フェドセーエフのШостакович演奏(聴き比べ)


交響曲第1番ヘ短調 作品10(1992年録音)

★★★★

オーケストラの能力が十分に発揮された好演。フェドセーエフの快速テンポは、この曲には大変ふさわしい。第2楽章の最後など、いかにも、といった感じだが、好みは分かれるかもしれない。しかし、この指揮者の要求に十全に応えつつも、個性たっぷりの響きを聴かせる辺り、やはり並のオーケストラではない。


交響曲第1番ヘ短調 作品10(1996年録音)

★★★★

1992年盤と基本的に同じ解釈である。ただし、終楽章のテンポに象徴されるように、弱奏部の描写の繊細さが増している。そのために全体に格調高くスケールの大きな音楽になっているが、良くも悪くもこの曲が持っている若々しい素朴さのようなものが犠牲になっている。ただ、第3楽章と第4楽章の繋ぎの部分の美しさはこの上ない。録音も良く、各楽器の美しい音色を十二分に楽しむことができる。


交響曲第1番ヘ短調 作品10(2004年録音)

★★★★☆

オーケストラの高い技量に支えられた、隅々まで磨きぬかれた美演。力みの一切ない甘さすら感じさせる歌と立派な壮麗さは他に類がなく、聴き手によっては違和感を持つかもしれないほど。ただ、少々甘口に過ぎるところが、僕の好みではない。


交響曲第3番変ホ長調「五月一日」作品20(2003年録音)

★★★★★

名演。オーケストラの高い技量に支えられた、隅々まで磨きぬかれた響きの美しさがたまらなく魅力的。流麗な音楽の中から、今まで気づかなかった美しい響きが随所に浮かび上がってくる。この作品をこれほど楽しんで聴いたのは初めて。きびきびとした合唱も素晴らしい。


交響曲第5番ニ短調 作品47(1975年録音)

★★★★☆

何だ、この異様なテンションは!就任間もない手兵を相手に、その能力を極限まで発揮させるかのような演奏には、単に“若さ”だけでは済まされない凄みを感じる。第3楽章などの抒情的な部分では、まだ肌理の荒さが目立つが、全体に漂うすさまじいまでの気合いの入り方が、有無を言わさぬ説得力を持つ。特に金管楽器と打楽器の無節操な強奏には、生理的な快感を禁じ得ない。とはいえ、第4楽章コーダのテンポ設定など基本的な解釈自体は、後年に至るまで変化していない。録音はやや不自然な残響が気になる程度。


交響曲第5番ニ短調 作品47(1991年録音)

★★★

1991年のクーデター当日に録音されたアルバムとして、発売当初から話題を呼んだ。このコンビとしては珍しい位音程が良くないのだが、クーデターの影響だろうかと考えていたところ、録音技師によるライナーの文章を読むと、第1、2楽章についてはクーデターの前日に録音が済んでいたとのこと。したがって、そこまでクーデターの影響を読み取るのは間違いだろう。

前述した音程の悪さの他にも、どこか集中力を欠いているような些細な瑕が多い。フェドセーエフの解釈自体は揺るぎのないものだが、オーケストラがまとまっておらず、散漫な印象しか残らないのが残念。第3楽章は1975年盤に比べて、振幅の大きい叙情的な歌が印象的だが、彼らの実力を考えると特記するほどのものではない。


交響曲第5番ニ短調 作品47(1997年録音)

★★★★★

実に落ち着いた、人間臭いショスタコーヴィチ像を提示している素晴らしい演奏。このコンビには1975年盤のような“爆演”を期待してしまうが、この演奏で聴くべき部分は、第3楽章に象徴される木管楽器と弦楽器の美しい音色と抒情溢れる歌である。ムラヴィーンスキイの人を拒絶するような厳しさとは対極にある慈愛に満ちた音楽が、鮮烈な印象を残す。このように足下がしっかりしているために、金管楽器や打楽器の強奏も自然に音楽の中に溶け込んでいる。録音も素晴らしく、この演奏が持つ響きの美しさを十分堪能することができる。


交響曲第6番ロ短調 作品54(1992年録音)

★★★☆

オーケストラの技術は十分堪能できる。個人的に大好きなのは、第1楽章再現部に入るところのホルン・ソロ。これは良い。恍惚としてしまう。ただ、フェドセーエフの音楽自体にはあまり共感を誘われない。第1楽章は何を言いたいのかよく分からないし、第2楽章もうまくまとめただけ。第3楽章の非常にゆったりとしたテンポにも、これといった説得力はない。


交響曲第6番ロ短調 作品54(1997年録音)

★★★★☆

1992年盤と比較して、その音楽の深まりに驚かされる。テンポ自体は若干遅くなっているのだが、密度が非常に高いので退屈することがない。第1楽章の雄弁さは特に素晴らしい。何と大きなスケールの音楽なのであろうか。各奏者の名技も堪能できる。そして、オーケストラの響きの美しいこと!個人的にはもっと早いテンポを望みたい第2楽章も、全ての音符が丁寧に弾き込まれており、このテンポでなければならないという強い説得力を感じる。第3楽章だけは、あまりにエキセントリックに過ぎて、僕には受け入れることができない。ただし、細かい部分に凝っているので、それなりに楽しむことはできるのだが…。


交響曲第7番ハ長調 作品60(1996年録音)

★★★★

随所でテンポ設定に個性的な扱いが聴かれる。基本的にはフェドセーエフらしい颯爽とした音楽の作り。第2楽章の昼間部や第3楽章の第二主題などが好例。全体の響きは案外腰が軽くて意表を突かれるが、それは流れ重視の楽曲解釈も少なからず影響しているのかも。


交響曲第7番ハ長調 作品60(2004年録音)

★★★☆

旧盤と同様に、沸き立つような音楽の流れが前面に押し出された独特の解釈である。残念ながら、僕はこの解釈に共感することはできなかった。歴史的・政治的な背景を度外視した純音楽的な解釈と言えなくもないが、それにしても、行間に込められた情感が吹き飛んでしまっているのは問題。オーケストラが意外と冴えないことも影響しているのかもしれない。


交響曲第8番ハ短調 作品65(1985年録音)

★★★☆

典型的なモスクワ放送響サウンドの演奏。第1楽章展開部の目一杯レガートをかけた金管楽器の咆哮は、ファンにはたまらないものだろう。しかし、ライヴということもあるのか、演奏はどことなく集中力を欠いた落ち着かないもので、特に弱奏部での表現力に不満が残る。各楽器の名技が披露される第2楽章や第3楽章も、妙に単調で退屈だ。この大曲を演奏するためのハードは整っているがまだまだソフトは整備されていない、とでもいうところだろうか。


交響曲第8番ハ短調 作品65(1999年録音)

★★★★☆

このコンビの美質が十二分に発揮された、流麗かつ色彩感に溢れた秀演。特に、管楽器と打楽器の名義は圧倒的。交響曲第10番の新盤同様、抒情的な側面が強調された、実に人間臭い仕上がりになっている。深い味わいにも事欠かず、個性的な注目すべき演奏ということになるだろう。ただ、この作品にはもっと非人間的な冷たさや凶暴さが欲しいところ。筆者には、その点が物足りない。


交響曲第9番変ホ長調 作品70(1996年録音)

★★★★

オーケストラの優れた機能性に感心させられる。統率のよく取れた弦楽器と表現力豊かな木管楽器、キメ所をはずさない金管楽器および打楽器。この曲を適切に表現するために必要な技術を全て持っているとすらいえよう。第1楽章再現部に入るところでトランペットがコけているが、ご愛嬌。各楽器の名技が披露される第3楽章は圧巻。リズム感も素晴らしく模範的な演奏ともいえようが、全体に生真面目な感じが強いのが少し残念。終楽章最後の追い込みは、いかにもフェドセーエフらしい音楽。個性的だが、僕は好きです。


交響曲第10番ホ短調 作品93(1987年録音)

★★★★☆

機能的なオーケストラの響きを最大限に生かしながら、徹頭徹尾抒情的な表現で通した個性的な演奏。第1楽章にその美質が発揮されている。曲自体の持つ凄みとか巨大さはあまり感じられないが、構えることなく等身大の心情を訴えかけてくるところがユニーク。クライマックスで全くテンポが揺れないのも、極めて適切(ムラヴィーンスキイですら、テンポを若干いじっている)。素直に曲にのめり込むことのできる佳演。第2、3楽章は踏み込みの浅さが感じられるものの、第4楽章は爽やかでなかなか良い。録音の悪いのが残念。


交響曲第10番ホ短調 作品93(1998年録音)

★★★★★

格調の高い名演。旧盤同様に抒情的な音楽の運びが特徴的だが、旧盤に見られた荒っぽさはなく、磨き上げられたオーケストラの機能美にも目をみはるものがある。ムラヴィーンスキイの胃の痛くなるような緊張感よりは、カラヤンの壮麗さに近いものを感じるが、加えてスラヴ的な旋律の歌い回しとロシアン・ブラスの音色が極めて魅力的。思いの外トランペットが突出しないのが、フェドセーエフの新境地か。しなやかな弦楽器も素晴らしいが、完璧な木管楽器が凄い。


交響曲第15番イ長調 作品141(1996年録音)

★★★☆

オーケストラの高い技術に感心する。ソロの多いこの曲に関しては、このことが非常に有利に作用している。録音も素晴らしい。しかしながら、抒情性が前面に出てくるフェドセーエフの音楽は、この曲とは異質なもののように感じられる。曲の表面的な部分は十二分すぎる程に再現されているのだが、聴き手を縛り付けるような力には欠ける。


交響組曲「カテリーナ・イズマーイロヴァ」(1996年録音)

★★★★

ショスタコーヴィチの未亡人イリーナが、生前のショスタコーヴィチとも親交のあった作曲家ヴェニヤミン・バスネルに依頼して編纂された作品。その経緯と作品の内容については一柳富美子氏によるライナーに詳しい。1995年12月に、フェドセーエフとモスクワ放送響のコンビによって初演された。

世界初録音となったこの演奏は、作品の真価を適正に伝える真摯なもの。良く構成された作品ではあるが、音色の扱いに長けていたショスタコーヴィチの作品を下敷にしているだけに、声楽パートの器楽への振り分け方には正直言って無理を感じる部分もある。しかし、ほぼ原曲通りの部分に関しては、さすがに充実した響きが聴かれる。特に第2曲の怒涛の舞曲は、このコンビの実力が十二分に発揮された名演といえよう。次いで第4曲がなかなか聴かせる。第1曲のトランペット・ソロはさすがだし、チェロの渋味あふれるソロも素晴らしいが、全体にこの曲が持つ刺激的な響きが聴きやすく丸められており(これは、どちらかといえばフェドセーエフの責任だろう)、若干の不満が残る。


交響組曲「カテリーナ・イズマーイロヴァ」(ウィーン交響楽団;1997年録音)

★★★☆

初録音と比べると、たった1年位しか経っていないにもかかわらず、大分遅めのテンポをとって深みのある解釈を指向しているように感じられる。しかし、これはオーケストラがウィーン響であることが最大の原因であろう。ふくよかな音色は確かに心地好いが、ショスタコーヴィチの音楽が求めているものとは違う。ライヴでこれだけ緊張感のある演奏をしていることには感心するが(もっとも、数回のテイクを繋ぎ合わせているようだが)、モスクワ放送響と練り上げたサウンドの前では色褪せてしか聴こえない。


映画音楽「ピロゴーフ」作品76より「ワルツ」(1992年録音)

★★★★☆

こんなマイナーな曲を大編成のオーケストラで録音するとは、何と贅沢なことだろう!冒頭の弦楽器、主題を奏でるクラリネットの美しさにいきなり耳を奪われる。トランペットやホルンの個性豊かな響きも素晴らしい。しっかりとした低音のリズムにのって、繊細かつ豪放なワルツが流れていく様は、まさにロシアン・ワルツの真髄を見せつけられるかのよう。極めて自然な音楽の流れは、フェドセーエフがオーケストラを完全に手中に収めていることの証である。


映画音楽「馬あぶ」作品97より「ロマンス」

未聴


映画音楽「馬あぶ」作品97より「ロマンス」(独奏:M.シェスタコフ(Vn);1998年録音)

★★★★★

非常な美演かつ名演。ゆったりとしたテンポで濃厚な抒情を歌い上げていくところに、フェドセーエフの真骨頂がある。全く手抜きをせずに最初から最後まで充実した響きが聴かれ、聴いた後の満足感は筆舌に尽くしがたい。ロシアの音楽以外の何ものでもないのだが、極めて洗練された音楽になっているところが特徴的。


ピアノ協奏曲第1番ハ短調 作品35(独奏:E.マリニン(pf)、V.ゴンチャロフ(tp);1984年録音)

未聴


ピアノ協奏曲第1番ハ短調 作品35(独奏:P.グルダ(pf)、V.ゴンチャロフ(tp);1992年録音)

★★★★☆

この演奏は何といっても、ゴンチャロフのトランペットが素晴らしい。オーケストラも音色とリズム感も非常に優れており、非常に立派な出来。比較的小さい編成で室内楽的な響きにまとめられることの多い曲だが、ここでのフェドセーエフはいつものモスクワ放送響サウンドで勝負しているのが大変好ましい。ただ、このもったいぶったテンポ設定はソリストの希望なのかもしれないが、ちょっといただけない。肝心のピアノは平凡だが、丁寧な繊細さを感じさせる。オーケストラに比べると線が細く感じられるのは、仕方のないことだろう。


ピアノ協奏曲第2番ヘ長調 作品102(独奏:P.グルダ(pf);1993年録音)

★★★★★

フェドセーエフの伴奏は、この曲に対する印象を一変させるほど凄いもの。これほどまでに充実した、濃密な音楽に仕上げるとは!抜群のリズム感とロシアの情感あふれる節回し、そして絶妙の音色。これらが、この曲にしては尋常ならざるといえる厚く熱い響きの上で何と魅力的に繰り広げられていることか。第1楽章の熱気とスケールの大きさに圧倒された後、第2楽章のショスタコーヴィチにはあるまじきロシアの憂愁に満ちた抒情にノックアウトされてしまう。第3楽章の軽妙さに頬を弛めない人はいないだろう。木管楽器の鮮やかさには舌を巻くし、ホルンとティンパニも素晴らしい。グルダのピアノはやや線が細いものの、しっかりとしたリズム感で安心して聴くことができる。バックに扇られて素晴らしい音楽を奏でているのは微笑ましい。曲自体も、第1番よりは彼に適しているようだ。何とも魅力的な演奏である。


オラトリオ「森の歌」作品81(1991年録音)

★★★★☆

1962年に改訂された歌詞による演奏。ただし、冒頭のフレーズだけはオリジナルの歌詞を用いている。これは、原詩では最初の一単語を入れ替えるだけの変更で、我々日本人が普通に聴いている分には全くといってよいほど分からない。

さて、この曲の演奏には否応なく思想的な問題が絡んできてしまうが、1991年のクーデター3日前という微妙な時期の録音だけに、演奏者達の思惑もさまざまであっただろうことが想像される。しかし、そこはプロフェッショナル。実に素晴らしいまとまりを呈している。いたずらに絶叫するタイプの演奏ではないが、極めて機能的な美しさを発揮しているオーケストラにのって、ロシア情緒あふれる合唱(ややバスが弱いが)、貫禄に満ちたヴェデルニコフのソロが非常に美しく流れている。全ての声部のバランスが周到に整えられていることで、この曲がいかに巧みに作られているかがよく分かる。加えて、個々の楽器の織りなす綾が鮮明に描き出されていることも特筆すべき事だろう。このような解釈はムラヴィーンスキイの演奏にも見られたが、これは録音があまりに悪いためによく分からないのに対し、フェドセーエフ盤の録音は優秀なのが嬉しい。響きの美しさにこだわるフェドセーエフは第4曲を少女のみで歌わせたが、これはそれほど効果的とも思えない。しかし、第5曲への繋ぎの部分がこれほどまでに美しい演奏は他にないだろう。極めて純音楽的に楽しめる録音ではないだろうか。


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Last Modified 2006.05.20 inserted by FC2 system