名盤(声楽曲)

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オラトリオ「森の歌」作品81

ショスタコーヴィチを語る際、決してはずすことのできない作品。1948年のジダーノフ批判によってショスタコーヴィチがどのような苦しみを味わったのか、あるいはいかなる生命の危機を感じ取ったのか、これは本人でなければ分からないことであるし、ましてや時代も国も共有したことのない筆者には推測すらすることができない。一般に“体制に迎合した”とされる一連の作品(映画音楽「ベルリン陥落」、「森の歌」、「革命詩人による10の詩」、「我が祖国に太陽は輝く」など)と、その中で作曲しつつも引き出しにしまいこんでいた作品群(ヴァイオリン協奏曲第1番、「ユダヤの民族詩より」、弦楽四重奏曲第4番)や、問題作「反形式主義的ラヨーク」が同時期に作曲されていたことを考えると、ショスタコーヴィチという天才の実像がますます見えなくなってくるような気もする。

ショスタコーヴィチの全ての作品をソ連という国家との関わりの中で捉えてしまうのはさすがに乱暴な議論だが、ことこの曲に限っていえば体制との関わりを無視するわけにはいかない。また、その視点からさまざまな憶測を巡らすと、時に恐ろしくなるような“裏の”意味が隠されているようにも見えてくる(作曲家の吉松隆氏が面白おかしく取り上げていた)。作曲された時の状況が状況だけに、「音楽だけに耳を澄ますべきだ」というのも逆に乱暴な意見だろう。当時のソ連の聴衆も、恐らく様々な思惑をもってこの曲を聴いたに違いない。

しかしながら決して忘れてはいけないことは、この曲が実に効果的に、聴きやすく仕上げられているということだ。しかも、ショスタコーヴィチの個性(和声やリズムなど)も強烈に聴き取ることができる。確かにけばけばしい曲だけに好き嫌いは分かれるだろうが、作品としては非常によくできていることもまた事実だ。いや、聴く度に感じる高揚感を考えると、やはり“名曲”といってよいだろう。この曲が日本でも広く受け入れられたことが、そのことを端的に示している。イデオロギーだけで芸術作品は受け入れられたりしない。「体制の圧力に屈して作られたのだから駄作だ」というのは全く根拠のない暴論だし、「当時のショスタコーヴィチのことを考えると、聴くのが辛い」というのは、ソ連でショスタコーヴィチと同じ時代を生きた人ならともかく、遠く離れた日本に生まれ育った人が軽々しく口にすべき言葉でないだろう。ただの偽善だ。

上記の考えから、この曲については無理に悲劇性を読み取ったり、音楽の盛り上がりをそらぞらしくしたりするような解釈は望ましくない、というのが筆者の考えである。批判に応えて作られた曲らしく、そこで望まれたように演奏されることこそ、この曲の真価を明らかにしてくれるのではないだろうか。ということで、まずはスヴェトラーノフ/ソヴィエト国立SO他(Melodiya)を取り上げたい。これは、1962年改定版の歌詞による演奏。第2楽章でソプラノが入り損なうという大きなミスを犯しているが、それ以外はやや荒っぽい演奏ではあるけれども不満はない。むしろ、全体を覆う異様なまでの昂奮に心奪われる。ソリストのマースレンニコフとの気持ちよさそうな歌唱は、まさにロシアの自然を描き出しているかのよう(やや気ままに過ぎるが)。合唱はしっかりとしたバスに乗った、典型的なロシアン・ヴォイスで心地好いことこの上ない。そしてスヴェトラーノフ率いるソヴィエト国立響の凄絶な音響は、この曲のあるべき姿を示している。ロシア語がネイティヴと同等によく分かる場合には聴くに耐えない演奏なのかもしれないが、対訳を見ないと内容が分からない普通の日本人にとって、先入観なしにこの演奏を聴いて政治的な嫌悪感を感じる人は皆無だろう。ただし、ロシア的な嫌味はてんこ盛り。しかし、このこってりとした重厚さこそ、この曲に対してショスタコーヴィチ本人が望んだものではないだろうか。作曲当時のショスタコーヴィチの状況は悲劇的だったかもしれないが、そのこととこの曲をことさらに悲劇的に演奏することとは話が違う。最終和音の、肺から血を吹き出さんばかりの、想像を絶するフェルマータ&クレッシェンドこそ、この演奏の特質を端的に示している。ここまでやって聴衆を有無を言わさぬ昂奮のるつぼに落し入れて初めて、「この曲は一体何なのだ」と考えることができるのだ。

一方、初演者ムラヴィーンスキイ/ソヴィエト国立SO他(Melodiya)による演奏は、スヴェトラーノフ盤に劣らぬ異様な昂奮に加えて、この曲が名曲であることをはっきりと示しているのが凄い。初演の約一ヶ月後のスタジオ録音。録音状態はかなり悪い。オーケストラがソヴィエト国立交響楽団ということで(初演時はレニングラードPO)、いつもと違うモスクワ流派の野太く泥臭い響きがするのが特徴的。この曲の場合、それがすべてプラスの方向に出ている。とにかくソリスト、合唱団を含めて全部の音色が理想的。当時のソ連音楽界が持っていた底力を痛感させられる。ペトローフはやや気ままに歌う傾向があるが、ムラヴィーンスキイがしっかりと手綱を握っているのがよく分かる。1曲目ではムラヴィーンスキイのテンポ変化にオーケストラがついていけない瞬間も感じられるが、2曲目からは完全にムラヴィーンスキイの音楽になっている。3曲目の出だしなどは交響曲第5番や第8番の世界。これでタイトルが「過去の思い出」ということになると、何となく裏の意味を探りたくなるというものだ。そしてムラヴィーンスキイの凄さが全開になるのは5曲目。「スターリングラード市民は行進する」というタイトルから色々と詮索する向きもあるだろうが、とにかくここではショスタコーヴィチの音楽とムラヴィーンスキイの解釈とが完璧に一致し、とてつもない音楽が繰り広げられている。そして、7曲目のフーガの扱いなどは、やはり並みの指揮者ではできない巧みなものである。1、6曲目での合唱の美しさも特筆すべきものであろう(やや女声がきついが)。全体を通して、ムラヴィーンスキイのきびきびとした音楽の運びと、徹底的にスコアを読みこんだ上での曖昧さのない解釈が光る名盤。

歌詞の内容以前にこの曲の持つ色彩に馴染めない聴き手にとって最も薦められるのは、ユロフスキイ/ケルン放送SO他(Capriccio)。これは、いわゆる“純音楽的”なアプローチでかなり成功している演奏で、過剰に激することもない代わりに、曲に対する自然な共感を失っていることもない。大げさな身振りがないために、ショスタコーヴィチの作曲手腕を素直に堪能することもできる。ソ連という国が亡くなった今、この曲を演奏するにはこういう方向しかないという説得力に満ちている。が、しかし、終楽章に物足りなさが残るのも否めない。

スヴェトラーノフ盤
(Victor VICC-2115)
ムラヴィーンスキイ盤
(Victor VDC-25005)
ユロフスキイ盤
(Capriccio 10 779)

ステパーン・ラージンの処刑 作品119

交響曲第13番のテキストを書いた、エヴゲーニイ・エフトゥシェーンコの長篇叙事詩「ブラーツク水力発電所」の一章「ステパーン・ラージンの処刑」を元にして作曲された。初演は1964年12月、モスクワ音楽院大ホールにて、ヴィターリイ・グロマーツキイのソロ、ロシア共和国合唱団、キリール・コンドラーシン指揮のモスクワ・フィルハーモニー管弦楽団の演奏によって行われた。演奏者の顔ぶれを見ても分かるように、この曲は交響曲第13番作品113と対をなす作品として構成された。

曲は、俗に“ステンカ・ラージン”として知られる(ラージンは貧しい家の出だったので、革命前には彼の名前を縮小形の“ステンカ”と呼ぶのが慣わしであった)農民一揆の指導者が処刑される状況を描いたものである。刑場へと曳かれていくラージンと、それを見る群衆の喧噪の描写に始まり、人間の不屈な精神と虚偽、暴力との闘いを示すラージンの独白の後、ラージンの処刑が行われる。この処刑を通して民衆は覚醒し、ラージンは精神的な勝利をおさめることになる。陰気な埋葬の鐘の音が響き渡った後に静寂があり、最後の幻想的な場面が続く。切り落とされたラージンの首が刑吏と闘い続け、皇帝の玉座が揺れ動く。民衆の怒りを思わせるオーケストラの力強いフィナーレによって曲が終わる。

大きなスキャンダルとなった交響曲第13番と比べると、ロシアの歴史的な題材(「ステンカ・ラージンの乱」は1670〜1671年)を扱った、一種の民衆オペラ劇とも呼べるこの曲には表立った批判は加えられなかった。その代わりに、ショスタコーヴィチの主要作品の中からはほぼ完全に忘れ去られた形になっている。しかしながら、緻密に構成されたなかなかの名曲であるだけに、このまま陽の目を浴びずに放っておくのは非常に惜しい気がする。

この曲にはたった5種類しか録音がないが、内3種類が素晴らしい演奏であることが嬉しい。グロマーツキイ(B)、ロシア共和国合唱団、コンドラーシン/モスクワPO(Melodiya, LP)の初演者達による初録音は、早すぎもせず遅すぎもしない適切なテンポ設定が、非常に説得力のある音楽の流れを生み出している。独唱と合唱を含め、皆が理想的な音色を奏でているのが素晴らしい。技術的にも極めて水準の高い演奏であり、単に初演者による演奏という以上の価値を持ち合わせている。群衆の興奮を描写した最初の部分の土臭い雰囲気も優れているが、ラージンの独白や処刑の場の場面における幻想的な響きも模範的。この曲のリファレンスとなりうる演奏であろう。早急なCD化が望まれる。しかし、この方向でもっと凄いのはグロマーツキイ(B)、BBC合唱団、ロジデーストヴェンスキイ/モスクワ放送SO(intaglio)によるイギリス初演時のライヴ録音である。Hulmeの資料によるとオーケストラはBBC響ということになっているが、CDにはモスクワ放送響とクレジットされている。ホルンの幾分こもった響きを聴くと、BBC響のように思えるが、確証はない。しかし、演奏団体うんぬん以前に典型的なソ連の響きに満ちており、全く不満はない。それよりも、全体を覆っている異様なテンションの高さが凄い。特に最初の部分の凄みにはただただ圧倒される。演奏時間も他の録音とく比べて断トツに早いが、音楽的な内容に直結しているだけに不自然な印象はない。終演後の熱狂的な拍手にも、納得できる。録音が非常に悪く、処刑の場面の鐘の音は大きく歪んでいるが、演奏そのものの魅力を高く評価したい。

一方、ヴォーゲル(B)、ライプツィヒ放送合唱団、ケーゲル/ライプツィヒ放送SOによる個性的な名演も忘れるわけにはいかない。何という透徹した響きだろう!ソヴィエトの合唱とは異なって男声の強さに違和感を覚えなくもないが、むしろそのバランスを逆手にとって、どこまでも透明で背筋が凍るような冷たい響きを実現している。ヴァイオリン・ソロをはじめとする各楽器のソロの恐ろしい音色にもただただ感嘆するのみ。いかにケーゲルがオーケストラを手中に収めきっているかがよく分かる。タンバリンのような打楽器の音色も活かされ尽くしており、演奏芸術の極致を見せ付けられるかのよう。

コンドラーシン盤
(Dante LYS 568-573)
ロジデーストヴェンスキイ盤
(intaglio INCD 7371)
ケーゲル盤
(Philips 434 172-2)

革命詩人による10の詩 作品88

1951年に作曲され、同年度のスターリン賞第2席を受賞した作品。初演は、1951年10月10日にモスクワ音楽院大ホールにてスヴェシニコフ指揮の国立ロシア声楽合唱団及びモスクワ合唱学校少年合唱団の演奏で行われた。作曲年から容易に推測されるように、1948年のジダーノフ批判に従った、いわゆる「体制寄り」の作品の一つである。19世紀末と20世紀初頭の革命詩人の詩が取り上げられており、ここでは1905年の第一次革命前後の革命家達の苦しみや怒り、そして希望が高らかに歌い上げられている。音楽自体も、当時の革命歌をふんだんに盛り込み、典型的なロシア民謡のイントネーションを持ちつつも、明瞭な調性に基づいた健康的な響きに仕上げられており、当時のソヴィエト音楽に求められていた事柄を最良の形で実現した作品ともいえるだろう。

しかしながら、ショスタコーヴィチ初めての無伴奏合唱曲となったこの曲では、このジャンルではあまり見られない器楽的な効果も織り込みながら標題音楽としての魅力を十分に引き出しているところに、作曲家の優れた力量を伺うことができる。また、弦楽四重奏曲のように色彩の変化に乏しいと考えられがちな編成から多様な響きを実現し、さらに深く思索的な雰囲気を醸し出すこともできたショスタコーヴィチの才能は、この無伴奏合唱曲でも存分に発揮されている。所詮、我々日本人の多くはこの曲を聴きながら瞬時に歌詞の内容を理解できるわけではないのだから、純粋に合唱の響きを楽しむ聴き方もアリではないだろうか。共産主義体制との軋轢にばかり注目していては、いかなる困難な状況下でも作曲を続けた(しかも天才的な傑作を数多く!)ショスタコーヴィチに失礼というものだろう。ソ連はすでに消滅したが、ショスタコーヴィチの音楽はこれから未来永劫残っていくのだし。

イデオロギー的な色合いが強いことと、ロシア語であることなどが理由なのだろうが、この曲の録音は非常に少ない。CDで全曲を聴くことのできる録音は2種類あり、いずれも好演である。サンドレル/レニングラード放送合唱団(Melodiya)盤は、長らく入手可能な唯一の録音であった。典型的なロシアの合唱で、その厚みのある声がこの曲には大変ふさわしい。特にバスの充実した響きが極めて魅力的である。やや早目のテンポでぐいぐいと突き進む演奏は、独特な迫力を持っている。したがって、第1、3、6、8、9、10曲のようにテンポが速い、聴き手を何かに駆り立てるような曲において特に素晴らしい仕上がりを見せている。一方第2、4、5、7曲のようにテンポの遅い曲においても、やや早目のテンポ設定から生じる緊張感に加えハーモニーも美しく、無伴奏合唱の魅力も十分に味わうことができる。この透明感には、もし歌詞が分かったら一発で革命思想に洗脳されてしまいそうな、そんな独特のオーラを感じてしまう。1998年の最新録音ポポフ/モスクワ合唱アカデミー(Saison Russe)盤は、非常によく整えられた、表現力のある充実した合唱である。ただ、バランスが整えられ過ぎているというか、男声の力強さに欠けるのが物足りない。その分全体の透明感が増しているので、ここは個人の嗜好の問題だろう。テンポはやや遅めでじっくりと歌い込まれているが、もう少し推進力も欲しい。

CDにはなっていないが、演奏内容で考えるならばミーニン/モスクワ室内合唱団&ノヴォシビルスク室内合唱団他(Melodiya、LP)がこの曲最高の演奏と言えるだろう。速めで引き締まったテンポ設定をはじめ、細かいデュナーミクに至るまで、まさに楽譜に忠実な理想の演奏。それを実現している演奏者の正確かつ清潔な技術も、真に驚嘆すべきもの。とりわけ音程の正確さが、ともすれば声質の魅力だけで聴かせてしまう、やや荒っぽさを持ったロシアの合唱というイメージを塗り替える。終曲のみ児童合唱が付加されるが、そこでも技術の不足を感じさせることなく、多彩な音色という演奏者の意図がきちんと伝わってくる。最後に、初演者スヴェシニコフ/ロシア・アカデミー合唱団(Melodiya、LP)の録音も挙げておきたい。模範的な作品解釈に加え、ロシアの合唱の醍醐味を満喫できるのが嬉しい。録音が悪いのは残念だが、良い意味で垢抜けない響きがたまらない。全体にゆったりとしたテンポで、朗々かつ風格豊かな仕上がりとなっている。初演者による録音という歴史的な意味に加え、ショスタコーヴィチが思い描いていた響きの原点を知るという意味でも、聴き逃すことのできない一枚である。

サンドレル盤
(Victor VICC-2038)
ポポフ盤
(Saison Russe
RUS 288 160)
ミーニン盤
(Melodiya C10 20301 003,
LP)
スヴェシニコフ盤
(Melodiya 33 D 05642-43,
LP)

プーシキンの詩による4つの歌曲 作品46

プーシキンの没後100周年(1937年)を記念して、1936年12月から1937年1月2日にかけて作曲された。この作品についてショスタコーヴィチは「わたしは、プーシキンの詩によって四つのロマンスを書きあげた。けれども(十二のロマンスとして)すっかりそろうまでは発表をさしひかえたい」(『自伝』,p.83)と述べており、当初はもっと大規模な連作歌曲にする意思のあったことが窺える。この連作は1936年8月1日に「悪魔」から作曲が始められたが、この曲は作品46には収録されていない。結局この連作は4曲でまとめられ(理由は分からない)、1940年12月8日にモスクワでバス歌手アレクサーンドル・バトゥーリンとショスタコーヴィチ自身のピアノによって初演された。管弦楽伴奏用編曲作品46aは1937年に第1〜3曲まで行われたが、なぜか第4曲だけは手がけられないまま放置された。管弦楽伴奏版の初演については、不明である。

「復活」「しっと深い娘がはげしく泣きながら若者を責めていた」「予感」「スタンス」の4曲から成るこの作品は、“芸術家についての芸術家の思索”(伊東一郎氏)というショスタコーヴィチが好んで取り上げたテーマを扱った最初の歌曲である。短いながらも意味深な歌詞は、プラウダ批判を受けて交響曲第4番作品43の初演を差し控え、交響曲第5番作品47で名誉挽回する直前のショスタコーヴィチの状況を連想させる。また第4曲「スタンス」の中には、1936年5月30日に長女ガリーナが誕生したこととの関連を窺わせるような歌詞(可愛いこどもをあやしながら すぐさまわたしは考える。さようなら きみに席を譲ろう。わたしは枯れる時 きみは花の盛りだ。(小林久枝訳))もある。

中でも第1曲「復活」は、交響曲第5番の終楽章を解釈する上で決して避けて通ることができない曲である。冒頭の音型が終楽章の主題と同じであることの他、コーダ直前で伴奏音形が引用されている部分の歌詞(かくて苦しみぬいた私の魂から かずかずの迷いが消えてよき はじめの頃の清らかな日々の幻影が 心のうちに湧きあがる!(小林久枝訳))は、この謎につつまれた交響曲を理解する重要な鍵となる。

曲調は、交響曲第4番や5つの断章作品42と並んで初期ショスタコーヴィチの“前衛時代”を締めくくるにふさわしい、謎めいた美しさに満ちている。確かに晩年の歌曲ほどの重要性には乏しいが、上述した“深読み”する目的だけで聴くには惜しい歌曲である。

現在のところCDで聴くことのできるピアノ伴奏版は、グルボキイ(B) & ラッスドヴァ(Pf)(Saison Russe)盤一つだけである。しかしこれはピアノに若干物足りなさが残るものの、歌自体は立派な演奏。張りのある歌声で、単調に陥ることなくまとめている。とりあえず不満は感じない。一方、管弦楽伴奏版も録音が多いとは言えないが、それでもいくらか選択の余地がある。中でもレイフェルクス(B)、N.ヤルヴィ/エーテボリSO(DG)が傑出している。レイフェルクスの堂々とした歌唱も素晴らしいが、地味ながらも適切に独特の音世界を再現しているヤルヴィの伴奏もまた素晴らしい。立派な風格のある名演。バビキン(B)、ユロフスキイ/ケルン放送SO(Capriccio)も、曲の美しさを十分に再現した好演。ぞっとするような暗さや寂寥感といったものはそれほど感じられないが、曲本来の素朴な味わいが素直に表出されている。

この他、ロジデーストヴェンスキイによる編曲版もサフィウーリン(B)、ロジデーストヴェンスキイ/ソ連国立文化省SO(Melodiya)盤で聴くことができる。作品46aとの主な相違点はクラリネット以外の木管楽器も導入されていることであるが、やや凝り過ぎている部分もあるものの、全体的にはきちんとショスタコーヴィチ作品の雰囲気が出ているといえる。特に第1曲で交響曲第5番終楽章と同じくハープが鳴る部分などは、大変面白い。演奏は手堅いもので、これといった冒険はないが安心して独特の音楽世界を楽しむことができる。

グルボキイ盤
(Saison Russe
RUS 288 089)
レイフェルクス盤
(DG POCG-1789)
バビキン盤
(Capriccio 10 777)
サフィウーリン盤
(BMG 74321 59057 2)

イギリスの詩人の詩による6つの歌曲 作品62(140)

レニングラード攻防戦の最中、1942年に疎開先のクーイブィシェフにて作曲された作品。そばにいた妻や、遠く離れた友人達に献呈された(第1曲:レフ・タヂェヴォソヴィチ・アトヴミャーン(作曲家)、第2曲:ニーナ・ヴァシーリエヴナ・ショスタコーヴィチ(妻)、第3曲:イサーク・ダヴィードヴィチ・グリークマン(音楽学者)、第4曲:ユーリイ・ヴァシーリエヴィチ・スヴィリードフ(作曲家)、第5曲:イヴァーン・イヴァーノヴィチ・ソレルティーンスキイ(音楽学者)、第6曲:ヴィッサリオン・ヤーコヴレヴィチ・シェバリーン(作曲家))。初演は1943年6月6日、モスクワ音楽院大ホールにてバリトン歌手エフレム・フラクスとショスタコーヴィチ自身のピアノによって行われた。

ここでは「息子へ」「雪と雨の降しきる野で」「処刑の前のマクファーソン」「ジェンニ」「ソネット66」「王様の行軍」という6つの詩が使われ、第1曲と第5曲がそれぞれウォルター・ローリーとウィリアム・シェイクスピア、第2〜4曲はロバート・バーンズの詩、第6曲は民謡である。ロシア語訳はマルシャークとパステルナークのものが採用されている。

この作品で示された清澄ながらも複雑で深い情感は、どこか謎めいた諷刺に満ちた歌詞と共に大変印象深い。これは、完全に後期作品の特徴でもある。事実、ショスタコーヴィチは「処刑の前のマクファーソン」を交響曲第13番の第2楽章で引用しているし、「ソネット66」は後年ネステレーンコと共演した演奏会などで取り上げたりもしている。そしてこの特徴は、1971年に作品140として管弦楽伴奏用編曲がなされたことでより一層明らかなものとなった。作品140の初演は1973年11月30日、モスクワ音楽院大ホールにて行われた。演奏者は不明だが、おそらくネステレーンコの独唱、バルシャイ指揮のモスクワ室内管弦楽団によって行われたものと推測される。ピアノ伴奏版も十分に完成された作品ではあるが、管弦楽伴奏版はより一層、この私的な(それは献呈された人達や、この作品についての公的な発言がないことから窺える)作品の真価を伝えるものである。ちなみに、作品140とは別に作品62aという作曲者自身の管弦楽編曲もある。こちらは作曲者の生前に公開演奏された記録がないが、なぜ“お蔵入り”してしまったのかは分からない。作品62aのスコアがないので詳細な比較はできないが、どちらも効果的かつショスタコーヴィチらしいオーケストレイションであるものの、作品140の方がより少ない音数で雄弁な響きを引き出しているように筆者には感じられる。

ピアノ伴奏版(作品62)では、クズネツォフ(B) & セローフ(Pf)(René Gailly)盤が優れている。ピアノがやや軽いことと歌の表情がやや明るすぎる部分が僕の好みとは違うものの、なかなか充実した好演。特にクズネツォフの美声は素晴らしい。だが決定的な演奏となると、管弦楽伴奏版(作品140)のネステレーンコ(B)、バルシャイ/モスクワ室内O(Victor)盤を挙げないわけにはいかない。これは、独唱もオーケストラも共に圧倒的な名演。解釈から音色に至るまで、ショスタコーヴィチが意図したものを完璧に再現している。美しくも力強い、まぎれもなくショスタコーヴィチ後期の響きだ。サフィウーリン(B)、ロジデーストヴェンスキイ/ソヴィエト国立文化省SO(Melodiya)も素晴らしい。独唱、オーケストラ共に不足のない充実した出来。やや暗めのサフィウーリンの声質が曲調によく合っているが、何よりもロジデーストヴェンスキイ独特の強烈な音色の対比と粘着質なリズムが素晴らしい。後期様式を強く反映したオーケストレイションよりも、作品本来がもつ中期の力強さが前面に出ている。これらの名演に比べると分が悪いが、スレイマノフ(B)、ユロフスキイ/ケルン放送SO(Capriccio)もなかなか。オーケストラは暗く落ち着いた良い音を出しているが、ソロがやや弱いのが惜しい。結果として、中期の作品というよりは後期作品らしい色調が前面に押し出された演奏となっている。これはこれで悪くない。逆にレイフェルクス(B)、N.ヤルヴィ/エーテボリSO(DG)は、ソロの素晴らしさに比べてオーケストラが冴えない。どこか鈍重なリズムが、第3、6曲の鋭い諷刺には物足りない。それ以外は地味ながらも深い味わいの感じられる佳演。

作品62aには、サフィウーリン(B)、ロジデーストヴェンスキイ/ソヴィエト国立文化省SO(Melodiya)の素晴らしい演奏がある。これは独唱、オーケストラ共に不足のない充実した出来。やや暗めのサフィウーリンの声質が曲調によく合っているが、何よりもロジデーストヴェンスキイ独特の強烈な音色の対比と粘着質なリズムが素晴らしい。オーケストレイションの違いが影響しているのか、作品本来がもつ中期の力強さが前面に出ているのが面白い。

クズネツォフ盤
(René Gailly
VTP CD92 041)
ネステレーンコ盤
(Victor VICC-40082/83)
スレイマノフ盤
(Capriccio 10 778)
レイフェルクス盤
(DG POCG-1789)
サフィウーリン盤
(BMG 74321 59057 2)

ユダヤの民族詩より 作品79

ジダーノフ批判真っ盛りの1948年8月1日から10月24日にかけて作曲されたが、初演はスターリンの死後1955年1月15日まで差し控えられた。ドルリアク(S)、ドルハーノヴァ(MS)、マースレンニコフ(T)の3人の歌手とショスタコーヴィチ自身のピアノによって、レニングラード・グリンカ・ホールにて初演された。一方、管弦楽伴奏版作品79aは1963年に完成したとされ(自筆譜には1948年10月1日の日付がある)、1963年10月1日に旧東ベルリンでクローネン(S)、ブルマイスター(A)、シュライアー(T)、K. ザンデルリンク指揮のベルリンSOによって初演された。ザンデルリンク自身がインタビューで述べているところによると、ショスタコーヴィチ本人からこのスコアを渡されたらしい。インタビューの中でザンデルリンクは初演の年を1962年と言及しているが、おそらく1963年の間違いであろう。ソ連当局はこの初演を知らなかったらしく、従来は1964年2月19日、ゴーリキイ市で開催された第2回現代音楽祭にてピサレンコ(S)、アヴデーエヴァ(MS)、マースレンニコフ(T)の3人の歌手とロジデーストヴェンスキイ指揮のゴーリキイPOによる演奏が世界初演だとされてきた。

1948年夏、ショスタコーヴィチは、アカデミー会員Y. ソコローフが出版の準備をしていた「ユダヤ民謡集」を知った。新聞売り場でこの本を偶然見つけたとも伝えられているが、詳しいことは分からない。この「ユダヤ民謡集」にはロシア語に翻訳された詩だけが載っており、音楽は全く記されていなかった。この詩集に強い印象を受けた作曲家は、「幼子の死を悼む」「気配りのよいママとおばさん」「子守歌」「長い別れの前に」「警告」「捨てられた父親」「貧乏の歌」「冬」「よい暮らし」「乙女の歌」「幸福」という11篇を選び出し、それらに曲をつけた。ショスタコーヴィチ家に保管されている詩集には、非常に注意深い読みと入念なテキストロジー上の作業の痕跡が残されている。この歌曲集の構成は、ショスタコーヴィチ独特の音楽的な論理に従っている。全11曲は、“ユダヤ人の運命”を語る4つの大きなテーマに分けられる。すなわち、苦難を被る子供達(第1〜3曲)、別離によって引き裂かれる関係(第4〜6曲)、貧困(第7、8曲)、豊かさ(第9〜11曲)である。ただし、ここではユダヤ民謡の中でも重要な「迫害」と「信仰」というテーマがはずされており、この辺りに体制への配慮が見て取れる。

しかし、この曲の内容を理解する上で、当時のソ連国内の社会情勢を無視するわけにはいかない。1948年といえばあの悪名高き“ジダーノフ批判”が行なわれた年であるが、文化・芸術の全分野に渡ったこの批判も、結局はスターリン独裁体制を強化するためのイデオロギー統制であった。批判された芸術家達はその内容のためではなく、単に“見せしめ”として糾弾されたに過ぎない。音楽分野に限っても、国際的な評価を得ていた“大物”はことごとく批判の対象となり、逆に批判した側は“小物”でしかなかった。しかも、ヴァーノ・ムラデーリという取るに足らない作曲家(大衆歌曲では、確かにそれなりの作品を残してはいるが)の失敗、それも『証言』によれば全く持って音楽とは関係のない筋書き上の失敗をきっかけとしている辺りが、いかにもスターリン時代らしい。結局、ショスタコーヴィチはこの批判によって極めて苦しい立場に追い込まれることとなる。まだ小さい2人の子供を抱えていたショスタコーヴィチは、明からさまな体制讚美の作品と、我慢のならない筋書きを持った映画の音楽を担当することで生計を立てざるを得なかった。

このジダーノフ批判と時を同じくして、当局によるユダヤ人迫害も始まった。1948年1月13日のユダヤ人俳優ソロモーン・ミホエリス殺害は、そうした弾圧の象徴的事件であった。ミホエリスの娘婿が友人の作曲家モイセイ・ヴァインベルグだったこともあり、ショスタコーヴィチは彼としばしば顔を合わせる関係だった。この事件の意味するところを敏感に察知したショスタコーヴィチは(もちろん、当時の人々もその意味を理解していた)、事件の翌日にミホエリスの妻子を見舞い、1月19日にヴァイオリン協奏曲第1番作品77の第3楽章を書き上げた。本作品を手がける際、この事件のことが念頭になかったはずはないだろう。

もともとショスタコーヴィチは、ユダヤ的旋律に深い理解を示していた。詩人のアーロン・ヴェルゲリスに、彼は次のように語っている「私はどうも、ユダヤ的旋律の際だった特質がどこにあるかが分かっているようです。陽気なメロディがここではもの悲しいイントネーションの上に築き上げられているのです…。民衆は人間のようです。なぜ、民衆はにぎやかな歌を歌い出すのか。なぜなら、心が悲しいからです」(『驚くべきショスタコーヴィチ』, p. 33)。ショスタコーヴィチがユダヤ的なものを扱った作品は少なくないが、その大半が中期に集中していることは大変興味深い。特に、このジダーノフ批判の期間には本作品と並び、ヴァイオリン協奏曲第1番作品77、弦楽四重奏曲第4番作品83などが「森の歌」作品81や映画音楽「ベルリン陥落」作品82の合間をぬって書かれ、しかもその全てがスターリンの死後1955年頃まで発表が差し控えられたことは、実に意味深長である。そしてこれらの思想は、ショスタコーヴィチが正式に共産党員となってから発表された交響曲第13番作品113に結実することになる。

初演は、聴衆に深い感銘を与えた(詩人のアフマートヴァはこの作品を「貧弱な詩」ゆえに嫌ったらしいが)。初演者の一人、メゾ・ソプラノ歌手のドルハーノヴァは、次のように回想している:「ショスタコーヴィチのアパートでリハーサルは始まりました。彼はせかせかとして、興奮気味で、まるで別の次元に生きているように思えました。彼の指摘はテンポに関するものばかりで、声についてはほとんど何も言いませんでした。声楽上の特質などよくは考えていなかったのです。愛と畏怖と敬服、私たちが経験していた感情とはまさにそれでした。初演は大成功をおさめました。」(『驚くべきショスタコーヴィチ』, p. 40)

初演メンバーであるドルリアク(S)、ドルハーノヴァ(MS)、マースレンニコフ(T) & D. ショスタコーヴィチ(Pf)(Russian Disc)による録音が、まずは規範となる演奏であろう。適切なフレージング、緊張感あふれるアンサンブル、絶妙のリズム感、心をかきむしられる高揚感、いずれをとっても最高である。歌手が皆甘さのある美声を持っているのも素晴らしく曲にマッチしている。これを聴くと、この曲がユダヤ云々という視点からではなく、あくまでもショスタコーヴィチの音楽として解釈・演奏されることの重要性が再認識されるであろう。上記ドルハーノヴァの回想とも一致する。

ただ、曲自体が持っているスケールの大きさから、本作品の真価は管弦楽伴奏版によってこそ発揮される。ユダヤという主題を扱っているせいか、この曲の録音は数多く、しかも優れた演奏が多い。歌手、オーケストラ、録音共に不足のない素晴らしい出来を示しているのはシャロヴァ(S)、クズネツォヴァ(MS)、マルチノフ(T)、ポリャンスキイ/ロシア国立SO(Chandos)盤。ややオーケストラが遠く感じられるが、気になるほどではない。若干表現過多になる部分が散見されるが、特別嫌味に感じられるほどではないので、好みの問題だろう。非常に洗練されているので聴きやすいのだが、幾分人工的な臭いがするようにも思われる。オーケストラが実に素晴らしいのは、シャグチ(S)、ディアドホヴァ(MS)、プルジニコフ(T)、ロジデーストヴェンスキイ/ロッテルダムPO(RCA)盤。テノールの声質があまり良くないが、その他2人の女性歌手には特に不満はない。ロジデーストヴェンスキイ独特の粘り気味なテンポの中で、精緻にスコアを音化している。特に音色の生かし方が適切で、まるでロシアのオーケストラのような響きがしている。粘着質な音楽でありながらも、推進力に満ちているところも立派。この2盤に比べると、ゼーダーシュトレーム(S)、ヴェンケル(MS)、カルチコフスキイ(T)、ハイティンク/アムステルダム・コンセルトヘボウO(London)盤は大分洗練されたスケール大きな秀演。管弦楽伴奏の長所が存分に発揮されている上に、声楽陣も安定した歌唱を繰り広げている。終曲のテンポには違和感があるものの、全体的な解釈は模範的なもので、各曲間の有機的な結合が全曲を見事に統一している。いくぶんくすんだような落ち着いた響きも魅力的。

ドイツ語による歌唱だが、クローネン(S)、ブルマイスター(A)、シュライアー(T)、K. ザンデルリンク/ベルリンSO(Berlin Classics)による管弦楽伴奏版の世界初演ライヴ録音(?)もなかなか良い。言語の響きに違和感を覚える箇所も多いのが残念だが、演奏自体は真摯なもの。スケールが大きく、完成度が高い。歌手もやや軽めの声質ながらも安定した歌唱を繰り広げているし、オーケストラも手堅いながらも時々ハッとするような響きを出している。しかしながら全体に地味な仕上がりで、ショスタコーヴィチ特有の音色の対比による効果に欠けているのが惜しい。ただし、こういう演奏を好む人も多いだろう。

D. ショスタコーヴィチ盤
(Russian Disc
RD CD 15 015)
ポリャンスキイ盤
(Chandos CHAN 9600)
ロジデーストヴェンスキイ盤
(BMG-RCA 09026 68434 2)
ハイティンク盤
(London POCL-9255/66)
K. ザンデルリンク盤
(Berlin Classics
0090162BC)

スペインの歌 作品100

メゾ・ソプラノ歌手Z. ドルハーノヴァ(「ユダヤの民族詩より」作品79の初演者の一人)が、モスクワ在住のスペイン人女性から聴いた歌をショスタコーヴィチに提供したことから、この曲が生まれた。したがって、旋律と歌詞は民謡からとられているが、作曲者や作詞者は不明。初演はドルハーノヴァの独唱とショスタコーヴィチのピアノにより、1956年レニングラードにて行われた。

この曲の前後には、2台のピアノのための小協奏曲作品94、映画音楽「馬あぶ」作品97、弦楽四重奏曲第6番作品101、ピアノ協奏曲第2番作品102といった、彼の全作品の中でも平明で清澄な音調が特徴的な作品が集中している。1954年に最初の妻ニーナ、1955年には母ソフィヤを亡くすなど、家庭的な不幸が引き続いた一方で、フルシチョフによるスターリン批判の秘密報告(1956年)に代表される「雪解け」の時代背景、さらに人民芸術家の称号を与えられたり各国の芸術/音楽アカデミーの会員に列せられたりするなどの個人的な名誉など、ショスタコーヴィチの社会的な評価は高まるばかりであった。1948年からスターリンの死まで続いた苦境から解放された、穏やかな安らぎのようなものがこの時期の作品には強く感じられる。もっとも、この直後に交響曲第11番作品103のような超重量級の作品を出してくる辺りが、いかにもショスタコーヴィチらしい。

「さようならグラナダ!」「星くず」「最初の出会い」「ロンダ」「黒い瞳の娘」「夢(舟歌)」の6曲から成るこの曲は、スペイン固有のリズムや節回しを強く感じさせるが、交響曲第14番作品135の第2楽章のような凄みは全くない。静謐な美しさが特徴的だ。なぜかこの時期の作品はあまり人気がないようだが、この曲などはショスタコーヴィチの歌曲入門としてもっと聴かれても良いような気がする。

録音は少なくないが、現在簡単に耳にできる数は限られている。中では、ボロディナ(MS) & スキギン(Pf)(Philips)がお薦め。暗くて太い声質が曲想によくマッチしている。時にオペラのアリアを思わせる大げさな表現に好き嫌いは分かれるだろうが、技術的には文句のつけようがなく、大変美しい仕上がりである。他に、男声によって歌われた録音もある。A. ヴェデールニコフ(B) & A. ヴェデールニコフJr.(Pf)(Melodiya、LP)盤が、美声を十分に堪能することができて楽しい。やや粘着質な歌いまわし以外に特別な主張は感じられないが、自然な音楽の流れが逆に作品の良さを適正に伝えてくれる。過不足のない秀演といえるだろう。エイゼン(B) & ボグダノーヴァ(Pf)(Olympia)は声に衰えが感じられやや平坦な部分もあるが、静謐な表現が醸し出す暗くて美しい雰囲気が曲の魅力を十分に引き出している。ただし第1、5曲を除いてキーを下げて演奏されている。ルコニン(Br) & セーロフ(Pf)(René Gailly)は、これといった巧さは感じないものの、甘い表現がなかなか魅力的。非常に聴きやすい演奏だといえよう。他に、第5曲「黒い瞳の娘」だけだが弦楽四重奏用の編曲モルゴーアQ(EMI)もある。これは第1ヴァイオリンの荒井英治による、原曲に極めて忠実な編曲。和声の美しさをより堪能することができる。技術的には極めて平易なものとなっているので、演奏にこれといった不満はない。素敵なアンコール・ピースといった感じで聴けるだろう。

ボロディナ盤
(Philips 446 708-2)
A. ヴェデールニコフ盤
(Melodiya C10 20867 002, LP)
エイゼン盤
(Olympia OCD 194)
ルコニン盤
(René Gailly VTP CD92 041)
モルゴーアQ盤
(EMI TOCE-9306)

S.チョールヌイの詩による5つの風刺 作品109

1960年に完成され、翌61年2月22日にソプラノ歌手ガリーナ・ヴィシネーフスカヤとムスティスラーフ・ロストロポーヴィチのピアノによってモスクワ音楽院小ホールで初演された。初演者ヴィシネーフスカヤに献呈されている。

「批評家へ」「春の目覚め」「子孫」「思いちがい」「クロイツェル・ソナタ」の5曲からなるこの作品に対し、ショスタコーヴィチは次のようなコメントを残している:「わたしはまた楽しい経験も味わった。革命前の名だかい諷刺詩人サーシャ・チョールヌイの詩によって諷刺的ロマンスを五曲つくったのである。辛辣な彼は、一九〇五年の革命後にやってきた反動期の俗物どもを手ひどい皮肉をあびせて嘲笑している。神秘のふところに身を投げて狭い個人的な小世界にかくれようとしたものどもをチョールヌイは毒々しく描いている…。」(『自伝』, p. 311)

しかしこの曲については、初演者ヴィシネーフスカヤの回想(『ガリーナ自伝』, pp. 297-301)を無視することはできない。彼女によると、ショスタコーヴィチは「ただひとつ問題がある。連中はこの作品を演奏させてくれないだろうと思うよ」と語ったらしい。それは、第3曲「子孫」の歌詞に問題があったからだ。確かに彼女の「ショスタコーヴィチの音楽がつけられると、この詩はまったく違った意味を帯びるようになった。それは現在のソヴェト政権と、その狂気じみたイデオロギーにたいする告発となったのである」というコメントは正しく、どう聴いてもそうとしか受け取れない。この曲に「過去の絵」という副題をつけたのはヴィシネーフスカヤの発案で、ショスタコーヴィチも大変気に入っていたらしい。

異様なまでの力強さに満ちた音楽の奔流は、歌詞に含まれた毒をより一層濃縮し、聴き手を圧倒する。注目すべきは、この曲が二度目の妻マルガリータ・アンドレーエヴナ・カーイノワとの不幸な結婚生活が破綻した時期に書かれていることである。しかも、直筆原稿の一枚には「親愛なるガーリャ・ウストヴォールスカヤへ、君を愛するD. ショスタコーヴィチより」という献詞入りで、彼の弟子であったウストヴォールスカヤにプレゼントされているという。ショスタコーヴィチという人物の奇妙で謎めいた人格の一端がここにも窺える。

初演は大成功で、「歌い終わったとき、聴衆は叫ぶというよりも怒号した」らしく、全曲がアンコールされた。しかしながら、やはり歌詞の問題は大きく、その後長らくソ連では演奏されることはなかった。ちなみに、この曲が初演された演奏会でヴィシネーフスカヤはムーソルグスキイの「死の歌と踊り」を歌い、これを聴いたショスタコーヴィチは後に管弦楽編曲を行なってヴィシネーフスカヤに献呈した。

この曲の録音は非常に少ないが、初演者ヴィシネーフスカヤ(S) & ロストロポーヴィチ(Pf)(EMI)によるスタジオ録音が素晴らしく、これさえあれば他の演奏は必要ない。旧盤(ヴィシネーフスカヤ(S) & ロストロポーヴィチ(Pf)(BMG))より一層大きなスケールを持った名演。あたかもこの瞬間に作曲されているかのような音楽の奔流を感じさせる。聴いた後に残る圧倒感は凄まじく、間違いなくこの曲の最高の演奏だろう。録音も良い。また、1980年にショスタコーヴィチの弟子であったティーシチェンコがメゾ・ソプラノ歌手イリーナ・ボガチェーヴァ(「M.ツヴェターエヴァの詩による6つの歌曲」作品143の初演者)の依頼によって管弦楽編曲を行なっている。これはボガチェーヴァ(MS)、ロジデーストヴェンスキイ/ソ連国立文化省SO(Melodiya)の演奏で聴くことができる。ショスタコーヴィチとは大分異なった響きもするが、面白い。ボガチェーヴァのやや暗めで鋭い声質が曲の雰囲気にもよく合っている。全体に堂々とした立派な仕上がりで、そこに違和感を感じなくもないが。

ヴィシネーフスカヤ盤
(EMI 7243 5 65716 2 4)
ヴィシネーフスカヤ盤
(BMG 74321 53237 2)
ボガチェーヴァ盤
(Melodiya MCD 008)

雑誌「クロコディール」の詩による5つの歌曲 作品121

「S.チョールヌイの詩による5つの風刺」作品109や「レビャートキン大尉の4つの詩」作品146と同系統の風刺的歌曲。1965年9月4日に完成し、翌66年5月28日にレニングラード・フィルハーモニー小ホールにて初演された。演奏はバス歌手エヴゲーニイ・ネステレーンコの歌とショスタコーヴィチ自身のピアノによって行われた。ちなみにこの演奏会はショスタコーヴィチ作品ばかりで構成され、ネステレーンコによる歌曲(「自作全集への序文とその序文に関する考察」作品123、「S.チョールヌイの詩による5つの風刺」作品109、「イギリスの詩人の詩による6つの歌曲」作品62より「ソネット66」)とベートーヴェン四重奏団による弦楽四重奏曲(弦楽四重奏曲第1番作品49、弦楽四重奏曲第11番作品122)が演奏された。この演奏会は28日と29日の二日間行われたが、翌30日には心筋梗塞と診断されて二ヶ月余りの緊急入院を余儀なくされる。

歌詞は1965年8月30日付「クロコディール」誌第24号により、各曲のタイトルは「自筆の供述書」「かなわぬ願い」「正しい判断」「イリーンカと牧童」「喜び過ぎ」となっている。「クロコディール」誌は、1922年に旬刊で発刊された諷刺雑誌。編集部記事だけではなく、投書や諷刺画等も掲載された。この作品についてショスタコーヴィチは次のように語っている:「…仕事はしばしば何らかのジャンルへの興味や、自分の力を試してみたいとか、何か新しいことをしたいという気持ちを起こさせるものだ…最近私は雑誌『クロコディール』に載った一般の人の言葉をもとに5つのユーモア作品を作曲した。」これは、歌詞と音楽に対するショスタコーヴィチの次のような考え方から出てきているのであろう:「私にとって、詩も散文もすべて同様である。そこには、何ら差異はない。『カテリーナ・イズマイロワ』は、最も単調で世俗的なテキストを持っている。私は、音楽の言葉、性格、そして音楽的抑揚及び音楽的性格化の両者を私に気づかせる隠された意味、を感じなければならない。異なる種類のテキスト、多様な情緒を音楽で伝えようとすることは、興味のあることである。」(『ショスタコーヴィチの生涯』, p. 229)

録音は、ネステレーンコ(B) & シェンデロヴィチ(Pf)(Victor)盤が最高。楽譜に忠実に演奏しながらも豊かな表情と格調の高さを醸し出している。曲の風刺的性格の表出にも不足していない。なお、ここでは第3、4、1、2、5曲の順番で歌われているが、理由は分からない。他に、クズネツォフ(B) & セローフ(Pf)(René Gailly)盤もなかなか良い。ピアノの表情付けにやや嫌味が感じられるが、歌は素晴らしい。歌詞の内容をよく表わした滑稽な歌い回しも、楽譜に忠実な歌唱で実現されているのが大変好ましい。他人による管弦楽伴奏の編曲もあるが、大して興味深くはない。

ネステレーンコ盤
(Victor VICC-40082/83)
クズネツォフ盤
(René Gailly
VTP CD92 041)

自作全集への序文とその序文に関する考察 作品123

ショスタコーヴィチ自身の歌詞による唯一の歌曲。ただし、最初の4行はプーシキンの「詩人の歴史」からフヴォストーフの銘題を使用している。1966年3月2日に完成し、「雑誌『クロコディール』の詩による5つの歌曲」作品121と同様、エヴゲーニイ・ネステレーンコとショスタコーヴィチ自身によって、1966年5月28日にレニングラード・フィルハーモニー小ホールにて初演された。

音楽自体も非常に美しいが、ショスタコーヴィチ独特の皮肉で鋭いユーモアの感覚が窺える歌詞がやはり興味深い。序文本体よりも長い「ソ連邦人民芸術家、ほかにも非常に多くの名誉称号、ロシア共和国作曲家同盟の第一書記、ソ連邦作曲家同盟のただの書記、同じく非常に多くのそのほかのきわめて責任ある奉仕と義務」という署名に、半ば自嘲気味なユーモアと謙遜、そして淋しさがにじみ出ている。ショスタコーヴィチという人物を理解する上で、無視することのできない作品である。

録音は、ネステレーンコ(B) & シェンデロヴィチ(Pf)(Victor)盤さえあれば全く不満はない。おそらく作曲者が望んでいたであろう理想的な声質と、高い技術に基づいた正確な読譜が素晴らしい結果を生み出している。歌詞にこめられた複雑な感情が、何ともいえない美しさとともに表出されている。

ネステレーンコ盤
(Victor VICC-40082/83)

A.ブロークの詩による7つの歌曲 作品127

病気療養中に手がけられ、1967年2月3日に完成した。初演は1967年10月28日にモスクワ音楽院小ホールで行われ、ガリーナ・ヴィシネーフスカヤの独唱、ダヴィード・オーイストラフのヴァイオリン、ムスティスラーフ・ロストロポーヴィチのチェロ、モイセーイ・ヴァインベルグのピアノによって初演された。初演では全曲がアンコールされたらしい。本作品は、初演者でもあるヴィシネーフスカヤに献呈されている。

アレクサーンドル・アレクサーンドロヴィチ・ブローク(1880〜1921)はロシア象徴主義の代表的な詩人で、ショスタコーヴィチが生涯を通じて愛読した詩人の一人である。本作品の歌詞に用いられている詩は、いずれもあまり知られていない比較的平明な初期習作時代の作品である。「オフェーリアの歌」「未来を告げる鳥、ガマユーン」「わたしたちはいっしょだった」「町はねむる」「嵐」「なぞの合図」「音楽」の7つの詩について、ショスタコーヴィチは次のように語っている:「最後の七番目のロマンスは『音楽』と名づけたが、テキストに直接そう書いてあったからである。全体もそう名づけたいが、それはその詩がたいへん音楽的な言葉で書かれているからである…」(『自伝』, p.408)

この曲の原題には「ソプラノ、ヴァイオリン、チェロ、ピアノのための声楽・器楽組曲」という指定がついている。ショスタコーヴィチが歌曲集に“組曲”と名づけたのは本作品が初めてであり、以降「M.ツヴェターエヴァの詩による6つの歌曲」作品143や「ミケランジェロの詩による組曲」作品145にも同様の命名がなされていてショスタコーヴィチ晩年の歌曲を特徴づけている。また、この曲では同時期の交響曲第13番作品113や交響曲第14番作品135、作品140以降の歌曲とは異なり、伴奏に室内楽編成を持ってきていることも注目される。3つの楽器はソロ、二重奏で伴奏をし、全ての楽器が揃うのは終曲だけであるのも、後期の弦楽四重奏曲などで見られる特徴的な手法である。

歌曲において声楽と器楽が対等の立場で主張し合うのはショスタコーヴィチの特徴だが、本作品では4つの声部がまるで弦楽四重奏のように有機的に絡み合いながら、独自の美しい音楽世界を繰り広げている。また、簡素ながらも凝縮された統一感溢れる全曲の構成も特筆に値する。

余談だが、本作品のリハーサルに関して、ヴィシネーフスカヤは次のように回想している。「ショスタコーヴィチの前では、だれでもおびえてしまったのである。…ショスタコーヴィチの『ブローク歌曲集』を彼のために演奏したとき、ヴァイオリンの伴奏をした偉大な芸術家ダヴィート・オイストラフの手は神経過敏から震えていた。」(『ガリーナ自伝』, p.396)

幸いにも、ヴィシネーフスカヤ(S)、D. オーイストラフ(Vn)、ロストロポーヴィチ(Vc)、ヴァインベルグ(Pf)(BMG-Melodiya)による初演ライヴ(10月23日と表記されている)の録音が残されている。これは、超豪華メンバーの名に恥じない格調高い圧倒的な名演である。高い技術で尋常ならざる緊張感を見事に表現しているのが素晴らしい。ヴィシネーフスカヤには他にも3種類の録音があるが、この初演ライヴに匹敵する出来を示しているのがヴィシネーフスカヤ(S)、ハーヴィッツ(Vn)、ロストロポーヴィチ(Vc)、ブリテン(Pf)(Decca)のライヴ録音。実に美しい演奏で、歌、器楽共に非の打ち所がない。絶好調のヴィシネーフスカヤの張りのある美声と、スケール大きなロストポーヴィチのチェロに加え、美しい音と極めて音楽的なサポートを聴かせるブリテンのピアノが非常に魅力的。イギリス室内管のコンサートマスターであるハーヴィッツも、大物達を相手に全く臆することなく伸び伸びとした歌を聴かせていて素晴らしい。この曲のスタンダードといって全く問題のない名演。ピサレンコ(S)、カガン(Vn)、フェルシトマン(Vc)、レオンスカヤ(Pf)(Victor)も、非常に澄みきった冷たさを感じさせる、素晴らしい演奏。ロシアのソプラノに典型的なキツめの声質が曲とよく合っている。器楽も卓越した技術と、どこか若々しい爽やかさをもって歌をもり立てている。張り詰めた緊張感と静謐な美しさが際立つ名演。

この二つに比べると、しっとりとした美しさに満ちた優しさを感じさせるのがゼーダーストレーム(S)、フィッツウィリアムQ団員(Vn & Vc)、アシケナージ(Pf)(London)盤。張りのある声で緊張感のある響きを持ったゼーダーストレームの歌唱が素晴らしいが、やや地味ながらも曲想を丁寧に描き出す器楽が歌を一層引き立てている。ツボをよく押えた、安心できる名演。

ヴィシネーフスカヤ盤
(BMG 74321 53237 2)
ヴィシネーフスカヤ盤
(Decca 466 823-2)
ピサレンコ盤
(Victor VICC-40082/83)
ゼーダーストレーム盤
(London F35L-50441)

M.ツヴェターエヴァの詩による6つの歌曲 作品143

ショスタコーヴィチが残した全歌曲中最高峰に位置するこの曲は、1973年7月31日から8月7日にかけて作曲され、レニングラード・キーロフ歌劇場のメゾ・ソプラノ歌手イリーナ・ボガチェーヴァとソフィヤ・ヴァクマンの伴奏で1973年11月12日レニングラード・グリンカ・ホールで初演が行われた。翌74年1月9日には管弦楽伴奏用編曲作品143aも完成し、こちらは同じくボガチェーヴァの独唱により同年6月6日にモスクワ音楽院大ホールで初演された(伴奏は不明だが、おそらくバルシャイ指揮のモスクワ室内管弦楽団だろう)。初演者ボガチェーヴァに献呈されている。

マリーナ・ツヴェターエヴァ(1892〜1941)は、1922〜39年にチェコやフランスなどで亡命生活を送った後で夫と娘を追ってソヴィエトに帰国し、スターリニズムの困難な状況下で最期は片田舎の丸太小屋で首吊り自殺をした、ロシア・ソヴィエトを代表する女流詩人。この曲では「わたしの詩」「どこからこんなやさしさが?」「ハムレットと良心の独白」「詩人と皇帝」「ちがう、太鼓を打ったのだ…」「アーンナ・アフマートヴァに捧ぐ」の6つの詩が使われている。

1973年6月、ショスタコーヴィチはアメリカ訪問から「クイーン・エリザベス」号に乗って帰国した。この訪米は、シカゴ近郊のエヴァンストンでノース・ウェスト大学の名誉芸術博士号の授与式に参加するためであったが、ワシントン病院で検査を受けることもその目的の一つであった。他に、コープランドやオーマンディらとも会ったらしい。体調が深刻な状況にあった当時のショスタコーヴィチにとってこの長旅は重労働であり、帰国後彼はバルト海沿岸のエストニアにある別荘で休養中にこの作品を書き上げた。同時期の「ミケランジェロの詩による組曲」作品145については公的な発言も多いが、本作品については注目すべき発言はなされていない。それだけに、ショスタコーヴィチの私的な感情が吐露された作品と推測することもできよう。

最小限の音しか用いない極めて簡素な譜面ながらも、驚くほど多彩な響きと深い内容を盛り込んでいるところはショスタコーヴィチ最晩年の作品全てに共通する特徴だが、この曲においてもそれは遺憾なく発揮されている。加えて、怪しいまでの美しさはもはや神の領域に達しているとすら言えるだろう。ピアノ伴奏ももちろん素晴らしいが、管弦楽伴奏においてこの美しさはより強く認識される。果たして、冒頭のチェロと歌とのやり取りに心を奪われない人がいるのだろうか?これは、12音で書かれた旋律の内、最も美しいものだと断言することができる。全曲を貫く透明感、官能、格調の高さ、そして尋常ならざる精神の力強さは、聴き手を惹きつけ、深い感銘を与えずにはおかない。

この曲の美しさは、管弦楽伴奏版でこそ味わうことができる。ボガチェーヴァ(MS)、バルシャイ/モスクワ室内O(Victor)が、演奏技術や音楽的な内容から音色に至るまで完璧な名演。この演奏を聴かずしてこの曲の真価は分からない。全く隙のない音楽に、ただただ圧倒される。この演奏さえ聴けば十分であるが、他にヴェンケル(A)、ハイティンク/アムステルダム・コンセルトヘボウO(London)も甘い美しさが前面に出た好演。歌とオーケストラのバランスがうまく取れている。安定した表現力も好ましい。ただ、時に厳しさや鋭さに欠けるのが惜しい。また、シニャフスカヤ(A)、ユロフスキイ/ケルン放送SO(Capriccio)はオーケストラが、ザレンバ(A)、N. ヤルヴィ/エーテボリSO(DG)は歌が健闘している。

一方ピアノ伴奏版には、初演コンビによる録音(ボガチェーヴァ(MS) & ヴァクマン(Pf)(Melodiya、LP))が残されている。楽譜の指示より速めのテンポ設定が、いかにもショスタコーヴィチが立会っていることを窺わせる。ボガチェーヴァの歌唱は、ピアノ伴奏ということもあってか、やや自由な感じもするが歌詞を生かした大変美しいもの。管弦楽伴奏版を聴き馴れた耳にはピアノの音色が地味に聴こえないこともないが、むしろ歌手の美質が全面に押し出されて好ましいともいえる。この曲の美しさを味わうには全く不満のない演奏。

ボガチェーヴァ盤
(Victor VICC-40082/83)
ヴェンケル盤
(London POCL-9255/66)
シニャフスカヤ盤
(Capriccio 10 778)
ザレンバ盤
(DG 447 085-2)
ボガチェーヴァ盤
(Melodiya C 10-05137-8,
LP)

ミケランジェロの詩による組曲 作品145

ショスタコーヴィチ最晩年を代表する傑作。1974年7月31日に完成し、1974年12月23日にネステレーンコの独唱とシェンデロヴィチのピアノでレニングラード・グリンカ・ホールにて初演された。管弦楽伴奏版作品145aは1974年11月5日に完成し、作曲家の死後1975年10月12日に同じくネステレーンコの独唱、マクシーム・ショスタコーヴィチ指揮のモスクワ放送交響楽団によって初演されている。3番目の妻イリーナ・アントノーヴナ・ショスタコーヴィチに献呈された。

1975年はルネサンスの大彫刻家ミケランジェロ・ブオナロッティ(1475〜1564)の生誕500年にあたり、本作品が作曲される際にはおそらくそのことが念頭にあったと考えられる。ショスタコーヴィチは、この作品について次のようなコメントを残している:「この人、ミケランジェロという形をとってあらわれたこの人は、イタリア人であるばかりか、全人類に属するといったような人であった。彼の詩は、深い哲学的思想、稀にみるほどのヒューマニズム、創造と愛とについての卓越した見解などによって人びとを魅了する。わたしのバスとピアノのための組曲は、ミケランジェロの八つのソネットと三つの詩が基礎になっている。また、抒情詩、悲劇、ドラマ、それにダンテにささげた二つの熱狂的頌詞が基になっている。すべての詩やロマンスの見出しは元はなかったがわたし自身のもので、詩の内容からつけたものである。わたしの構想をじつに正確に伝えてくれたネステレンコとシェンデローヴィチの演奏には心から満足している。」(『自伝』, pp. 477-478)

「真実」「朝」「愛」「別れ」「怒り」「ダンテ」「追放者へ」「創造」「夜」「死」「不死」という11篇の詩は、「ミケランジェロ。生涯と作品」(V. グラシチェンコフ編, モスクワ「芸術」出版所, 1964.)から取ったA. エーフロスの訳詩である。ショスタコーヴィチは訳詞のチェックをアンドレーイ・ヴォズネセンスキイに依頼したところ、ヴォズネセンスキイは後で新しい翻訳を仕上げてきた。それは明らかにエーフロスの訳詩よりも良いものだったが、すでにショスタコーヴィチは全曲を完成させてしまっており、新しい詩に音楽をはめこむことはできなかった。

ネステレーンコが足を骨折したため当初の予定より延期されたが、初演は好評をもって迎えられた。シチェドリーンはこの曲を次のように評している:「ミケランジェロの詩による組曲は近年のすばらしい収穫の一つである。偉大な音楽家の視線は理知的で素朴、その言葉は静かで、威厳にみちている。それは哲学者、創造家の視線にほかならない。…多くの点でショスタコーヴィチは、この偉大な画家、彫刻家に接近している。同じような芸術的な論証力、芸術への勢烈な誠実さ、創造的構想とその結果の壮大さである。それからまた、勤勉さ!」(『自伝』, p. 491)

曲は大きく分けて、序(第1曲)、愛の主題(第2〜4曲)、追放の主題(第5〜7曲)、創作の主題(第8、9曲)、詩の主題(第10、11曲)にまとめられる。極めて簡素な譜面に込められた哲学的深遠さは驚異的で、全ての音が心に直接語りかけてくるかのような説得力に満ちている。また、ピアノ伴奏の色彩感も尋常ではなく、当初から管弦楽伴奏を意識していたことが窺える。したがって、可能な限りピアノ伴奏版ではなく管弦楽伴奏版から聴くことが薦められる。

もう一点、第9曲「夜」に(弦楽四重奏曲第5番作品92と同様)彼の弟子であったガリーナ・ウストヴォーリスカヤの「トリオ」(1949年)の主題が引用されていることも重要である。彼女とショスタコーヴィチとの関係については色々と推測されているが、妻イリーナ・アントノーヴナに献呈された作品の中で別の女性への想いが込められているとも考えられ、ただでさえ難解な曲の内容をより一層複雑なものにしている。

この曲にもピアノ伴奏と管弦楽伴奏の2つの版があるが、共に初演者ネステレーンコの演奏が決定盤である。まずは管弦楽伴奏版のネステレーンコ(B)、M. ショスタコーヴィチ/モスクワ放送SO(Victor)盤であるが、これは独唱もオーケストラも共にとてつもない表現力を持った名演。これ以外に考えられない音色と卓越した演奏技術が、文字通り理想的にスコアを再現している。力強さと繊細さ、動と静といった相反する感情が見事に表出されている。一方、ピアノ伴奏版のネステレーンコ(B) & シェンデロヴィチ(Pf)(Melodiya、LP)盤では、より一層ネステレーンコの色濃い表現力を堪能することができる。曲の組み立てから声色に至るまで、まさに理想的な演奏である。シェンデロヴィチの伴奏も単に息が合っているというレベルを超えて、この曲の独特な深い世界の表出に大きく貢献している。この曲の場合、この2枚さえ聴けば十分だし、逆にこの2枚だけは万難を排して聴いて頂きたいものだ。

この他に敢えて挙げるとすれば、独唱が優れているレイフェルクス(B)、N. ヤルヴィ/エーテボリSO(DG)盤と、歌とオーケストラとのバランスが良く、極めて自然に溶け合いながらやや硬質な美しさを醸し出しているポルスター(B)、T. ザンデルリンク/ベルリン放送SO(Deutsche Schallplatten)盤(ただし、ドイツ語訳による歌唱)辺りが注目に値する。

ネステレーンコ盤
(Victor VICC-40082/83)
ネステレーンコ盤
(Melodiya 33 C10-06161-62,
LP)
レイフェルクス盤
(DG 447 085-2)
ポルスター盤
(Deutsche Schallplatten
TKCC-70414)

レビャートキン大尉の4つの詩 作品146

1974年8月23日に完成し、1975年3月10日にネステレーンコの独唱、シェンデロヴィチのピアノでモスクワ音楽院小ホールにて初演された。この作品を書いた約1年後、ショスタコーヴィチは遺作ヴィオラ・ソナタ作品147を書き上げて亡くなった。

歌詞は、ドストエフスキイの「悪霊」の中にある、レビャートキン大尉(実は酒の好きな、大尉でもなんでもない人物)の詠んだ“ヘボ”詩に基づいており、「レビャートキン大尉の恋」「油虫」「家庭教師嬢のための舞踏会」「りっぱな人」の4曲から成る。ショスタコーヴィチは、「私は、この作品において、ドストエフスキイの精神を捉え得たと思う」と語り、「レビャートキンは、勿論おどけ者であるが、時々彼は恐ろしい面を見せる」と注釈を加えている。このコメントは特に第4曲「りっぱな人」において、強く意識される。そして、この曲が全曲を統一する鍵になっていると考えることもできる。ここで告発されている人間のあり方は、確かに帝政ロシア時代のテキストではあるものの、明らかに終生ショスタコーヴィチが心に抱き続けた考えを力強く表わしている。

取り上げられた歌詞も素晴らしいが、もちろん音楽自体も傑作の名に恥じない素晴らしいものだ。特に、一見薄く見えるピアノ伴奏の多彩な響きは、この曲が管弦楽編曲される可能性もあったことを窺わせる。陰鬱でありながら鋭いユーモアを持ち、繊細な響きの中に大胆な音楽が感じられ、美しさの一方で尋常ならざる精神の力強さが際立つ、典型的なショスタコーヴィチ晩年の作品である。

この曲の録音は非常に数少ないが、初演者ネステレーンコ(B) & シェンデロヴィチ(Pf)(Victor)の録音が、極めて完成度の高い無条件に最高の演奏。これさえあれば、他の録音は必要ないとすら断言できる。独唱と伴奏のアンサンブルは完璧だし、共に圧倒的な表現力を持っている。オーケストラ伴奏の歌曲に匹敵するような幅広く多彩な響きがしており、スコアが要求している内容の全てが音化されていると言っても過言ではないだろう。ヴィシネーフスカヤの『ガリーナ自伝』によるとネステレーンコは非常に卑劣な人間として描かれているが、少なくともショスタコーヴィチ作品の解釈者としてはまぎれもなく超一流である。

この他、グルボキイ(B) & ラッスドヴァ(Pf)(Saison Russe)盤も雰囲気のよく出た演奏。鋭い諷刺は感じられないが、晩年特有の陰気な感じが自然に表出されている。特に歌は素晴らしい。ピアノの鈍重さが、演奏を単調なものにしているのが惜しい。一方フィッシャー=ディースカウ(Br) & アシケナージ(Pf)(Decca)盤は、幅広い層の聴衆にアピールしそうな、ある種派手な演奏。ディースカウの声質(低音がやや弱い)とアシケナージのやや汚い音色が気にならなくもないが、曲の内容をよく把握したスケールの大きい表現は立派なもの。他人によるオーケストラ伴奏編曲もあるが、薦められるような演奏はない。

ネステレーンコ盤
(Victor VICC-40082/83)
グルボキイ盤
(Saison Russe
RUS 288 089)
フィッシャー=ディースカウ盤
(Decca 433 319-2)

ムーソルグスキイの「死の歌と踊り」のオーケストレイション 作品V

このオーケストレイションが行われた経緯については、初演者ヴィシネーフスカヤの『ガリーナ自伝』に詳しい。それによると、「S.チョールヌイの詩による5つの風刺」作品109が初演された1961年2月22日の演奏会の前半に、ヴィシネーフスカヤがロストロポーヴィチの伴奏で「死の歌と踊り」を歌い、これがきっかけとなってショスタコーヴィチがこの曲のオーケストレイションを手がけることになったようだ。とはいえ、完成するまでは決して自分の仕事を明らかにしなかったショスタコーヴィチらしく、ヴィシネーフスカヤの元に完成品が届いたのは突然のことだった。「『過去の絵』(筆者注:「S.チョールヌイの詩による5つの風刺」のこと)の初演の数ヵ月後に私は、粗いしわくちゃな灰色の紙で包装された大きな包みを受け取った。「その紙を見てごらんなさい!」私はスラーヴァに言った。「店ではこの紙で肉を包むのよ」返送先の宛名は。リャザン州ソローチャ村、名前は「D. ショスタコーヴィチ」となっていた。彼はその地で休暇を取っていたのである。私は包みを開け、ムソルグスキーの『死の歌と踊り』のショスタコーヴィチによる管弦楽用編曲の原稿を取り出した。その最初のページには、こう書かれていた。「渡すがこの『死の歌と踊り』の管弦楽用編曲をガリーナ・パヴローヴナ・ヴィシネフスカヤに捧げる」これだから人生は生きる価値があるのだ!たぶんドミートリー・ドミートリエヴィチがあの晩、私のコンサートで『死の歌と踊り』を聴かなかったとしたら、彼はあのときあの地でそれを管弦楽に編曲しなかったかもしれない」(『ガリーナ自伝』, p.301)

この曲が交響曲第14番作品135の下敷きとなったことは有名で、1969年にショスタコーヴィチは交響曲第14番の非公開初演前の談話において「ロシアの偉大な作曲家ムソルグスキーのひそみにならって、わたしも歩をすすめてみたいのである。たとえば、彼の声楽曲集「死の歌と踊り」はたぶん、また全部ではないにしても「司令官」は、死にたいする大きなプロテストであり、自分の生涯を誠実に、高雅に、清潔におくらなければならぬとする警告であると思う」(『自伝』, p.429)と語っている。また、雑誌『ソヴェト音楽』には、同じく交響曲第14番について「こんどの新しい作品の構想は長いあいだあたためられていたものであること、このテーマをはじめて思いついたのは一九六二年だったことからもこのことは説明がつく。当時わたしはムソルグスキーの声楽曲集「死の歌と踊り」を交響曲に編曲していたが、これは偉大な作品で、わたしは常にこの曲に敬服してきたし、いまもしている。そして、全部で四曲にすぎないというその短さが、あるいは「欠点」となっていはしまいかとふと思った。」(『自伝』, p.429)という文章を寄せている。

この曲はオリジナル自体が非常に素晴らしいのだが、ショスタコーヴィチのオーケストレイションは、オリジナルの持つ雰囲気を全くそのままに伝える、凄い仕事である。ショスタコーヴィチの管弦楽法上の特徴が見られないという訳ではない(むしろ、楽器の選択などはショスタコーヴィチ以外の何物でもない)のだが、完璧に“ムーソルグスキイの音”がしている。この点で、シューマン/「チェロ協奏曲 イ短調」のオーケストレイション作品125などとは別格と見なされる。ショスタコーヴィチの曲理解の深さと、管弦楽法における職人芸が堪能できる傑作といえるだろう。それにしても、息子のマクシームに子供が産まれ、自身も三度目の結婚を控えていた“おめでたい”時期に、こうした“死”の概念に取り憑かれていたというのが、何ともショスタコーヴィチらしい。

各曲の内容については、初演者ヴィシネーフスカヤが見事な考察をしている。「『子守歌』では、死は死にかけている子供の上にかがみ込む愛情深い乳母である。彼女は彼をおびえさせることなく、なんとかなだめて寝かしつける。母親だけは乳母の正体を見抜き、魂を凍らせる声を耳にする。ぞっとした彼女は、強大な死神を前にした自分の無力さを知ってのたうちまわる。次に作曲者は、『セレナード』の冒頭の数小節から静かな白夜の雰囲気をかもし出す。すると私は窓辺に坐りながら、透き通るような美しさをもった愛らしい虚弱な少女の姿を見る。彼女は死にかけている。彼女はおとぎ話の騎士を夢見て、彼を待っている。彼女は小声でなにかをささやき、呼びかけると、窓の下に彼を見つける。死神は、彼女が長いあいだ待っていた神秘の騎士の姿をして、彼女にセレナードを歌い、この世のものではない幸福と愛を約束して彼女を呼び出す。彼女の美しさに感嘆しながら、また差し迫った勝利を予想してあえぎながら、彼はついに接吻で彼女を殺す。第三曲の『トレパーク』では、死神は無鉄砲でだらしのない農民の女の姿をして、貧しい酔っ払いのところに現われる。彼をしっかり掴まえると、彼女は激しい吹雪のなかで彼と共にぐるぐるまわり、彼を森のなかに引きずり込んでますます道路から引き離していく。哀れな男は凍るように冷たいかかとで大地を踏み鳴らし、からだを暖めようとむなしく手を振りまわすが、これは彼の最後の踊りである。凍死する人間は、苦しみながら死ぬのではないそうである。眠りたい欲望がとつぜん襲ってくるだけなのだ。しかもムソルグスキーの死にかけている農民は、寒さのなかで次第に感覚を失い、夢見るのは暖かいうららかな日であり、成熟した金色のライ麦畑であり、果てしない青空である。……『司令官』では、サーベルの激しくぶつかり合う音が消えて、血みどろの戦いがおこなわれたばかりの戦場には死にかけている男たちの悲鳴と呻き声だけが残るとき、死神は仮面をつけずに本当の姿で現われる。それは軍馬にまたがった目もくらむばかりに白い骸骨である。威厳と歓喜に胸をふくらませながら死神は人間の残骸の上を疾駆し、死人の群れを鋭い眼で吟味する。勝利をおさめたことに満足すると、彼はゆるやかに、重々しく、勝ち誇ったように踊りながらその上をぐるぐるとめぐる。」(『ガリーナ自伝』, pp.295-296)

演奏は、ヴィシネーフスカヤ(S) & ロストロポーヴィチ/ロンドンPO(EMI)が最高峰。オーケストラの完成度が高く、ショスタコーヴィチによるオーケストレイションの妙を味わうことができる。全体に落ち着いた演奏は、この曲の持つ雰囲気によくマッチしており、理想的ということができるだろう。ヴィシネーフスカヤは声の張りが若干衰えているが、表現力がより一層増しており、貫禄ある歌唱を繰り広げている。これに比べると、初演時のライヴ録音ヴィシネーフスカヤ(S) & ロストロポーヴィチ/ゴーリキイ国立PO(BMG-Melodiya)は、オーケストラの技術的な問題が気になる。ただし、ヴィシネーフスカヤのスケールの大きな歌唱は圧倒的で、ライヴ独特の熱気も注目に値する。

また、この曲は男声で歌われることもある。こちらはフヴォロストーフスキイ(Br) & テミルカーノフ/サンクト・ペテルブルグPO(Warner)盤とレイフェルクス(Br) & テミルカーノフ/ロイヤルPO(RCA)盤が双璧。フヴォロストーフスキイにはゲールギエフ/キーロフO(Philips)との旧盤もあるが、この演奏はそれを超える。洗練度ではフヴォロストーフスキイ盤に、スケールの大きさではレイフェルクス盤にそれぞれ軍配が上がるものの、どちらも極めて完成度の高い名演である。歌だけであれば、コチェルガ(B) & アバド/ベルリンPO(Sony)も、その暗く太い声質とも相まって素晴らしい。この曲の持つ陰鬱な世界を端正に歌い上げている。問題はアバドの伴奏で、何の主張も感じられない、平均的な響きをただ奏でているだけ。ショスタコーヴィチの編曲を取り上げた意義どころか、ムーソルグスキイの世界の一端すら伝えきれていない。

ヴィシネーフスカヤ盤
(EMI 7243 5 65716 2 4)
ヴィシネーフスカヤ盤
(BMG 74321 53237 2)
フヴォロストーフスキイ盤
(Warner 2564 62050-2)
フヴォロストーフスキイ盤
(Philips PHCP-5229)
レイフェルクス盤
(RCA 82876-59426-2)
コチェルガ盤
(Sony SRCR 9633)

ラヨーク 作品X(ii)

以前からその存在は噂されていたが、1989年1月12日にワシントンDCでロストロポーヴィチの指揮による初演でその姿が明らかにされた。1948年の悪名高きジダーノフ批判を主題としており、ピアノと4人のバス歌手(1人でも可)および合唱のために書かれている。作品は中央委員会ソヴィエト音楽家会議と全ソ作曲家会議を痛烈に風刺したもので、司会者に続いて登場する3人の人物、イェジニーツィン(第1番氏)、ドヴォイキン(第2番氏)、トロイキン(第3番氏)はそれぞれスターリン、ジダーノフ、シェピーロフをモデルとしている。作品の背景については、日本ロシア音楽協会発行の『СИМФОНИЯ』第1号およびSaison Russe盤CD付属の一柳富美子氏による解説が詳しい。

自らが批判の槍玉にあげられている最中に、悪意に満ちた極めて直接的な風刺が行われていることを考えると、この作品を純音楽的に捉えることは必ずしも適切だとはいえない。スターリンが愛好した民謡「スリコ」、「レズギンカ」、フレンニコフの映画音楽「誠実なる友人達」、プランケットの「コルヌヴィルの鐘」などからの引用も、ショスタコーヴィチの他の作品に見られる引用と同一の意味合いで見る訳にはいかないだろう。この作品を楽しむためには、政治的な背景を十分に理解することが必要である。また、現在DSCH社から刊行されているスコアには、皮肉たっぷりの序文やト書き、巻末の問題などが掲載されており、これら全てを含めて“楽しむ”ことが望ましいといえるだろう。

ショスタコーヴィチ自身がこの曲の出版を望んでいたかどうかは推測するしかないが(清書譜の存在等から出版の意思があったという意見が優勢である)、舞台作品やコンサートピースとして聴くよりは、ごく親しい内輪のパーティーなどで面白おかしく弾き語りして聴かせるような作品ではないかと僕は思う。あるいは、スコア片手に独りでニヤニヤしながら聴く、というのもこの作品の本質にかなった聴き方ではないだろうか。

上記のような立場に立って聴くとなると、オリジナルのピアノ伴奏による演奏が最も望ましいだろう。加えて、フィナーレまで含めた完全な形(作品自体は未完であるが)での演奏となると、グルボーキ、ポチャプスキー、ベイコ、ミハイロフ(B)、シェプス(pf) & ポリャンスキイ/モスクワ・シンフォニック・カペレ合唱団(Saison Russe)しか選択肢がない。しかしながら、各ソリスト達が風刺の対象になっている人物を十分に意識して皮肉たっぷりに歌っている雰囲気が非常に楽しく、笑い声や拍手などの臨場感も抜群であり、決定盤といっても過言ではないだろう。さらに、国内盤には一柳氏による充実した解説と対訳がついているので、資料としても非常に価値がある。

他に、ショスタコーヴィチの弟子であるティーシチェンコの管弦楽編曲やスピヴァコーフらによる編曲も録音されているが、僕には今一つピンとこない。

ポリャンスキイ盤
(Saison Russe LDC 288 075)

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Last Modified 2021.02.08

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