弱いが)と相まって、演奏に独特の統一感がもたらされている。

ヴァンスカ盤
(BBC BBCP 1005-2)
インバル盤
(Denon COCO-75444)
ロジデーストヴェンスキイ盤
(Victor VICC-40001/11)
ロストロポーヴィチ盤
(Teldec 4509-90853-2)
スメターチェク盤
(Praga PR 254 055)

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Last Modified 2008.05.13

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