2003年4月、モスクワのボリショイ劇場でバレエ「明るい小川」の復活上演が行われました。ある方のご好意で公演パンフレットも入手することができましたので、この機会に「明るい小川」についてのデータをまとめておくことにしました。記述の誤りや補足等ございましたら、是非ご一報下さいますよう、お願いいたします。
概説 |
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1935年に初演された、ショスタコーヴィチ3作目のバレエ音楽。歌劇「ムツェンスク郡のマクベス夫人」作品29と並んで「プラウダ批判」の槍玉にあげられたために作品の名前自体は非常によく知られているが、「ムツェンスク郡のマクベス夫人」の方は再評価が進んで取り上げられる機会が増えてきたのに対し、この「明るい小川」は依然として一定の評価を獲得するには至っていない。この作品は、当初「気まぐれ」「ふたりの優雅な女」「クバン」などのタイトルで構想されていた、F. ロプホーフとA. ピオトロフスキイの台本によるコルホーズでのソヴィエト生活をテーマにしたバレエである。
初演時のプログラムに掲載された、ショスタコーヴィチ自身による「私の三番目のバレエ」という文章の中に書かれている大まかな筋は次の通り:ソヴィエトの芸能人の一団がクバンに行き、その地のコルホーズ員達と出会う。コルホーズ員達は当初芸能人などというものを何か別世界の人のように思って、どう近づいてよいか分からない。芸能人の方も、彼らとすぐには共通の言葉を見つけられない。しかしながら、両者はたちまち打ち解けてしまった。なぜなら、コルホーズと芸能という違いこそあれ、共に社会主義社会を築こうとしているのにかわりはなかったからである。クバンの大自然の中での恋が、互いを一層近づける。
この文章を読むと、資本主義者やらファシストやらが出てくる「黄金時代」や、不良労働者が出てくる「ボルト」と同様に、共産主義思想のプロパガンダ的内容が含まれているようにも思える。しかし、初演の舞台をほぼ忠実に再現したとされる2003年公演のプログラムに掲載されたあらすじを読む限りでは、そうした堅苦しい印象は一切ない。収穫祭の準備に盛り上がる集団農場(コルホーズ)「明るい小川」に、収穫祭に招待された芸能人の一団がやってくる。近隣の別荘地に住むブルジョアっぽい老夫婦を狂言回しに、華やかな芸能人に心を奪われた亭主を皆でこらしめる。要するに、たわいもない喜劇である。コルホーズという現代的な舞台ではあるものの、前二作の「黄金時代」や「ボルト」とは異なり、思想的な主題はほとんど含まれていない。音楽も、ショスタコーヴィチが自ら語ったように「楽しい、軽快な、気分の浮きたつようなもので、主として舞踏風のもの」である。実際、結構大衆受けした舞台だったらしく、評判は悪くなかったようだ。しかしながら、初演から半年以上経った1936年2月5日、プラウダ紙上に掲載された論文「バレエの偽善」で酷評されることになる。
この論文自体は、先に発表された「音楽のかわりに荒唐無稽」とは異なり、ショスタコーヴィチの音楽を直接的に批判している訳ではないが、この論文以降、この作品は極めて低い評価しか与えられないことになる。「音楽は台本の諸欠陥をのり越えることができなかった。……彼の音楽は表面的な軽薄なものになっていた。アサーフィエフが適切に批評したように、『コルホーズの内容をあらわすのに苦心した彼は、よせ演芸の辞典の一ページ、すなわち“三文音楽”を借りてきてその問題を解いた』のである。コサック踊りのゆたかな音楽をひきだすことに失敗した彼は、このバレーに必要な民族的色彩を失い、“コルホーズ”のバレーの総譜に、彼の“工業的な”バレー『ボルト』の抜すいが縫いあわされてしまった。これらすべては、バレーとしてのソヴェトのテーマに近ずく(原文ママ)には、非常な慎重さを必要とするという作曲者のことばと矛盾した結果をもたらした。バレーはコルホーズのほんとうの生活の暗示さえ含んでいない。より単純でより明快ではあるが、この音楽は初期の二つのバレーのグロテスクなものを思いおこさせた。」(井上頼豊:ショスタコーヴィッチ, 音楽之友社, p. 58, 1957.)こうした辛辣な批評に傷付いたのか、当初「三度目の試みでも不成功におわらぬとは保証できないが、そうなったとしても、わたしは四回目にもソヴェト・バレーの作品にとりくむ計画を捨てはしないだろう」と語っていたショスタコーヴィチは、この後二度とバレエ作品を手がけることはなかった(ショスタコーヴィチの作品を利用して、他人がバレエとして上演した例は少なからずある)。
“民族音楽”云々というのは、1948年のいわゆるジダーノフ批判の中で、ムラデーリの歌劇「偉大な友情」に対しても全く同じような批判が加えられる。また「“コルホーズ”のバレーの総譜に、彼の“工業的な”バレー『ボルト』の抜すいが縫いあわされてしまった」というくだりなど、音楽の出来を評価しているとは到底思われないような批判は、客観的に読むと滑稽なほどだ。つまり、これが“批判のための批判”であったことは明らかである。しかしながら、当時の社会情勢においてこの類いの批判は致命的であり、こうして「明るい小川」は“幻の作品”になってしまう。
とはいえ、「明るい小川」の音楽が完全にお蔵入りになっていた、というわけではない。実際、このバレエ音楽の何曲かは、様々な形態に編曲されて広く聴かれていた。最も有名なものは、L. アトヴミャーンによってまとめられた「バレエ組曲」と作曲者自身が作ったピアノ曲「人形たちの踊り」であろう。いずれも原曲の旋律を生かしながら自由に再構成されているが、これらの作品が広範な人気を博していることからも、決して「明るい小川」の音楽そのものが失敗作だったとは言えないだろう。確かに、交響曲や弦楽四重奏曲に聴かれるショスタコーヴィチを期待していると肩透かしを食うほど、この作品は“大衆的”な楽曲ばかりから構成されている。前二作「黄金時代」と「ボルト」では初期作品に典型的な耳障りな響きが満ちていたが、この作品ではチェロ・ソナタ作品40にも通じる親しみやすさが前面に出ている。前衛的な作風が特徴的なショスタコーヴィチ初期の作風と、意外なまでに抒情的な旋律が多いショスタコーヴィチ中期の作風との転換点にあたる作品ということもできるだろう。
作曲者自身が1945年に編集した組曲39aは5曲から構成されており、いずれも「バレエ組曲」に収録されている曲である:
初演から10年も経って、どうしてわざわざ「組曲」を発表したのか、その経緯は知られていない。「黄金時代」や「ボルト」と異なり、この組曲は全くと言って良いほど演奏されない。それがプラウダ批判の影響なのか、組曲の構成から演奏効果があがらないからなのかは判断しかねるが、いずれにしてもこのことが「明るい小川」だけが“幻”になってしまったことに少なからず影響しているのは確かだろう。
1990年代に入り、DSCH出版社がショスタコーヴィチ作品全集の出版を計画し、初めてこの曲のスコアも整理された。ロジデーストヴェンスキイによる全曲盤(Chandos CHAN 9423)は、こうした流れの中でリリースされた。「ボルト」から転用された曲と繰り返しの曲は収録されていないが、こうやってまとめて実際の音で聴いてみると、確かにこれをショスタコーヴィチの代表作と言うつもりはないものの、決してそう悪くない作品だということが分かるだろう。
端的に言って、バレエに限らず“お伽話”を作品の題材として取り上げることのなかったショスタコーヴィチには、バレエという分野は不向きだったのかもしれない。しかし、それが個々の楽曲の価値を損なうわけではない。いかにもショスタコーヴィチらしいリズムと響きに加えてメロディアスな魅力が満載のこの作品を、滑稽な舞台を思い浮かべながら、是非多くの人に楽しんでもらいたいと思う。
別荘の住人の妻(M. ロストフツェフ、E. ロプホワ) | 別荘の住人(P. グーセフ) | バレリーナ(F. バラビナ) |
作品データ |
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F. ロプホーフ(1920年代) | 上演スタッフ |
[作曲]
1934年〜1935年
[初演]
[楽器編成(組曲)]
piccolo, 2 flutes, 2 oboes, cor anglais, E flat clarinet, 2 B flat clarinet, 3 basson(III = contra basoon), 4 horns, 3 trumpets, 3 trombones, tuba, timpani, triangle, side drum, cymbals, glockenspiel, harp, strings
[全曲初演時のスタッフ]
初演時プログラム | 初演ポスター |
バレエのあらすじ |
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【第1幕】
第1場:
北コーカサス鉄道の支線の一つに沿った広大なステップの、ある道端でちょっとした休息をとっている。初秋。地方の集団農場では、収穫と秋の播種が完了していた。
首都にある劇場から芸術家の一団が、野良作業の終わりに催される収穫祭のために、その地域に到着することになっていた。近くの集団農場、明るい小川の構成員数人は、その客人達を出迎えるべく、立ち止まっていた。その中には、集団農場の活動家達がいた。 ガヴリーリチは、長年に渡って進歩的であったが、人生の喜びに満ちて何にでも興味を持つ男である。学生のガーリャと彼女の友達は、芸術家達に渡すための花束を持っている。農学生のピョートルと妻のジーナは、地域の娯楽担当である。最後に到着したのは2人の別荘住人、すなわち年輩の男と若作りをした彼の妻である。この2人は退屈しきっていて、芸術家の訪問をぼんやりと眺めて立ち止まっていた。客人の到着を待っていると、夢見がちなジーナが読書に没頭している。陽気な男である彼女の夫ピョートルは、彼女の気をそらそうと周りの人に協力を求める。結局、ジーナ抜きで駅のホームへと進む。
興奮した群衆が、芸術家達と共に戻ってくる。そこには、バレリーナと彼女のパートナー、そして手風琴奏者がいた。
娯楽担当のジーナは、立ち止まっているバレリーナに、彼女のトラックの中で挨拶する。彼女らは、旧友同士であることに気づく。というのも、彼らはかつて同じバレエ学校で学んでいたからだ。その後ジーナは農学生であるピョートルと結婚したので、彼女は彼と一緒に集団農場で働いていた。そこでは、誰も彼女がかつてバレリーナだったなどと考えもしなかった。その場に残っていた2人の友人同士は、不思議そうにお互いを見つめる。
「踊り、忘れちゃった?」バレリーナが尋ねる。しかし、田舎暮しにもかかわらず、ジーナは踊りの技術を忘れてはいなかった。そして、それを証明しようとする。2人は競いあってどちらがより昔のレッスンをよく覚えているかを示そうとした。ガヴリーリチとピョートルが現れる。彼らはジーナとバレリーナに惹きつけられて立ち止まる。
ジーナはバレリーナに彼女の夫を紹介する。バレリーナに夢中になって、ピョートルは彼女に言い寄り始める。ジーナは、嫉妬の感情に襲われる。
第2場:
日が暮れようとしている。黄金色の小麦の束の中で野営しながら、「明るい小川」集団農場からやってきた労働者達は楽しげに明日の計画を練る。明日は、収穫祭である。芸術家達の一団が到着する。ガヴリーリチは労働者達に彼らを照会する。
労働者達と芸術家達は、お互いに挨拶をする。即席の祝賀会が行われる。芸術家達は、最もインパクトのある労働者達に配るために持参したプレゼントを見せる。ガヴリーリチには蓄音機、搾乳婦には絹のドレスであった。
受賞者達は賑やかに祝福され、陽気に踊り出す。最初に踊り出したのは、白い髪と髭の「品質検査員」とガヴリーリチであった。
別荘の住人が、いつものように現れる。彼らは無理やり拍子をとらされ、そして冗談のつもりで古風なシャコンヌを踊る。それから、ジーナが組織したアマチュア・グループのメンバーである数名の若い娘達がやってくる。しかし、注目を集めたのは搾乳婦であった。皆は、素敵な新しいドレスを着た彼女の踊りを見たがる。搾乳婦はトラクター運転手と踊る。お祭り騒ぎは一層盛り上がる。ガヴリーリチは彼の新しい蓄音機をかけ、客人である芸術家達に踊りを頼む。
集団農場の労働者達を失望させたくはなかったので、普段着で踊ることは嫌だったが、芸術家達は彼の依頼を受ける。彼らは小麦の束の中で即興的に踊る。彼らの踊りは、様々な受け取られ方をした。労働者達は喜んでその踊りを見たが、別荘の住人は芸術か個人にのみ目を向けていた(夫はバレリーナに心を奪われ、一方で妻はバレリーナのパートナーに惹かれていた)。ジーナは、自分の夫に嫉妬していた。
若い農学生であるピョートルは、控え目で気取りのない自分の妻と比べて華麗で才能に溢れているように見えるバレリーナに、ますます魅了される。
手風琴奏者は、女学生のガーリャに一緒に踊らないかと誘いかける。
クバンとコーカサスから来た若い労働者達が陽気で好戦的な踊りになだれ込み、参加者達を魅了する。お祭り騒ぎは最高潮に達する。
結局、集まっていた仲間達は休憩に誘われる。皆が退場すると、年老いた別荘の住人がバレリーナの耳にまた会いたいと囁く。彼の妻も同様に、バレリーナーのパートナーに誘いをかける。その間にピョートルは、バレリーナと退場する。ジーナは非常に取り乱し、泣き始めてしまう。若者達はガヴリーリチとともに、彼女をなだめようとする。するとバレリーナが戻ってきて、ジーナに彼女の夫に手を出すつもりはないと断言する。バレリーナは、ジーナもかつてはバレリーナであったことを若者達に話すよう、促す。
ジーナは納得し、再び2人の友情の踊りを踊る。驚いたことに、バレリーナはピョートルと他の者達をからかってみようと提案する。その内容は、次のようなものである:バレリーナはパートナーの衣装を着て、自分の方が年輩であることを心配している別荘の夫人に会いに行く。バレリーナのパートナーは、女性の衣装を着て別荘の住人と逢い引きしに行く。ジーナは、バレリーナの衣装を着て彼女の夫に会いに行く。この計画は採用される。
【第2幕】
第3場:
暖かい、南国のような夜。空気は澄み、ブッシュや樹木に囲まれている。若者達は集合している。別荘の住人夫婦も、いつものように遅れて登場する。手風琴奏者は、先ほど一緒にとても楽しく踊った女学生のガーリャのことが好きになっている。彼は彼女に、すぐ戻るので待っていて欲しいと囁く。ガーリャは、非常に当惑する。別荘の住人とその妻、そしてピョートルは、彼らが逢い引きする“愛しい人”のことを思い浮かべている。若者達は、彼らに指導を施す決心をする。彼らはすばやく変身する:バレリーナはパートナーの衣装に、パートナーは女性の衣装に、ジーナは友人の舞台用の衣装に。滑稽さを増すために、トラクターの運転手は犬の衣装を着用する。全員の準備が整う。ガーリャは、手風琴奏者からの逢い引きの申し出を受け入れる。このことで、彼らが注意深く練った計画がばれて台無しになる恐れがあったが、トラクターの運転手がそれを救う。彼は、ガーリャにある計画を持ちかけた。その計画とは、ガーリャは手風琴奏者の誘い通りに彼と会うのだが、犬に変装したトラクターの運転手が、手風琴奏者がガーリャに近づくことを許さない、というものであった。彼の計画は採用された。ガーリャは“犬”のコールカを引き連れて、手風琴奏者を待つ。手風琴奏者が現れるが、邪魔な犬の存在にとてもいらいらさせられる。その犬は極めて獰猛に見え、彼のことを攻撃し続ける。結局、手風琴奏者は自分が笑いものにされていることに気づき、機嫌よくそれを受け入れて、主要な計画に参加する。
年輩の別荘の住人が、自転車をこぎながら現れる。彼はバレリーナに好印象を与えたいがために、スポーツ用のギアを入れている。彼は銃と弾薬、双眼鏡で着飾っている。来るべき出会いのことを考えるだけで、彼は非常に興奮する。彼の妻が、同じ場所に現れる。彼女は、バレエ・ダンサーを驚かせるためにトゥシューズを履いている。いよいよ、計画が実行に移される時がやってきた。突然、別荘の住人は木の茂みの中に美しいバレリーナ、彼のシルフィードの姿を目にする。実際のところ、それは女性の扮装をしたバレリーナのパートナーだったわけだが、彼はそのことに気づかない。彼のことをじっと見ていた彼の妻は、彼の火遊びに反対して彼を追い回す。しかし、今度は彼女が、まだ犬の格好をしたまま自転車に乗っているトラクターの運転手に驚かされる。パートナーの服を着たバレリーナが現れ、別荘の住人の妻をからかう。結局、彼らはどちらも走り去る。農学生のピョートルが入場する。彼は、離れた柱のかげから、バレリーナが来るのを待っている。しかし彼は、バレリーナに変装した自分の妻と出会う。彼は、彼女を見失う。戯れに、ジーナはブッシュの中に身を隠す。この抒情的な情景は、どたばた喜劇に押し退けられる。年輩の別荘の住人とバレリーナに扮した男性ダンサーが駆け込んでくる。“ロマンティックな情熱”はかつてないほどに高まる。男性用の服を着たバレリーナは、ブッシュの陰から出てきて情景を織り成す。彼女は、別荘の住人から決闘を申し込まれる。滑稽な決闘が行われる。最初に撃ったのは変装したバレリーナだった。彼女は失敗する。別荘の住人は銃を手にしている。彼はおびえていたが、狙いを定める。それと同時にガヴリーリチがバケツで大きな音を立てると、老人は自分が発砲したのだと思い込む。すぐにバレリーナのパートナーが、あたかも自分が撃たれたかのように地面に倒れる。ずっとした別荘の住人は、逃亡する。彼が姿を消すとすぐに、“犠牲者”は息を吹き返し、喜んだ陰謀者達の笑いに囲まれながら踊る。
【第3幕】
第4場:
翌日の早朝。収穫祭の日。
牧草地には、芸術家達のための即席の舞台が準備されている。全ての座席は埋まっている。
農学生のピョートルは、公演が始まるのを不安な気持で待っている。というのも、昨晩森のなかで会った(と思い込んでいる)バレリーナに会うことができるからだ。
しかし、彼が非常に驚いたことには、本当にそっくりな衣装を着た二人の踊り手が舞台に登場する。彼女らは覆面で顔を隠している。彼女らの踊りが終わると、ピョートルはたまらず彼女らの元へと駆け寄る。彼女らは覆面をとり、秘密を打ち明ける。バレリーナの一人が自分の妻であることを知ったピョートルは、おどおどしながら彼女に許しを乞う。結局、彼らは仲直りをする。ピョートルは、この経験から、彼の慎ましいジーナが第一級の労働者であるとともに素晴らしいバレリーナでもあることを学んだ。収穫祭は、老若男女全員が客人である芸術家達と手を取り合って終わる。
第2幕 | 第3幕 |
バレエの構成 |
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Hulme著「Dmitri Shostakovich: a Catalogue, Bibliography, and Discography, 3-ed.」(Scarecrow Press, 2002)を参考に、ロジデーストヴェンスキイ指揮の全曲盤(Chandos CHAN 9423)との対応関係を表にまとめてみました。ロジデーストヴェンスキイ盤に収録されていない曲には、色をつけてあります。
場面(台本) | No. | 標題 | 速度表記 | 備考 | 他作品からの流用 |
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第1幕:集団農場(「明るい小川」) | |||||
第1場:初秋、道端での休息 | |||||
序曲 | 1 | 序曲 | Allegro | バレエ『ボルト』第14曲「機械の踊り」 | |
芸能人の一団の到着 | 2 | ジーナとピョートルのアダージョ | Adagio - Allegro - Allegro vivo | ||
3 | 行進曲 | Allegretto | |||
2人の女友達の情景(ジーナとバレリーナ) | 4 | 友人同士の出会い | Allegretto | ||
踊りの試験 | 5 | 踊りの試験 | Allegretto - Tempo di mazurka | ||
陰謀の始まり(ジーナの夫とピョートルが、バレリーナに夢中になる) | 6 | 行進曲 | Allegretto | 第3曲と同一 | |
間奏曲 | 7 | 情景とワルツ―間奏曲 | Allegretto | ジャズ組曲第1番第1曲 | |
第2場:日は暮れて | |||||
野良仕事の終わりとプレゼントの配布 | 8 | 祝宴 | Allegro | ||
各種の踊り | 9 | ロシアの踊り | Allegro | ||
10 | シャコンヌ | Andantino | バレエ『ボルト』第23曲「乞食女の踊り」 | ||
11 | 若い娘の踊り | Andantino | バレエ『ボルト』第37曲「粉挽き娘の踊り」 | ||
12 | 乳搾り女とトラクターの運転手の踊り | Moderato con moto | |||
13 | バレリーナのワルツ | Tempo di valse | |||
14 | 喜劇的な踊り(ガーリャと手風琴奏者) | Allegro | |||
15 | 山の原住民とクバンの男の踊り | Presto | |||
ジーナの嫉妬 | 16 | 出発 | Allegro | 第8曲の変奏 | |
17 | ジーナの嫉妬 | Allegretto | 第4曲と同一 | ||
ジーナがかつてバレエ学校の学生だったことを明かす | 18 | ジーナの職業の暴露 | Allegretto - [Tempo di mazurka] | 第5曲と同一 | |
同意(ジーナとバレリーナが、互いの立場を入れ替える) | 19 | 陰謀 | Allegro | バレエ『ボルト』第13曲「コムソモール員の入場」 | |
第2幕:森林地帯の開拓地にて | |||||
第3場 | |||||
ピクニックと夕方の集会への招待 | 20 | 集会への招待 | Adagio | ||
ジーナの変装の情景(バレリーナに扮する) | 21 | 盛装の情景 | Allegro | ||
手風琴奏者とガーリャの入場と踊り | 22 | 手風琴奏者とガーリャの入場 | Andantino | ||
23 | タンゴ | Allegro - Andante - Allegro | バレエ『ボルト』第29曲「コゼルコフと友人の踊り」 | ||
年輩の避暑客をからかう | 24 | 年輩の夫婦をからかう | Allegretto | バレエ『ボルト』第10曲「破壊行為をする人(間奏曲)」(バレエ『黄金時代』第18曲「VIPと…の会話」) | |
25 | アダージョ:集会への到着 | Adagio | |||
26 | ワルツ:女性のドレスを着たバレエ・ダンサーの変奏 | Allegretto | |||
27 | パートナーの衣装を着たバレリーナの変奏 | Allegro | |||
28 | コーダ | Allegro | |||
ピョートルと変装したジーナのアダージョ | 29 | アダージョ:ピョートルとバレリーナの衣装を着たジーナ | Adagio | 第2曲の拡大版 | |
30 | 陰謀者の踊り | [Moderato] | |||
31 | ジーナの変奏 | Presto | |||
32 | コーダ | Allegro | |||
踊り:「殺人者」の演出 | 33 | 踊り:「殺人者」の演出 | Allegretto poco moderato | ||
「殺人者」の変奏 | 34 | 「殺された女性」の変奏 | Allegro | ||
ィナーレ:コーダ | 35 | フィナーレ:コーダ | Presto | ||
第3幕:収穫祭(翌日の早朝) | |||||
第4場 | |||||
間奏曲「スイング」 | 36 | 間奏曲「スイング」 | Allegro molto | ||
行進曲「収穫祭」 | 37 | 行進曲「収穫祭」 | [Tempo di marcia] | ||
ワルツ | 38 | ワルツ | Andantino | 第7曲と同一 | |
陰謀の暴露の情景 | 39 | 暴露の情景 | Andantino - [Adagio] - Presto | バレエ『ボルト』第10曲「破壊行為をする人(間奏曲)」(バレエ『黄金時代』第18曲「VIPと…の会話」) | |
壮大なアダージョ(ピョートルとジーナの仲直り) | |||||
バレエ・ダンサーの変奏 | 40 | バレエ・ダンサーの変奏 | Allegro | ||
バレリーナの変奏 | 41 | バレリーナの変奏 | Allegretto | ||
ジーナの変奏 | 42 | ジーナの変奏 | Allegro | ||
コーダ | 43 | コーダ | [Presto] | バレエ『ボルト』第43曲「アポテオーゼ」 | |
終幕の踊り | 44 | 終幕の踊り | Allegro | バレエ『ボルト』第21曲「コムソモール員の踊り」 |
2003年公演データ |
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[初演]
2003年4月18日
[スタッフ]
[配役]
[関連リンク]
2003年公演の構成 |
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2003年公演のパンフレットに掲載されている各場面に、筆者の推測で各曲を対応させたものを表にまとめました。ロジデーストヴェンスキイ指揮の全曲盤(Chandos CHAN 9423)に収録されていない曲には、色をつけてあります。この表でもわかるように、2003年公演は基本的に、原曲を忠実に再現しているようです。2幕構成になっていますが、場面はきちんと対応しており、第4場を若干縮小することでバランスをとっているようです。
場面 | No. | 標題 |
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第1幕 | ||
第1場 | ||
序曲 | 1 | 序曲 |
情景:a)読書に耽るジーナのソロ b)ジーナとピョートルのデュエット c)出迎えの集団の退出(ガヴリーリチ、トラクター運転手、山の住人、川の住人、ガーリャ、搾乳婦、ジーナ、ピョートル) | 2 | ジーナとピョートルのアダージョ |
芸能人の一団の到着(別荘の住人、バレリーナ、バレエ・ダンサー、手風琴奏者、ガヴリーリチ、トラクター運転手、山の住人、川の住人、ガーリャ、搾乳婦、ジーナ、ピョートル) | 3 | 行進曲 |
二人の女友達の情景(ジーナ、バレリーナ) | 4 | 友人同士の出会い |
踊りの試験(ジーナ、バレリーナ) | 5 | 踊りの試験 |
最初の陰謀(ジーナ、バレリーナ、ピョートル、ガヴリーリチ) | 6 | 行進曲 |
大ワルツ:a)口説くピョートル(ピョートル、バレリーナ) b)大ワルツ(コルホーズの人々、ピョートル、ジーナ) | 7 | 情景とワルツ―間奏曲 |
第2場 | ||
祝宴:a)野良仕事の終り(コルホーズの人々、品質検査員) b)プレゼント贈呈 | 8 | 祝宴 |
デヴェルティスマン:a)ガヴリーリチと品質検査員の踊り | 9 | ロシアの踊り |
b)シャコンヌ(別荘の住人) | 10 | シャコンヌ |
c)ジーナと彼女の友人の踊り | 11 | 若い娘の踊り |
d)搾乳婦とトラクター運転手の踊り | 12 | 乳搾り女とトラクターの運転手の踊り |
e)バレエ・ダンサーのワルツ | 13 | バレリーナのワルツ |
40 | バレエ・ダンサーの変奏 | |
f)ガーリャと手風琴奏者の踊り | 14 | 喜劇的な踊り(ガーリャと手風琴奏者) |
g)山の住人と川の住人の踊り | 15 | 山の原住民とクバンの男の踊り |
退場(品質検査院、コルホーズの人々) | 16 | 出発 |
嫉妬するジーナと彼女の職業の暴露(ピョートルと別荘の住人を除く全出演者) | 18 | ジーナの職業の暴露 |
陰謀(ピョートルと別荘の住人を除く全出演者) | 19 | 陰謀 |
第2幕 | ||
第3場 | ||
集会への招待(ジーナ、ピョートル、バレエ・ダンサー、別荘の住人、手風琴奏者、ガヴリーリチ、ガーリャ、トラクター運転手、搾乳婦、山の住人、川の住人) | 20 | 集会への招待 |
変装の情景(ピョートル、別荘の住人、手風琴奏者を除く全出演者) | 21 | 盛装の情景 |
手風琴奏者とガーリャの踊り: | 22 | 手風琴奏者とガーリャの入場 |
a)タンゴ(手風琴奏者とガーリャ) | 23 | タンゴ |
b)犬の情景(手風琴奏者、ガーリャ、トラクター運転手、搾乳婦、ガヴリーリチ、山の住人、川の住人、バレリーナ、バレエ・ダンサー、ジーナ) | 24 | 年輩の夫婦をからかう |
別荘の住人の退出 | ? | |
集会:a)アダージョ(バレエ・ダンサー、別荘の住人、バレリーナ、自転車に乗ったトラクター運転手) | 25 | アダージョ:集会への到着 |
b)妖精の変奏(バレエ・ダンサー、別荘の男住人) | 26 | ワルツ:女性のドレスを着たバレエ・ダンサーの変奏 |
c)男の衣装を着たバレリーナの変奏(バレリーナ、別荘の女住人) | 27 | パートナーの衣装を着たバレリーナの変奏 |
d)コーダ(バレエ・ダンサー、バレリーナ、別荘の住人) | 28 | コーダ |
ピョートルとバレリーナの衣装を着たジーナのデュエット(ジーナ、ピョートル、バレエ・ダンサー、搾乳婦、トラクター運転手、ガーリャ、ガヴリーリチ、山の住人、川の住人):a)アダージョ | 29 | アダージョ:ピョートルとバレリーナの衣装を着たジーナ |
b)ピョートルの変奏 | ? | |
c)ジーナの変奏 | 31 | ジーナの変奏 |
d)コーダ(バレエ・ダンサー、バレリーナ、ジーナ、ピョートル、別荘の住人 | 32 | コーダ |
「殺人者」の演出(ジーナとピョートルを除く全出演者) | 33 | 踊り:「殺人者」の演出 |
コーダ:a)ワルツ=макабр | 35 | フィナーレ:コーダ |
b)陰謀者の踊り | 30 | 陰謀者の踊り |
第4場 | ||
野菜の行進曲(ガヴリーリチ、ピョートル、搾乳婦、トラクター運転手、ガーリャ、山の住人、川の住人、品質検査院、コルホーズの女達) | 37 | 行進曲「収穫祭」 |
バレリーナの変奏 | 41 | バレリーナの変奏 |
2人の要請(ジーナ、バレリーナ) | 42 | ジーナの変奏 |
ジーナのコーダ(ジーナ、ピョートル、バレエ・ダンサー) | 43 | コーダ |
終幕の踊り(全員) | 44 | 終幕の踊り |
2003年公演パンフレットの目次 |
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2003年公演のパンフレットは、全46ページに及ぶ実に充実した内容を持っています。
内容 | 言語 | Page | 備考 |
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あらすじ | 露 | 2 | |
あらすじ | 英 | 5 | 上記「あらすじ」の英訳。 |
プログラム | 露 | 8 | |
私の三番目のバレエ | 露・英 | 10 | 1935年の公演プログラムに掲載されたショスタコーヴィチの文章。 |
「明るいフィルム」から「明るい小川へ」 | 露・英 | 12 | J. Rayskin氏による解説。英語は抄訳。 |
時代の漂流物を通り抜けて | 露・英 | 21 | A. Gordeyeva女史によるロプホーフに関する解説。英語は抄訳。 |
バレエの偽善 | 露・英 | 26 | 1936年2月5日の「プラウダ」紙に掲載された論文。 |
不真面目な悲劇の精神 | 露 | 30 | M. Trofimenkov氏による文章。 |
リハーサル時の写真集 | 露 | 33 | |
出演者紹介 | 露・英 | 34 |
バレエ組曲 Sans op. P(i) |
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「バレエ組曲」は、ショスタコーヴィチが自分のバレエ音楽、劇音楽および映画音楽から適当な曲を選んでまとめたものを、L. アトヴミャーンが再配列した作品である。ショスタコーヴィチがまとめたのは第3番までであり、第4番は恐らくアトヴミャーンの発案による編集だと思われる。オーケストレイションは原曲と大きく異なる部分も多く、特に第4番では原曲から主題の旋律だけを拝借しているだけと言っても過言ではない仕上がりである。当初ショスタコーヴィチが示した曲順と、現在広く聴かれているアトヴミャーン版の曲順とは異なっており、収録曲にも若干の差異がある。各曲の構成やオーケストレイションは必ずしも原曲通りではなく、これは恐らくアトヴミャーンの手によるものだろう。出版譜はアトヴミャーン版であるため、ほとんどの録音がこの配列によるが、ごく初期の録音はショスタコーヴィチ版で行われている(ガーウク/全ソ・ラジオSO(第1番)・スタセーエヴィチ/モスクワ放送SO(第3番))。アトヴミャーン版とショスタコーヴィチ版の内容を、以下の表にまとめる。表中、収録曲に差異がある部分には色をつけてある。なお、バレエ組曲の各曲は、複数の曲をつなぎ合わせて構成しているものも多く、表中の“原曲”とは必ずしも一対一対応しているわけではない。各曲の出だしに対応する原曲を記しているだけと理解していただきたい。
アトヴミャーン版 | ショスタコーヴィチ版 | 原曲 | ||
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No. | タイトル | No. | タイトル | |
第1番(1950年出版) | ||||
1 | 抒情的ワルツ | 第1番第1曲 | ワルツ ト短調 | ジャズ組曲第1番第1曲 |
2 | ダンス(ピッツィカート) | 第1番第4曲 | ピッツィカート・ポルカ | バレエ「明るい小川」第41曲 |
3 | ロマンス | 第1番第6曲 | バレエ「明るい小川」第4曲 | |
4 | ポルカ | 第1番第2曲 | ダンス | バレエ「明るい小川」第28曲 |
5 | ワルツ‐スケルツォ | 第1番第7曲 | 小さなバレリーナ | バレエ「ボルト」第28曲 |
6 | ギャロップ | 第1番第8曲 | バレエ「明るい小川」第9曲 | |
第2番(1951年出版) | ||||
1 | ワルツ | 第2番第1曲 | バレエ「明るい小川」第42曲 | |
2 | アダージョ | 第1番第3曲 | バレエ「明るい小川」第29曲 | |
3 | ポルカ | 第2番第3曲 | ジャズ組曲第1番第2曲 | |
4 | センチメンタル・ロマンス | 映画音楽「司祭とその下男バルダの物語」より | ||
5 | 春のワルツ | 第3番第1曲 | 映画音楽「ミチューリン」より | |
6 | フィナーレ(ギャロップ) | 第2番第4曲 | バレエ「明るい小川」第15・8曲 | |
第2番第2曲 | ノクターン | バレエ「明るい小川」第25曲 | ||
第3番(1952年出版) | ||||
1 | ワルツ | 第3番第5曲 | ワルツ イ長調 | 劇音楽「人間喜劇」より |
2 | ガヴォット | 第3番第4曲 | 劇音楽「人間喜劇」より | |
3 | ダンス | 第3番第2曲 | ダンス ハ長調 | バレエ「明るい小川」第35曲 |
4 | エレジー | 第3番第3曲 | エレジー(ロマンス) | 劇音楽「人間喜劇」より |
5 | ワルツ | 第1番第5曲 | 抒情的ワルツ | バレエ「明るい小川」第13曲 |
6 | ギャロップ | 第3番第6曲 | フィナーレ(ギャロップ ヘ長調) | バレエ「明るい小川」第32曲 |
第4番(1953年出版) | ||||
1 | 前奏曲(変奏曲)―Andante(quasi Largo) | バレエ「明るい小川」第33曲 | ||
2 | ワルツ―Allegretto quasi Allegro | 映画音楽「偉大な川の歌」より | ||
3 | スケルツォ―Allegro vivo | バレエ「ボルト」第37曲 |
「バレエ組曲」第1番と第2番からG. Schirmer, Inc.が抜粋して再配列したものは、「Ballet Russe」として1953年頃に出版されている。これとほぼ同時期に、この形での録音がクルツ/コロンビアSO(Columbia ML 4671)の演奏によって残されている。
Ballet Russe | |||
No. | タイトル | アトヴミャーン版の番号 | 原曲 |
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1 | ギャロップ | 第1番第6曲 | バレエ「明るい小川」第4曲 |
2 | ピッツィカート | 第1番第2曲 | バレエ「明るい小川」第41曲 |
3 | 小さなバレリーナ | 第1番第5曲 | バレエ「ボルト」第28曲 |
4 | チェロのためのセレナード | 第2番第2曲 | バレエ「明るい小川」第29曲 |
5 | 陽気なポルカ | 第2番第3曲 | ジャズ組曲第1番第2曲 |
6 | トランペットのためのロマンス | 第2番第4曲 | 映画音楽「司祭とその下男バルダの物語」より |
7 | ワルツ | 第2番第1曲 | バレエ「明るい小川」第42曲 |
8 | ポルカ | 第1番第4曲 | バレエ「明るい小川」第28曲 |
9 | 大ワルツ | 第1番第1曲 | ジャズ組曲第1番第1曲 |
10 | ギャロップ | 第2番第6曲 | バレエ「明るい小川」第15・8曲 |
【楽器編成】
3 flutes(III = piccolo), 3 oboes(III = cor anglais), E flat clarinet, 2 B flat clarinet, 2 bassons, contrabasoon, 4 horns, 3 trumpets, 3 trombones, tuba, timpani, triangle, tambourine, side drum, cymbals, xylophone, celesta, harp(in Nos. 3 and 4), piano(in Nos. 1 and 2), strings
各種編曲 |
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L. アトヴミャーン編集のバレエ組曲だけではなく、「明るい小川」の各曲には様々な編曲がある。筆者が把握し得た範囲のものを、以下の表にまとめる。
No. | 編曲タイトル | 楽器 | 編曲者 | 録音 | 所有 |
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4 | Romance | string orchestra | Marek Sewen (?) | ○ | ○ |
Romance | viola ensemble | Georgi Bezrukov | × | × | |
Romance | Vn & Pf | Konstantin Fortunatov | × | × | |
Romance | Vc & Gt | Bryan Johanson | ○ | × | |
Romance(Dances of the Dolls Sans op. S No. 3) | Pf | Dmitri Shostakovich | ○ | ○ | |
Romance | Org. | Hervé Désarbre (?) | ○ | ○ | |
Romance | Org. | Mariya Makarova | ○ | ○ | |
9 | Galop | Org. | Mariya Makarova | ○ | ○ |
12 | Russian Lubok | Org. | Hervé Désarbre (?) | ○ | ○ |
Russian Lubok | Org. | Mariya Makarova | ○ | ○ | |
13 | Lyrical Waltz | string orchestra | Marek Sewen (?) | ○ | ○ |
Waltz | string quartet | I. Sirotin | × | × | |
Lyrical Waltz | Vc & Gt | Bryan Johanson | ○ | × | |
Lyrical Waltz(Dances of the Dolls Sans op. S No. 1) | Pf | Dmitri Shostakovich | ○ | ○ | |
Lyrical Waltz | Hp | Olga Erdeli | ○ | ○ | |
Waltz | Org. | Mariya Makarova | ○ | ○ | |
25 | Nocturne | Pf | Bronislava Rozengauz | × | × |
28 | Hurdy-gurdy | string orchestra | Marek Sewen (?) | ○ | ○ |
Polka | small stage orchestra | Dmitri Shostakovich | × | × | |
Polka | folk orchestra | Aleksandr Shirokov | ○ | × | |
Hurdy-gurdy | Vn & Pf | Konstantin Fortunatov | ○ | × | |
Hurdy-gurdy | Vc & Pf | (?) | × | × | |
Hurdy-gurdy | Vc & Gt | Bryan Johanson | ○ | × | |
Hurdy-gurdy | harp quartet | E. Kuzmicheva (?) | ○ | × | |
Hurdy-gurdy(Dances of the Dolls Sans op. S No. 6) | Pf | Dmitri Shostakovich | ○ | ○ | |
Polka | Pf | Lev Atovmyan and Bronislava Rozengauz | × | × | |
Barrel Organ Polka | Pf | Bronislava Rozengauz | × | × | |
Polka | Org. | Mariya Makarova | ○ | ○ | |
29 | Adagio | Vc & string orchestra | Saulius Sondetskis | ○ | × |
Adagio | Vc & Pf | Lev Atovmyan | ○ | ○ | |
Adagio | Vc & Pf | David Pereira | × | × | |
Adagio | Cb & Pf | Rodion Azarkhin | ○ | ○ | |
Adagio | Hr & Pf | Vitaly Buyanovsky | × | × | |
Adagio | Tub & Pf | Roger Bobo | ○ | ○ | |
Adagio | Pf | Lev Atovmyan | × | × | |
Adagio | Org. | Mariya Makarova | ○ | ○ | |
35 | Skipping-rope Dance | Pf | Bronislava Rozengauz | × | × |
41 | Polka | string orchestra | Marek Sewen (?) | ○ | ○ |
Pizzicato Dance | string quartet | I. Sirotin | × | × | |
Polka(Dances of the Dolls Sans op. S No. 4) | Pf | Dmitri Shostakovich | ○ | ○ | |
Polka pizzicato | Org. | Mariya Makarova | ○ | ○ |
私の三番目のバレエ(ショスタコーヴィチ) |
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ソヴェト生活の主題による大きなバレエを作ることは、難しくもあり責任の思い仕事でもある。だが私はその困難を恐れてはいない。踏みならされた道を行くことは易しく、危険も少ないに違いないが、退屈で面白味のない愚かな行き方である。
…ソヴェトの芸能人の一団がクバンに行き、その地の集団農場員達と出会う。この出会いは初めてのもので、集団農場員達は初めの内、芸能人などというものを何か別世界の人のように思って、どう近づいていいのかわからない。芸能人の方も、すぐには彼らと共通の言葉を見つけることができない。
しかしながら、両者はたちまち打ち解けてしまった。集団農場と芸能という違いこそあれ、ともに社会主義社会を築こうとしているのに変わりはなかったからである。クバンの大自然の中での恋が互いを一層近づける。
バレエは、極めて単純かつ素朴な筋書きである。
このバレエの音楽は、楽しい、軽快な、気分の浮き立つようなもので、主として舞踏風のものだと思う。私は観客にも演奏家にもどちらにもわかりやすく、明快、単純な音楽語法を見つけるように努めた。締まりのない音楽で、リズムとメロディにのって踊ることは難しいばかりか、率直に言ってそれはできないことだから。
いわゆる“純粋パントマイム”には、実のところ、いつも聾唖者の会話を見るような感じがする。この“現実”には、何かしら克服し難い不自然さがあるようだ。歌劇を歌抜きで(歌うことがそもそも条件になっているのだが)演ずるように、バレエから踊りをとってしまうことができるものだろうか。この条件と闘うべきではなく、それを認めなければならない。
「明るい小川」は、ソヴェト生活を主題にした私の三番目のバレエだ。最初の二作、「黄金時代」と「ボルト」は、劇ということから言えば極めて不出来だったと思う。主な誤りは、台本の作者が、バレエ劇によってわが国の現実を表現しようとしながら、バレエ劇ということを少しも考慮しなかった点にあると私は思う。バレエに社会主義の現実を反映させることは、極めて大事なことだ。上つらをなでるだけではその現実に近づくことはできない。たとえば、「情熱の踊り」あるいは労働の過程をパントマイムで表現する(槌を持って鉄を打つ)といったことでは、ドヴェト生活の主題をリアリスティックなバレエ劇とする十分な方法とはならない。
もちろん、三度目の試みでも不成功に終わらないとは保証できないが、そうなったとしても、私は四回目にもソヴェト・バレエの作品に取り組む計画を捨てはしないだろう。
(1935年、ボリショイ劇場の公演プログラムより)
バレエの偽善(『プラウダ』1936年2月5日) |
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「バレエの偽善」(1936年2月6日) |
明るい小川とは、集団農場の名前である。台本には親切にもこの集団農場の正確な所在地が示されている。そこはクバンだ。我々の前にあるのは新作のバレエで、作者達は今日の集団農場の生活における全ての活動に集中しようと試みている。音楽と踊りで描かれているのは、野良仕事の終りと収穫祭だ。バレエの作者の意図によると、集団農場の労働者達にはそれらの背後に厳しい労働がある。舞台上の人々は皆、幸せで陽気だ。バレエは軽さ、祭りの精神、若さで輝くのだろう。
集団農場の生活を知らしめようとするバレエの試みについては、誰も反対することはできない。バレエは我々の芸術のもっとも保守的な形式の一つである。革命前の聴衆の好みに適したこれらの伝統と絶縁することは、非常に困難である。これらの伝統の最も古いものは、人生に対する、人形のような虚偽の態度である。この種の傾向にうながされたバレエは、民衆ではなく人形を描く。そこで描かれる情熱は、人形のような情熱である。ソヴェト・バレエの根本的な困難は、ここでは人形が不可能だという事実である。それらの嘘は明白であり、耐え難いものであろう。
このことが、バレエの作者、演出者および劇場全体に重大な責任を課すのである。もし彼らが集団農場を舞台上に表現したいのであれば、集団農場とそこの人々、そしてそこの生活様式について学習しなければならないだろう。クバンの集団農場の生活を表現しようとしたのであれば、クバンの集団農場の生活を熟知しておくべきだった。重要な主題は、厳しく集中した学習を通して慎重に取り扱われなければならない。バレエの作者や作曲者は、その地域の民謡や舞踊、遊戯の中に彼らの非常に豊かな芸術を見いだすことができただろう。
まだ形成の過程にあるコルホーズの生活、日課、休日といった事柄は、結局のところ、意義深く非常に重要な主題である。それは、演劇にであろうと歌劇あるいはバレエにであろうと、軽々しく、十分な知識なしに扱われてはならない。新しい関係、新しい集団農場の人々を本当に大事に思っているならば、この主題を人形劇のように仕立てたりはしない。誰も我々のバレエや音楽を性急に求めているわけではない。もし集団農場がどういうものかを知らなければ、特にクバンの集団農場がどういうものかを知らないのであれば、急ぐ必要はない。学習すべきである。自らの作品を聴衆の笑い物にする理由はないが、喜びと創造的な仕事に満ちた生活を貶めてはならない。
ロプホーフとピオトロフスキイの台本によると、舞台で描かれているのはクバンの集団農場である。しかし、実のところ、クバンも集団農場もここにはない。代わりにあるのは革命前のチョコレート箱から出てきた甘ったるい“Paysans(農夫)”である。彼らは踊りで“喜び”を表現するのだが、その踊りはクバンあるいは関係する他のどこかの民族舞踊とは何ら共通していない。つい最近、今日は“集団農場の労働者”風に彩られた人形で押し込められていた、このまさにボリショイ劇場の舞台で、北コーカサスからやって来た本物の集団農場の労働者達が、第一級の民族舞踊芸術を披露した。そこでは、北コーカサスの人々に特有な特徴、すなわち個性が示されていた。これらの踊りをバレエの中で直接的に再現する必要はないが、基本にそれらを取り入れることで、民族的な集団農場のバレエを創造することができるのである。
ついでながら、台本作者達は本当らしさというものを少しも考慮していない。人形のような集団農場の労働者達が第1幕で描かれる。続く幕では、集団農場の痕跡とでも称されるようなものが全て消え去る。意味のある内容はない。バレエ・ダンサー達は、相互につながりのない曲を演じるのだ。クバンのコサックの服装とは何も共通しない服装をした何人かは、狂乱して舞台を飛び跳ねる。言葉の最も悪い意味において無意味なバレエが、舞台を支配する。
集団農場のバレエの見た目においては、チュチュを纏ったバレリーナ達によって踊られた曲の中に、嘘の民族舞踊が人工的に混入されているものを、我々は見させられた。“Paysans”は、違う時代のバレエで見られるものである。その当時は、着飾られた人形のような男女の農民や羊飼いが入場し、民族舞踊と呼ばれるものを踊っていた。これは、そのようなペテンとは違う。それは、当時の人形のような芸術だったのだ。時々、こうしたバレエの農民達は、彼らの衣装に民族学的な正確さを保護しようとした。1866年、ネクラーソフは皮肉な調子で次のように書いている:
Petipaが登場したが
農民のシャツを着ていた―劇場は不満の声でうずまいた!…
全ては―シャツの脇下のまちまで―
正確だった:帽子には花が挿してあり、
どの律動にもロシアの大胆さがあった…
このような嘘は、バレエにおいては堪え難いものであり、ネクラーソフはバレリーナに次のように嘆願するのだ:
…極楽の美女よ!
貴女は優しく、貴女は天上の光だ
ドナウの娘を踊り続けておくれ
そして農民をそっとしておいておくれ!
踊りの専門家、そして音楽の専門家である我々の芸術家達は、疑う余地もなく、その技術や歌、踊りを駆使してソヴェト人民の現代生活をリアリスティックかつ芸術的に描き出すことができる。しかしこのことを達成するためには、多くの作業と、わが国の人民の新しい生活についての真面目な勉強が必要である。また、作品や創作物の中に粗野な自然主義と美学上の形式主義が入り込むのを避けなければならない。
D. ショスタコーヴィチの音楽は、バレエ全体を通して一定の水準に達している。事実「明るい小川」では、歌劇「ムツェンスク郡のマクベス夫人」に聴かれたペテンや奇妙さ、粗野な和声は影を潜めている。バレエの音楽はより単純であるが、集団農場の労働者達ともクバンとも共通するものは全く何もない。クバンの民謡に対する作曲者の態度は、台本作者達と演出家達の民族舞踏に対する態度と同様にぞんざいなものである。それゆえ、音楽には特徴が欠如している。軽く弾き飛ばされ、何も表現しない。台本からは、集団農場のバレエの一部に作曲家の成功しなかった“工業的な”バレエ「ボルト」からの転用があることがわかる。同じ音楽が異なった現象を表現しなければならないとすれば、結果は明らかだ。実際、それが表現する唯一のことは、作曲者の主題に対する無関心さである。
バレエの作者達、すなわちプロデューサーと作曲者は、大衆が特に注文をつけることをしないので、ずる賢く高圧的な人々によって仕組まれたものを全て受け入れるだろうことを、明らかに想定している。
実のところ、求められていないのは我々の音楽・芸術の批判だけである。そうして、しばしば賞賛に値しないものが賞賛されるのだ。
Last Modified 2007.03.07