名盤(室内楽)

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前奏曲とスケルツォ 作品11

ショスタコーヴィチの名を一躍世界に轟かせた、レニングラード音楽院の卒業作品交響曲第1番作品10とほぼ並行して作曲された作品。作品番号がついている作品の中では、ピアノ三重奏曲第1番作品8と3つの小品作品9に続く、3作目の室内楽曲ということになる。初演は1927年1月9日に、グリエール四重奏団とストラディヴァリ四重奏団によって行われた。ちなみに、後者のチェリストはヴィクトル・クヴァツキイで、チェロ・ソナタ作品40の初演者である。

この作品は、前作の交響曲第1番作品10とは異なり、歌劇「鼻」作品15で頂点を究める、初期の前衛的な響きに満ちているのが特徴。多分に実験的な要素が顕著であるため、彼の作風が確立される前の習作的な作品として実演はおろか、文献等でも取り上げられることが少ない。しかしながら、各楽器の巧みな扱い、繊細かつ美しい響き、力強いリズム等々、ショスタコーヴィチの個性が十二分に発揮された佳作であり、無視するには惜しい作品である。先入観なしに聴いてみると非常に効果的な作品なので、実演に適していると思われる。筆者は1996年に行われたベルリン・フィルハーモニー弦楽八重奏団の京都公演のアンコールでスケルツォを聴いたが、客席は大変盛り上がった。

増2度音程が強調される上に、音域の幅が非常に広いため、各楽器には正確な音程が要求される。技術的に不安のある団体の演奏はパスした方が無難だ。まずは、ボロディーンQ&プロコーフィエフQ(Melodiya)の演奏を聴いて頂きたい。これは名演。若干オクターヴ変えて弾いている部分もあるが、基本的に楽譜に極めて忠実な演奏。何よりも確かなアンサンブル技術に基づいた、実に清潔な演奏であるのが素晴らしい。ショスタコーヴィチ初期特有の一見錯綜しているような前衛的な響きを丁寧に整理し、曲の内容を的確に捉えている。確信に満ちたフレーズ処理と完璧なリズム感だけでも絶賛に値するが、オーケストラ顔負けの迫力と多彩な響きを引き出している技術にも感嘆せずにはいられない。この演奏に比べるとさすがに魅力が劣るが、アカデミー室内管弦楽団室内アンサンブル(Chandos)もなかなか。非常に整った演奏で、技術的に至難な部分も丁寧に弾き込んでいる様子が大変好ましい。ただ、手堅いアンサンブルで模範的な演奏なのだが、この複雑なスコアから多彩な響きを引き出すところまでは練られていないのは残念。また、スークQ&ドレツァルQ(panton, LP)は極端な鋭さはなく、むしろふくよかで暖かみのある音楽だが、この作品の魅力を十分に伝えている。リズムや和声の前衛性よりは若々しい抒情性が前面に押し出されているのが面白い。技術的にも安定しており、万人に薦められる好演。

土臭い力強さに満ちた曲だけに、弦楽合奏の形で演奏されることもある。コントラバスを付加した編曲はL.ゴスマンのものが知られているが、他にもあるかもしれない。ただ、いずれにせよ大差はない。スピヴァコーフ/モスクワ・ヴィルトゥオージ(RCA)ゴスマン/亡命ロシア人管弦楽団(Olympia)の2つが現在のところ双璧。前者は弦楽合奏としては驚異的な精度。八重奏でも至難なこの曲を、極めて緊密なアンサンブルでこなしているのが凄い。コントラバスが入ることによる響きの充実が、よく生かされている。テンポ設定や解釈も全く妥当なもの。一方後者は、スケールの大きな名演。若干粗い部分もあるが、この熱い音楽作りの前では全く問題にならない。曲に対する共感の何と凄いことか。初期ショスタコーヴィチの前衛的なスコアが、実に凄惨な響きとして音化されている。この曲の真価を明らかにしてくれる演奏といえよう。共に優劣は付け難いが、ショスタコーヴィチ初期のどこか冷たい乾いた雰囲気がよく出ているのはスピヴァコーフ盤だろう。ただ、より魅力的なのはゴスマン盤の方だ。

ボロディーンQ&
プロコーフィエフQ盤

(BMG 74321 40713 2)
アカデミーCO
室内アンサンブル盤

(Chandos CHAN 9131)
スークQ&ドレツァルQ盤
(panton 8111 0195, LP)
スピヴァコーフ盤
(RCA 09026 61189 2)
ゴスマン盤
(Olympia OCD 196)

ピアノ五重奏曲ト短調 作品57

1938年、交響曲第5番作品47が大成功を収めた後、ショスタコーヴィチは弦楽四重奏曲第1番作品49を作曲した。この初演はグラズノーフ四重奏団が行ったが、後にベートーヴェン四重奏団もこの曲を取り上げた。これが、以降13曲に及ぶ弦楽四重奏曲の初演を担当する演奏家とショスタコーヴィチとの出会いであった。本作品は、この出会いをきっかけにしてベートーヴェン四重奏団がショスタコーヴィチと共演できるような曲を依頼したことによって作られた。1940年9月14日に完成し、1940年11月23日にモスクワ音楽院小ホールにて初演された。演奏は、もちろんショスタコーヴィチとベートーヴェン四重奏団である。初演は大成功で、鳴り止まぬ拍手に応える形で結局全楽章がアンコールされたという。翌41年には第1回スターリン賞第一席を受賞した。

この曲は、決して数が多いとはいえない古今のピアノ五重奏の中でも屈指の名曲である。5楽章から成るが、どちらかといえば組曲風の構成をとっており、各楽章には「前奏曲」「フーガ」「スケルツォ」「間奏曲」「終曲」という標題がつけられている。しかしながら、各楽章間に見られる有機的な関連はいかにもショスタコーヴィチらしいもので、決して散漫にならない見事な造形がなされている。特に全楽章を貫く簡潔でありながらもスケールの大きい、均整の取れた論理的な緻密さは圧倒的で、まさに傑作の名に恥じない作品である。加えて、時にバッハをも連想させる明瞭で澄んだ情緒や、単に明るく爽やかなだけではない深みのある情感をも持ち、“哲学的抒情性”(井上頼豊氏)が強く感じられる。ショスタコーヴィチの全作品の中でも人気が高いのは、こうした優れた内容に負うところが大きいのだろう。

人気作だけに録音の数は少なくないが、この曲を語る上で避けては通ることのできない演奏がD. ショスタコーヴィチ/ベートーヴェンQ(Victor)による1950年頃の録音である。録音は悪いが、全ての面において理想的な名演。そっけないほどインテンポで音楽は進んでいくが、一音一音に何と豊かなニュアンスが込められていることか!絶頂期にあったベートーヴェン四重奏団の美しい音色も筆舌に尽くしがたい。ボリソフスキイの深いヴィオラの音は、特に素晴らしい。抒情的な部分とリズミカルな部分とのバランスが極めて適切にとられていて、どの一瞬をとっても弛緩していることがない。2楽章や4楽章で表現されている世界の深さにも、ただただ驚くばかりだ。同じD. ショスタコーヴィチ/ベートーヴェンQ(Dante)という顔合わせによる1940年代の録音も残されている。こちらも、全体にゆったりとしたテンポで、この曲の抒情的な美しさを丁寧に表出した名演。録音も、各奏者の名技を堪能するには十分にクリアなもの(さすがに強奏では音が割れているが)。若々しい張りが感じられ、非常に魅力的な演奏だ。

筆者が個人的に最も好きな演奏は、エドリーナ/ボロディーンQ(Victor)盤。これも完璧といって良い名演。ショスタコーヴィチが頭の中で聴いていたであろうロシア流儀の太く暖かい音色と、正確な技術が楽譜を余すところなく音化している。どこか現代的でスマートな演奏スタイルも、この曲にふさわしい。しかも、自然で清らかな音楽の流れが素晴らしく、一瞬たりとも弛緩したり、性急に感じられたりすることがない。加えて、全ての音に切なくも暖かい情感が満ちている。一方、第一ヴァイオリンのドゥビーンスキイ亡命後の同じ団体によるリヒテル/ボロディーンQ(Victor)盤は非常に重厚な演奏。ライヴ録音だが、技術上の瑕は全くといってよいほどない。この曲の持つ瞑想的な側面が生かされた解釈である。ボロディーン四重奏団の美質が、巨大なリヒテルに包まれながら発揮されている。どちらかといえばリヒテルの個性が前面に出ているものの、横綱相撲とでも形容できる貫禄に満ちた演奏。

西側の団体による演奏としては、アシケナージ/フィッツウィリアムQ(London)盤がスケールの大きな名演で抜きん出ている。ショスタコーヴィチの室内楽を知り尽くしたフィッツウィリアムQと、曲との相性が良いのか絶好調のアシケナージとのアンサンブルがツボにはまっている。ロシア色を前面に押し出してはいないが、自然にロシア風の情緒が漂う中にも、どこか西側の団体らしい洗練が感じられるところもこの曲にふさわしい。聴き応えのある演奏だ。

他には、レオンスカヤ/ボロディーンQ(Teldec)盤、オボーリン/ベートーヴェンQ(Triton)盤、ボロディーン・トリオ他(Chandos)盤辺りに興味を惹かれる。曲が良いだけに大概の演奏でも十分楽しめはするが、やはりここで挙げた録音の魅力には敵わない。

D. ショスタコーヴィチ&
ベートーヴェンQ盤

(Victor VICC-2048)
D. ショスタコーヴィチ&
ベートーヴェンQ盤

(Dante LYS 369-370)
エドリーナ&
ボロディーンQ盤

(Victor VICC-2118)
リヒテル&
ボロディーンQ盤

(Victor VDC-1142)
アシケナージ&
フィッツウィリアムQ盤

(London F35L-50441)
レオンスカヤ&
ボロディーンQ盤

(Teldec WPCS-6434)
オボーリン&
ベートーヴェンQ盤

(Triton MECC-26020)
ボロディーン・トリオ盤
(Chandos CHAN8342)

弦楽四重奏曲第1番ハ長調 作品49

交響曲と同数の15曲に及ぶ弦楽四重奏曲の、記念すべき第一作。それまでにチェロ・ソナタ作品40くらいしか代表作のなかった室内楽の分野へ、本格的な第一歩を踏み出すきっかけとなった作品であるが、いわゆる“満を持して”という感じで取り組まれたわけではないのが面白い。

そもそも、弦楽四重奏曲というジャンルへの挑戦は、これが初めてではない。ヴィヨーム四重奏団の依頼で1931年に書かれた弦楽四重奏のための2つの小品 作品D(i)が、現在知られているショスタコーヴィチ最初の弦楽四重奏曲である。これは当時人気のあった自作の編曲だが、この編成に対するショスタコーヴィチの適性の良さが既に窺われる出来となっている。弦楽四重奏用の初のオリジナル作品は、映画音楽「女友達」作品41(ii)(1934〜5年)の中に含まれた12曲の前奏曲である。この映画の冒頭でタイトルバックに流れている旋律は、この弦楽四重奏曲第1番の第2楽章の主題として流用されている。さらに、交響曲第4番作品43の準備として弦楽四重奏曲を手掛けたこともあるようだが、これは現在のところ全く耳にすることができない(DSCH社から刊行予定の新全集第102巻には弦楽四重奏曲の断章が収録されるようだが、それがこの曲なのかどうかは現時点で確認できていない):

いまやわたしは第四交響曲という大きな仕事にとりくんでいる。……これはわたしにとって非常に複雑で責任のある仕事だから、まず室内楽と器楽曲の形式でいくつか書いてみたいと思っている。そうすれば、交響曲形式をより深くより確実にものにする助けとなるだろう。弦楽四重奏曲にはすでにとりかかっている。ついで、レニングラードで構想したヴァイオリン・ソナタを書くつもりだ。(『夕刊モスクワ』1935年4月11日号:ショスタコーヴィチ自伝, p. 64)

これらのことは、弦楽四重奏曲に挑戦するための周到な下準備では全くなかった。交響曲第5番作品47の成功後、比較的軽いつもりで作曲が始められたようだ:

私は、特別、何かを考えたり感じたりすることなく、それを書き始めました。そこから何かが生まれるなど思ってもいませんでした。何といっても、弦楽四重奏曲はもっとも難しい音楽ジャンルのひとつです。一ページ目は斬新な試作のようなつもりで、四重奏形式で書きましたが、その先それを完成させようとか公表しようとは、考えてもいませんでした。通常、私は発表しないものも、かなり頻繁に書きます。それらは私のようなタイプの作曲家にとっての習作なのです。しかしその後、弦楽四重奏曲の作曲に取り憑かれ、相当なスピードでそれを仕上げました。(ファーイ:ショスタコーヴィチ ある生涯, P.152)

この言葉通り、1938年5月30日に作曲が開始されてから、同年7月半ばには全曲が完成した。ソレルティーンスキイに語ったところによると、第1楽章と第4楽章は当初逆になっていたらしい。ショスタコーヴィチ本人はその出来に必ずしも自信があったわけではないようだが、1938年10月10日にグラズノーフ四重奏団によってレニングラードで行われた初演では好評を博した。同年11月16日には、ベートーヴェン四重奏団によるモスクワ初演が行われた。ここではアンコールで全曲が繰り返されるほどの大成功をおさめた。この時から、ベートーヴェン四重奏団との生涯に渡る親交が始まるのである。

ショスタコーヴィチ自身が「春の曲」と呼び、“喜びにあふれた、楽しい、抒情的なもの”と語った通り、簡潔ながらも味わい深い佳曲である。中期作品の特徴である平明な旋律美など、ショスタコーヴィチの個性が十分に発揮されているものの、彼独特の弦楽四重奏曲の書法はまだ確立していない。それでも、第2楽章でロシア民謡風の旋律が用いられている辺りなどに、初期の弦楽四重奏曲に共通する特徴を窺うことはできる。

内容とか精神性といった部分で勝負するような曲ではないだけに、清潔な技術と音楽性を持った団体の演奏で聴きたい。この曲に“泥臭い名演”はない、とうのが筆者の意見。この条件を満たすのが、ボロディーンQの演奏。新旧3種類の録音があるが、80年代の黄金時代を築いたメンバーによる、最後のショスタコーヴィチ作品の録音となった1989年盤(Teldec)を第一に挙げたい。磨き上げられたアンサンブル、作品を完全に手中に収めた自信、いずれも名演の名にふさわしい素晴らしい出来。技術的な精度の高さはもちろんのこと、あらゆる表現が文字通り模範的な仕上がりを見せている。もちろん、全集に収録されている1980年盤(Victor)も素晴らしい。磨き上げられた技術、輝かしくも芯のある骨太の音色、きびきびとしたリズム感、全てがこの作品にふさわしい。曲の魅力を最も素直に味わうことのできる名演。さらに、旧メンバーによる1967年盤(Victor)を忘れることもできない。洗練された上品な音楽性と、磨き上げられた演奏技術が高い次元で両立しているこの団体ならではの名演。第3、4楽章におけるアンサンブルの鮮やかさに舌を巻く一方で、第1、2楽章ではいかにもドゥビーンスキイ時代らしい温もりに満ちた歌に心を打たれる。

初演者であるグラズノーフQ(USSR, SP)の録音を聴くと、意外なほどおっとりとしたまろやかな美しさが前面に押し出されている。この路線をより洗練させたとも言えるエーデルQ(Naxos)盤は、伸びやかな歌心が印象的な美演。鋭さとかショスタコーヴィチらしさは少々後退しているものの、この曲においては特に気にならない。メリハリの利かせ方にややわざとらしさが感じられるのは惜しいが、最良の意味で聴きやすい演奏だといえる。フィッツウィリアムQ(London)盤も、静謐感漂う落ち着いた秀演。ロシア臭さが見事に洗練されているところに違和感を覚えなくもないが、丁寧な仕上げを通して普段気づかない美しさが素直に表出されている。

ロシアの団体では、タネーエフQ(Victor)が、若々しく、覇気に満ちた賑やかな音楽で楽しい。引き締まったリズムと抒情的な歌の両方が十分に満たされており、模範的な解釈といえるだろう。ただ、特に終楽章で技術的な粗さが目立つのが惜しい。ベートーヴェンQには2種類の録音があるが、どちらもこの団体の特徴を十分に伝えてくれる。1961年のスタジオ録音(Consonance)では、徹底して第一ヴァイオリン主導のバランスと、ポルタンメントを多用する奏法が古めかしいものの、強靭でありながらも繊細な弦の響きの素晴らしさを楽しむことができる。明るく抒情的なこの作品の雰囲気を実によく表出している。一方、この前年である1960年の放送録音(Triton)は随所で勢い余りまくっているが(特に第4楽章)、ライヴならではの熱気と作品に対する共感とが漲っている好演。放送録音ながらも当時としてはまともな録音状態。

ショスタコーヴィチの弦楽四重奏の管弦楽編曲をいくつも手がけているバルシャーイは、「アイネ・クライネ・シンフォニー」という題でこの作品も編曲している。バルシャーイ/水戸室内O(Sony)盤が唯一の録音だが、これは非常に鮮やかな演奏。切味の良さ、音色の美しさ、いずれをとっても一級品である。編曲そのものにも起因するのだろうが、原曲とほぼ同じような印象で聴き通すことができる。弦楽合奏ならではのスケール感よりは、原曲の持つ雰囲気を大切に、オーケストラの高い機能性を存分に発揮した演奏といえるだろう。

ボロディーンQ盤
(Teldec 4509-98417-2)
ボロディーンQ盤
(Victor VICC-40018/23)
ボロディーンQ盤
(Chandos CHAN10064(4))
エーデルQ盤
(Naxos 8.550973)
フィッツウィリアムQ盤
(London F00L-29155/60)
タネーエフQ盤
(Victor VICC-40104/9)
ベートーヴェンQ盤
(Consonance 81-3005)
ベートーヴェンQ盤
(Triton MECC-26018)
バルシャーイ盤
(Sony SRCR 1675)
グラズノーフQ盤
(USSR LRK 2191, SP)

弦楽四重奏曲第2番イ長調 作品68

1944年2月11日、ショスタコーヴィチの大親友イヴァーン・イヴァーノヴィチ・ソレルティーンスキイが急逝した。前年の末には「ロシアの民族的主題」に基づくピアノ三重奏曲第2番を作曲していることをソレルティーンスキイに伝えていたショスタコーヴィチは、その楽曲をソレルティーンスキイを追悼する作品として仕上げなければならなくなった。ショスタコーヴィチが精神的に大きなショックを受けたことは間違いない。それは、彼の創作力にも大きく影響した。グリークマンが受け取った1944年4月19日の手紙では、次のような弱音が書き綴られていた:

仕事ができないのです。何も作曲していません。このことは私自身を大変苦しめるし、私はもう一音ですら作曲できないかのように思えるのです。(I. Glikman: Story of a friendship, p. 25)

しかし、8月13日にピアノ三重奏曲を完成させると、それまでが嘘のような勢いで、この四重奏曲が一気に書き上げられた。第1楽章が9月5日に仕上がると、翌9月6日には第2楽章を書き上げ、9月15日に第3楽章を作曲し終えると、第4楽章が9月20日に出来上がり、全曲が完成した。第2楽章を一気に書き終えて第3楽章に取り掛かろうという時点で、ショスタコーヴィチはヴィッサリオーン・ヤーコヴレヴィチ・シェバリーンに手紙を送った。それは、二人が知り合って20年の記念であった:

弦楽四重奏曲の第2楽章を昨日書き終えました。そして、一息つくこともなく(最後から2番目の)第3楽章に着手しました。前述の20周年を記念して、この弦楽四重奏曲をきみに捧げたいと思います。(ショスタコーヴィチ ある生涯, P. 184)

私は、作曲する時の光のような速さについて、心配しています。これが悪いことなのは、疑うまでもありません。私のような速さで作曲するべきではないのです。作曲というのは厳粛な過程です。友人のバレリーナは、「ギャロップで進み続けることなんて出来ないですよ」と言いました。私は悪魔のような速度で作曲し、自分でそれを止めることができないのです。……それは消耗しますし、愉快なわけでもなく、一日の終わりにその結果に対して確信を持つこともないのです。しかし、私はこの悪習をやめることができないのです。(E. Wilson: Shostakovich: A Life Remembered, p. 196)

こうして出来上がった四重奏曲は、ピアノ三重奏曲同様、ロシア風の響きが色濃いものであった。各楽章にはそれぞれ「序曲」「レチタチィーヴォとロマンス」「ワルツ」「主題と変奏」という標題がつけられており、ショスタコーヴィチが得意としたバロック組曲風の楽曲構成(たとえばピアノ五重奏曲や交響曲第8番など)を採っていることがわかる。弦楽四重奏曲に対する独自の語法というほどのものはまだ確立されていないが、自ら習作と考えていた第1番とは異なり、たとえば第2楽章に歌劇風のレチタティーヴォを入れてみたり、緩徐楽章である第4楽章で得意のパッサカリアを使用するなど、ショスタコーヴィチならではの新機軸を打ち出そうという意図も垣間見える。

初演はベートーヴェン四重奏団により、1944年11月14日、ピアノ三重奏曲第2番と共に行われた(レニングラード・フィルハーモニー大ホール)。

“ロシア風”な響きに満ちた作品だけに、やや古風ながらも、ベートーヴェンQ(Consonance)盤を最初に挙げたい。もちろん絶妙の音色だけではなく、適切なテンポや引き締まったリズムなども、この作品の理想的な演奏と言ってよいだろう。彼らがこの曲を演奏する姿の一部は、『ソヴィエト・エコーズ』Vol. 2(Happinet Music, DVD)で観ることができる。ボロディーンQの1967年盤(Chandos)では、輝かしくも温かいドゥビーンスキイの魅力が全開。もちろん、それを支える他の3名も単なる伴奏に留まることなく、雄弁で有機的な絡みを披露している。洗練されていながらもロシア風の土臭さを強く漂わせているこの団体の特徴と、作品の持ち味とが見事に結びついた名演である。同じ団体の1983年盤(Victor)もまた、土臭さと洗練とが高い次元で融合した名演。しっとりとした深い歌い込みと切れ味鋭い技術の冴えとの対比が、作品の魅力を余すところなく伝えている。正攻法の解釈と卓越した技術が光る傑出した演奏である。ボロディーンQには、第1Vnがアハロニャーンに交代した後ではあるが、映像(RUSCICO, DVD)もある。

やや垢抜けないながらも、グルジアQ(Praga)盤はロシア風情緒を見事に表出した好演である。ただ、随所により一層の切実さを求めたいところではある。タネーエフQ(Victor)盤は、きびきびとした動きの中にも、骨太の歌と情熱がぎっしりと詰まった秀演。全体に荒っぽい感じが強いのが惜しい。この演奏をより現代的にしたと言えるのが、サンクト・ペテルブルグQの1994年盤(Sony)だろう。若々しい情熱が自然な形で表出されており、作品の魅力が素直に引き出されている。ロシア風とは少し異なるが、ダネルQ(Fuga Libera)盤の木の香りがする硬派な音色も心地好い。全体を覆う熱気もさることながら、大柄な音楽の作りが曲によく合っている。とりわけ、第4楽章の歌が感動的である。

同じロシア勢ながらも、ショスタコーヴィチQの1996年盤(Sacrambow)は土臭い力感と同時に、歌心に満ちているのが特徴的である。野暮ったさの残る響きが不思議と魅力的。聴き手を圧倒するというよりは、自然に音楽に引き込んでしまうような雰囲気がある。この路線では、エーデルQ(Naxos)盤の 温かみのある豊潤な響きが非常に美しい。伸びやかな歌心も素晴らしく、情感溢れる音楽はこの作品の美質を再認識させてくれる。ただ、表現がやや平坦で曲の持つ劇性が十分に表現されていないのは惜しい。フィッツウィリアムQ(London)盤は、真摯なアプローチで響きと旋律の美しさ、そしてリズムの特徴を聴かせるといった感じの演奏。最良の意味で、模範的な演奏と言うことができるだろう。

ベートーヴェンQ盤
(Consonance 81-3005)
Soviet Echoes: Vol. 2
(Happinet Music
HMBC-1003, DVD)
ボロディーンQ盤
(Chandos CHAN10064(4))
ボロディーンQ盤
(Victor VICC-40018/23)
ボロディーンQ盤
(RUSCICO
RUSD9566DVD, DVD)
グルジアQ盤
(Praga PR 254 042)
タネーエフQ盤
(Victor VICC-40104/9)
サンクト・ペテルブルグQ盤
(Sony SK64584)
ダネルQ盤
(Fuga Libera FUG512)
ショスタコーヴィチQ盤
(Sacrambow ATCO-1009)
エーデルQ盤
(Naxos 8.550975)
フィッツウィリアムQ盤
(London F00L-29155/60)

弦楽四重奏曲第3番ヘ長調 作品73

1945年11月3日に初演された交響曲第9番は、戦争に対するショスタコーヴィチなりの意見表明であった。続いて取り組んだこの四重奏曲もまた、同じ内容を持つ作品だと考えられる。ボロディーン四重奏団のチェロ奏者であったベルリーンスキイは、各楽章について、ショスタコーヴィチが以下のような標題を想定していたと主張している:第1楽章「嵐の前の静けさ」、第2楽章「不穏の物音と予感」、第3楽章「解き放たれた戦争の力」、第4楽章「死者へのオマージュ」、第5楽章「永遠の問い―なぜ?そしてなんのため?」

この標題の正当性はさておき、楽曲の雰囲気は概ねこの通りであると言ってよい。交響曲第9番と同様、陽気で、そしてどこか呑気な雰囲気でこの曲は始まる。しかし、それは第2楽章で一変する。真正面から戦争の悲劇を暴き出すような曲調は、交響曲第8番を連想させる。ちなみに、作曲は第2楽章から始められている。1946年1月26日に第2楽章を仕上げてからしばらくの間、創作は停滞したが、5月9日に第1楽章を書き上げて以降は第3楽章が6月17日、第4楽章が7月13日、最後の第5楽章が8月2日といった感じで一気に完成された。

後年、ショスタコーヴィチは弦楽四重奏曲のジャンルにおいて自問自答のような内省的な雰囲気を深めていくが、本作品はまだその路線上にはなく、第2番と同様にむしろ交響曲と共通する姿勢で書かれているようにも思える。その意味でも、その内容において交響曲第9番と表裏一体をなす作品と捉えることができるだろう。ショスタコーヴィチ自身はこの作品に大変満足しており、ベートーヴェン四重奏団の第2Vn奏者V. シリーンスキイに「この弦楽四重奏曲ほど、自分の作品に満足感を抱いたことはなかったように思います。思い違いかもしれませんが、今は本当にそう感じているのです」(ショスタコーヴィチ ある生涯, P. 193)と語ったという。事実、その内容の深さや広がり、そして音楽作品としての完成度の高さは傑出しており、第8番と並んで演奏頻度の高い作品となっている。

初演は1946年12月16日にモスクワ音楽院小ホールで行われた。初演者のベートーヴェン四重奏団に献呈されている。

有名曲だけに、録音の数も多く、またそれゆえに優れた演奏も少なくない。それらの中でも最高峰に位置するのが、ボロディーンQの1967年盤(Chandos)である。決してひけらかしているわけではないのに耳を奪われる鮮やかな技術の切れ味や振幅の大きな表現力に加えて、4人が極めて高い次元で同一化していることに、ただただ圧倒させられる。全曲を貫く猛烈なテンションと鋭い緊張感も凄い。まさに完璧としか言い様がない。同じ団体の1983年盤(Victor)も、貫禄の演奏。ヴィオラ、チェロの深く落ち着いた響きにのって、コーペリマンの細身で透明な音色が美しく響き渡る。第3楽章の力強い響きと第4楽章の哀切極まる音楽との対比が絶妙で、彼らの豊かな表現力に圧倒される。後年、そのコーペリマンが結成したコーペリマンQ(Nimbus)による演奏も、極めて完成度の高いアンサンブルと大きなスケール感を持った音楽が傑出した名演である。

早目のテンポと猛烈なテンションが有無を言わさないタネーエフQ(Victor)盤も、全ての音が聴き手の心に鋭く突き刺さり、鮮烈な印象を残さずにはおかない。作品の持つ暴力的なまでの力強さを余すところなく表現しきった名演。逆に、ショスタコーヴィチQの1980年盤(Olympia)は、大柄でどこか余裕のある骨太の力感溢れる音楽の流れが特徴的である。技術的にも音楽的にも十分に磨きあげられていて、間然とするところがない。

隠れた名盤とも言えるのが、アマティQ(Jecklin-Disco)盤。素直な音楽作りと、隅々まで磨き上げられた美しい響きが光る。外面的な派手さや、ロシア風のアクとは無縁だが、真摯に作品の内面を描き出している。

他人の手による編曲にあまり興味はないが、どうせなら低弦を増強しただけの弦楽合奏より、バルシャーイによる「弦楽器と木管楽器のための交響曲」と題された編曲のように凝ったものの方が、交響曲的な広がりを持つこの作品の多彩な響きを引き出していて面白い。編曲者自身によるバルシャーイ/水戸室内O(Sony)盤が、鮮烈さと深さを持った名演。大変洗練された響きだが、鳴っている音の意味深さは比類なく、非常に完成度の高い演奏である。同じ指揮者によるバルシャーイ/ヨーロッパ室内O(DG)盤も、非常に洗練された透明な響きが素晴らしい。曲の骨格と意味がくっきりと描き出されている。一方、マルキス/新アムステルダム・シンフォニエッタ(Globe)盤の勢いに満ちた演奏は、管楽器を強めに押し出すバランスがこの編曲の特徴を明らかにすると共に、曲名通り“交響曲”を感じさせるところが非常に個性的。

ボロディーンQ盤
(Chandos CHAN10064(4))
ボロディーンQ盤
(Victor VICC-40018/23)
コーペリマンQ盤
(Nimbus NI 5762)
タネーエフQ盤
(Victor VICC-40104/9)
ショスタコーヴィチQ盤
(Olympia OCD 531)
 
アマティQ盤
(Jecklin-Disco JD 620-2)
バルシャーイ盤
(Sony SRCR 1675)
バルシャーイ盤
(DG POCG-1572)
マルキス盤
(Globe GLO 5093)

弦楽四重奏曲第4番ニ長調 作品83

1949年4月、ニューヨークで行われた世界平和文化科学会議から帰国したショスタコーヴィチは、新しい弦楽四重奏曲に着手した。第1楽章は1949年5月4日、続く第2楽章は6月1日に仕上がるなど順調に作曲は進み、「森の歌」作品81の作曲を挟んで第3楽章が8月28日に書き上げられ、12月27日には全曲が完成した。

ニューヨーク滞在中にジュリアードQの演奏会で、バルトークの弦楽四重奏曲第1、4、6番を聴いたことが作曲を思い立った一因とも言われているが、本作品にバルトークの直接的な影響はなく、そもそもこれといった革新性すら見られない、かなり保守的な楽曲に仕上がっている。

各楽章に標題等は与えられていないが、それぞれに異なった性格を持ちながら、穏やかで抒情的な気分は全曲を通じて一貫しているという、典型的なショスタコーヴィチ風組曲の体裁を持つ。第1楽章でミクソリディア旋法が用いられているが、それ自体は特別視するほどの特徴とは言えないだろう。むしろ、終楽章がユダヤ音楽の音調で書かれていること、そのクライマックスでムーソルグスキイを連想させるいかにもロシア的な楽句が印象的に鳴り響くことの方が、聴き手にとってはよほど重要かもしれない。この時期には、ヴァイオリン協奏曲第1番 作品77や「ユダヤの民族詩より」作品79も作曲されていることから、この四重奏曲も一連の“ユダヤ・シリーズ”として捉えられることも多い。ただ、作曲中にミホエルス事件が起こったヴァイオリン協奏曲や、必ずしも“楽観的ではない”ユダヤの詩を採用した「ユダヤの民族詩より」とは異なり、この四重奏曲で登場するユダヤ風の音楽にどれほどの象徴的な意味が込められているのかは明らかでない。

とはいえ、ジダーノフ批判直後の当時、音楽以外の要因から絶対に成功すると確信できる作品(たとえば「森の歌」や映画「ベルリン陥落」の音楽など)以外を、ショスタコーヴィチの立場で発表することは極めて危険な賭けであった。ジダーノフ批判で提示された“古典的・人民的傾向を持ったリアリスティックな作品”とは、すなわち“スターリンおよび党を讚美する内容の歌詞を持ったオラトリオやカンタータ”であり、普通の交響曲ですら皆が創作を控えていた時期に、純音楽的な室内楽などという、どうとでも(悪意をもって)解釈し得る作品を世に問うことなど、社会的には馬鹿げた行為であった。実際ショスタコーヴィチは、少なくない友人達から初演を差し控えるように忠告されたようだ。しかしながら、「ユダヤの民族詩より」でもそうであったように、ショスタコーヴィチが初めから作品の公開演奏を諦めていたわけではない。翌1950年5月15日には、文化省の役人(ホロジーリン)の前でごく内輪の試演を行った。この曲の発表を当面は見送ることが決断されたのは、この時のようだ。その後、ボロディーン四重奏団も文化省の役人を前に演奏する機会があったらしい。チェロ奏者のベルリーンスキイは次のように回想している:

ショスタコーヴィチが第4四重奏曲を書いた1949年は、彼にとって最も困難な時期でした。私達はこの四重奏曲を、ショスタコーヴィチが何らかの金銭的報酬を得られるようにするため、文化省からの作曲依頼を獲得すべく、演奏しました。アレクサーンドル・ホロジーリンは、芸術問題委員会の音楽部門の部門長であり、決定を下す権限を持っていました。彼はレニングラードからやってきた、洗練されていて、知的な、そして進歩的な考えを持った人物でした。彼は、ショスタコーヴィチを援助しようとしました。この試みは目的を達することができました。文化省はこの四重奏曲を買い上げ、ショスタコーヴィチは報酬を得ることができました。しかしながら、公衆の前で演奏されたのは、スターリンの死後でした。この時に、私たちがこの曲を2度演奏しなければならなかったという噂話があります。最初は本物の解釈で、そして二度目は“社会主義的な”内容を納得させるために“楽観的な”解釈で演奏したのだという。それはちょっとした作り話で、真実ではありません。音楽で嘘をつくなんてできないのです。(E. Wilson: Shostakovich: A Life Remembered, pp. 245〜246)

初演は1953年12月3日、ベートーヴェン四重奏団によって行われた。スターリンが死んだ途端に……といった感じの初演ラッシュで、同年11月13日には弦楽四重奏曲第5番、12月17日には交響曲第10番が立て続けに初演されている。なお、出版譜には記されていないが、ボリショイ劇場などで舞台美術として活躍し、1947年に45歳で亡くなったピョートル・ヴィリアムスの霊に献呈されている。

エーデルQ(Naxos)盤が、この作品の美しさを余すところなく表出した名演である。表現の幅が広く、自然に聴き手を引き込むような説得力に満ちている。テンポ設定やリズムの処理も適切で、文字通り模範的な演奏と言うことができる。この作品の初録音であったチャイコーフスキイQ(Melodiya, LP)盤の、磨き上げられたアンサンブルと作品を深く理解した揺るぎのない解釈も素晴らしい。清冽な抒情と狂気のコントラストも理想的で、名手を揃えたこの団体の真価が存分に発揮された演奏である。

ボロディンQが1962年に行った二つの録音も、立派な演奏である。Chandos盤は知・情・意のバランスが極めて適切な好演だが、それでいて表現の幅が非常に大きく、スケール大きな仕上がりになっているのはさすが。ただし、終楽章についてはMercury(LP)盤の熱気溢れる音楽の方がより魅力的である。もちろん、全集(Victor)盤も卓越した技術や透明感溢れる美しい音色、引き締まったリズムが素晴らしく、スマートながらも振幅の大きな表現力が見事である。

タネーエフQ(Victor)盤は、骨太でありながらも洗練された澄んだ音色が魅力的である。早目のテンポでスタイリッシュにまとめながらも、精神の力強さに満ちた音楽に圧倒される。特に終楽章はかなり速いが、上滑りするようなことはなく、強烈な説得力を持っている。一方で抒情的な美しさにも不足せず、第2楽章の歌は忘れがたい印象を残す。

この他、やや線は細いが美しく滑らかな仕上がりが印象的なドビュッシーQ(Arion)盤、若々しい勢いを感じさせながらも、落ち着いた歌心が魅力的なショスタコーヴィチQの1981年盤(Olympia)、ややあっさりしているものの爽やかで伸びやかな歌心と下から突き上げるような骨太の力強さが心地好いシベリウス・アカデミーQ(Finlandia)盤なども聴き逃すには惜しい演奏である。

古典的な名盤であるフィッツウィリアムQ(London)盤は、後半の楽章にもう少し切れ味のある力強さを求めたいところだが、前半は非常に美しく、作品の美質が素直に引き出されている。広く万人に薦められる演奏といえるだろう。ベートーヴェンQ(Consonance)盤の、独特の肉厚な美感も捨て難い。解釈は極めて適切なもので、和声の美しさ、リズムの面白さ、意味深い挿入句など、文句なしに味わうことができる。

編曲物の演奏には、あまり感心できるものがない。唯一バルシャーイ/ヨーロッパ室内O(DG)盤だけが、ロシア風のアクの強さや、ユダヤ風の粘っこさには欠ける傾向があるものの、スケールが大きい名演である。バルシャイ自身による非常に凝った編曲の意図も、よく分かる。

エーデルQ盤
(Naxos 8.550972)
チャイコーフスキイQ盤
(Melodiya 33D 028031-32, LP)
ボロディーンQ盤
(Chandos CHAN10064(4))
ボロディーンQ盤
(Mercury SR 90309, LP)
ボロディーンQ盤
(Victor VICC-40018/23)
タネーエフQ盤
(Victor VICC-40104/9)
ドビュッシーQ盤
(Arion ARN 68461)
ショスタコーヴィチQ盤
(Olympia OCD 531)
シベリウス・アカデミーQ盤
(Finlandia 4509-98997-2)
フィッツウィリアムQ盤
(London F00L-29155/60)
ベートーヴェンQ盤
(Consonance 81-3005)
バルシャーイ盤
(DG POCG-1572)

弦楽四重奏曲第5番変ホ長調 作品92

第1楽章が1952年9月7日、第2楽章が同10月19日、第3楽章が同11月1日に書き上げられた。この作品の着想や作曲過程に関する公式発言、書簡、日記、証言、回想の類は、ない。

言うまでもなく、この時期はスターリンの最晩年(1953年3月5日死去)で、少なくとも表面的には個人崇拝の頂点であった。当然、ジダーノフ批判以後のショスタコーヴィチを巡る環境にも何ら変化はなく、この1952年に初演された作品は「我が祖国に太陽は輝く」作品90の1曲のみであった(ただし、映画「忘れがたい1919年」の公開はこの年の3月である)。スターリンに重大な健康不安がささやかれていたわけでもなく、政治体制を揺るがすような権力闘争があったわけでもない。すなわち、当分はこの社会情勢が続いていくことに誰も何の疑いを持たなかったこの時点で、この種の標題すら持たない室内楽曲を作曲したところで演奏される見込みなどないことは、ショスタコーヴィチ自身も分かり切っていたはずだ。

折しも、1952年の10月は第19回党大会に国中が集中していた。世間の喧騒をひっそりと避け、ショスタコーヴィチは「プーシキンの詩による4つのモノローグ」作品91と共に、文字通り“引き出しのため”にこの作品を完成させた。この次の作品は、スターリンの死後に作曲された交響曲第10番となる。したがって、この2曲はスターリン時代末期の絶望的な閉塞状況の中、ショスタコーヴィチがどのような精神生活を送っていたのかを考える上で非常に重要な鍵となる。

「プーシキンの詩による4つのモノローグ」は、「断章」「わたしの名がきみにとって何になるのだろう?」「シベリヤの鉱山の奥底で」「別れ」という4曲から成る。これは、ユダヤ人の辛く窮乏した生活や強制労働の苦しみを告発した詩と、恋愛感情を扱ったロマンス(ただし、流刑に伴う悲劇的な内容)とが交互に配置される構成となっている。前者の“辛く窮乏した生活や苦しみ”が何を意味をするのかは自明だが、後者の恋愛感情についても、レニングラード音楽院で教鞭をとっていた時代からの弟子であるガリーナ・イヴァーノヴナ・ウストヴォーリスカヤとの不倫関係に係るものと考えることが通説となっている。この弦楽四重奏曲も、ほぼこの歌曲と同様の内容を持っていると考えられるが、どちらかと言えば恋愛感情の方が支配的だったのではないかとも推測できる。

その根拠として、第1楽章冒頭で提示される第1主題がショスタコーヴィチの音名象徴であるDSCHの変形であること(C・D・Es・H・C♯)、その後に出てくる朗唱風の旋律がウストヴォーリスカヤの「クラリネット、ヴァイオリン、ピアノのための三重奏曲」(1949)の第3楽章の主題であることが挙げられる。ちなみに同じ主題は、ショスタコーヴィチ最晩年の傑作歌曲「ミケランジェロの詩による組曲」作品145の第9曲「夜」でも引用されている(この作品は、妻イリーナに献呈されている!)。

ウストヴォーリスカヤ:三重奏曲
(hat ART CD 6115)

初演はスターリンの死後、ベートーヴェン四重奏団の結成30周年を記念するシーズンだった1953年11月13日にモスクワ音楽院小ホールで行われ、初演者であるベートーヴェン四重奏団に献呈された。ちなみに、デニーソフが1953年12月1日に書き記した日記には、次のようなエピソードがある:

ドミートリイ・ドミートリェヴィチは、ベートーヴェン四重奏団による第5四重奏曲の演奏に満足していた。しかしショスタコーヴィチは、彼らは第4四重奏曲はあまりうまく演奏できないだろうと言った。彼は、第4番の初演はドゥビーンスキイ(ボロディーン四重奏団)にやってもらいたかったのだった。しかし、ベートーヴェン四重奏団は、そのことはショスタコーヴィチと自分達との関係を損ねるだろうと言ったのだった(彼らは怒ったのだ)。ドミートリイ・ドミートリェヴィチは「私は人間関係において、あまりに親しすぎるのも、あまりに敵対的なのも好きではない。人間関係というのは、単純にしておくべきだ」と言った。このことは、彼のふるまいをよく説明してくれる。(E. Wilson: Shostakovich: A Life Remembered, p. 243)

初演後間もなくショスタコーヴィチを訪問したデニーソフは、「作曲家はこの弦楽四重奏曲にいたく愛着を感じている(それとは対照的に、第4番は単に「愉快な」曲だと片づけた)」こと、「『音楽界が否定的な反応を示している』ので、弦楽四重奏曲第5番が出版されることはないだろう」ことを作曲家から聞いたという(ショスタコーヴィチ ある生涯, P.231)。『ショスタコーヴィチ自伝』の巻頭写真には、ソ連を代表する作曲家としての社会活動を記録した写真と並んで、批判を浴びた作品の舞台写真などが掲載されていたりする。そこに「ムツェンスク郡のマクベス夫人」と「明るい小川」の2つが紹介されていることは、プラウダ批判の誤りを認めているとも受け取ることができるが、ジダーノフ批判の時期に関わる写真は世界平和会議(1950年)に参加した時のものだけだ(たとえば「森の歌」の初演風景くらい、あってもよさそうなものだ)。にもかかわらず、何の脈絡もなく弦楽四重奏曲第4番と第5番の初版譜の表紙だけが並んで掲載されている。素晴らしい作品であることに疑う余地はないが、少なくとも一般的にはショスタコーヴィチの代表作として挙げられることの少ないこの2作品をこのように扱うことの意図は何だったのだろう。ジダーノフ批判については、行き過ぎた側面があることは認められたものの、その内容の全てが撤回されたわけでもない。「確かにあの時代には不幸なこともありました。でも、こういう内容の音楽も、わが党はきちんと出版してきたのですよ」というポーズなのか?

ボロディーンQの1984年盤(Victor)が、繊細な美しさと骨太で圧倒的な力感とが見事に共生した名演である。圧巻は第3楽章で、コーダの緊張感溢れる美しさと意味深さを兼ね備えた響きに圧倒される。同じ団体の1967年盤(Chandos)も、鋭い緊張感と人間的な暖かみ、地に足のついた骨の太い高揚感といった、この作品が求めている全ての要素を理想的な形で音化した名演。洗練されたアンサンブルの中に、ほのかに香るロシアの匂いがたまらなく魅力的である。艶やかで美しい響きに加え、激しいまでの熱気が盛り込まれたエーデルQ(Naxos)盤も、素晴らしい演奏である。特に奇を衒ったり、あざとい表現をしている訳ではないが、非常に雄弁でスケールの大きな音楽に仕上がっている。

両端楽章の叩き付けるような激情が際立つサンクト・ペテルブルグQの1994年盤(Sony)は、この団体のショスタコーヴィチ演奏の中でも白眉の一曲である。技術的にも音楽的にも極めて充実しており、作品の多様な襞を立派に音化している。緩徐楽章にはやや表面的な部分もあるものの、その美しい響きは十分に立派な出来である。同じ団体の2000年盤(Hyperion)は、さらに一層の深まりを見せている。的確かつ安定した音楽の運びには、この作品を手中に収めた自信と風格すら感じられる。ただ、激情の迸りが後退しているところが物足りない。作品の劇性を適切に把握した、緊張感に貫かれた音楽の運びという点では、ダネルQ(Fuga Libera)盤も充実した秀演である。スケールの大きな歌心にも不足していないので、作品に対する親しみやすさすら感じさせる。ショスタコーヴィチQの1984年盤(Olympia)の力感も、なかなかに魅力的だ。独特のノンヴィブラートを駆使した弱奏部も美しい。

フィッツウィリアムQ(London)による、スケールの大きな緊張感が張り詰めた、豊かな内容を持った名演も忘れ難い。勢いに任せることのない内面から沸き上がる高揚感が、実に素晴らしい。第2楽章の美しさと深い内容が傑出している。タネーエフQ(Victor)盤も、手堅いまとめ上げと、繊細かつ強靭な弱音の響き(特に第2楽章)が素晴らしい。ただ、この団体にしては、情熱的な盛り上がりや躍動感溢れるリズムには欠ける。この路線では、ドビュッシーQ(Arion)盤が充実している。素直な高揚感はやみくもな昂奮とは無縁で、静謐な部分の集中力と美しさを存分に引き立たせている。強烈なロシア臭よりは洗練されたまとまりが際立つ美演である。

現代の水準からすると細かい瑕が気にならなくもないが、ベートーヴェンQのライヴ盤(Triton)は4人が一体となって没入した、腹の底から沸き上がってくるような熱い音楽で、ショスタコーヴィチの強靭な精神力を体現した大熱演。同時代人の共感に、心を揺さぶられる。

ボロディーンQ盤
(Victor VICC-40018/23)
ボロディーンQ盤
(Chandos CHAN10064(4))
エーデルQ盤
(Naxos 8.550974)
サンクト・ペテルブルグQ盤
(Sony SMK66592)
サンクト・ペテルブルグQ盤
(Hyperion CDA67155)
ダネルQ盤
(Fuga Libera FUG512)
 
ショスタコーヴィチQ盤
(Olympia OCD 532)
フィッツウィリアムQ盤
(London F00L-29155/60)
タネーエフQ盤
(Victor VICC-40104/9)
ドビュッシーQ盤
(Arion ARN 68534)
ベートーヴェンQ盤
(Triton MECC-26018)

弦楽四重奏曲第6番ト長調 作品101

1954年12月4日、妻ニーナが急逝した。いわゆる恋愛感情のようなものは、おそらく既に失われていただろうが、人生の最も辛い時代(プラウダ批判とジダーノフ批判)を支えてくれた一家の大黒柱とも言うべき存在を突然失った悲しみは、さぞかし大きなものだったろう。いかにも浮世離れしているショスタコーヴィチにとっては、子供を養い、一家を支えるというごく当たり前のことも、非常な負担であったようだ。

ショスタコーヴィチは、当時まだ50歳にもなっていなかった。家庭的な意味だけでなく、一人の男性として女性を必要としていたとしても無理はない。どんな経緯があったのかはっきりと分かっていないが、ともかく1956年の夏、マルガリータ・アンドレーェヴナ・カーイノヴァという20代前半の女性と、いきなり再婚する。だが、この結婚は、結局のところわずか3年ほどで終止符を打つことになる。

この曲は、まだ新婚気分真っ盛りであったろう1956年の8月7〜31日に書かれている。当時のショスタコーヴィチは、ニーナの死以来、創作上のスランプとも言うべき寡作の状態に陥っていた。再婚を決意するに至ったショスタコーヴィチの内心は明らかではないが、いずれにせよ、新妻の存在が作曲の意欲や霊感に少なくない影響を与えていてもおかしくはないだろう。ただし、伝えられているところによると、マルガリータには音楽的な素養が乏しかったようだ:

彼女は、ある時、「白髪頭のソロヴィヨーフ」という歌をほめてこう言った。「あなたもこんな歌を作れたらいいのにね、ミーチャ」。(驚くべきショスタコーヴィチ, p. 199)

おそらくは、ショスタコーヴィチにもそれに対する配慮があったのだろう。出来上がった作品は、平明な旋律と穏やかな曲調に終始するものである。これは、マルガリータとの結婚時代の(数少ない)作品に共通する傾向である(スペインの歌、ピアノ協奏曲第2番、交響曲第11番、喜歌劇「モスクワよ、チェリョームシキよ」など)。

第1楽章の主題は「すばらしい一日、大地は一面花盛り!花々は育ち、僕も成長する」という、映画「ベルリン陥落」の中で子供達が練習している歌の旋律である。この主題は第4楽章でも用いられる。また、第3楽章にパッサカリア主題を、アタッカで続く第4楽章で回帰させるといったお得意の構成も採られている。さらに、全ての楽章を同じカデンツ(終止形)で締めくくっていることは、他の作品には見られない特徴である。このように、全体の統一感に対するこだわりが際立っているのだが、聴き手に小難しさを感じさせることはなく、要するに極めて“聴きやすい”音楽に仕上がっている。

グリークマンに宛てた手紙の中で、自らその出来に「満足している」(I. Glikman: Story of a friendship, p. 65)と語ったこの作品は、自身の生誕50年記念演奏会(1956年10月6日、レニングラード・グリーンカ・ホール)で初演された。

洗練の極致をいくアンサンブルと、ロシアの土の香りがする情感とのバランスが絶妙なボロディーンQの1967年盤(Chandos)が、真に充実した名演。同じ団体の1981年盤(Victor)も整然とした佇まいを持つ、硬質な美しさに満ちた好演だが、ライヴ録音であるにも関わらず、どちらかといえば冷たい肌触りに好みは分かれるかもしれない。この路線ならば、タネーエフQ(Victor)盤の、強靭で澄んだ音色と切れ味の良いリズムで、全体が鮮やかにまとめられた佳演も良いだろう。

ロシアの香り、という点ではショスタコーヴィチQの1981年盤(Olympia)が、骨太の力感溢れる暖かな音色が魅力的な、充実した秀演である。全ての音に力強さが満ちているだけではなく、すみずみまで歌い込んだ抒情性が非常に素敵。この団体の特質と作品とがよくマッチした、幸福な仕上がりと言えるだろう。力感を重視するならば、ダネルQ(Fuga Libera)盤も、高揚感に満ちた伸びやかな歌心が魅力的な秀演である。全曲のスケール大きな統一感も素晴らしい。

一方、平明な美しさという点では、エーデルQ(Naxos)盤が抜きんでた秀演である。地に足のついた表現力は、大柄でありながらも作り物ではない真実味に満ちている。全編に渡って肩の力が抜けた集中力が漲っているのも、この作品にふさわしい。ドビュッシーQ(Arion)盤は、少し腰の軽さを感じさせるものの、響きが落ち着いているおかげで浮ついた印象は全くない。上品ながらも気持ちの良さそうな歌が、この作品に相応しい。

ボロディーンQ盤
(Chandos CHAN10064(4))
ボロディーンQ盤
(Victor VICC-40018/23)
タネーエフQ盤
(Victor VICC-40104/9)
ショスタコーヴィチQ盤
(Olympia OCD 533)
ダネルQ盤
(Fuga Libera FUG512)
エーデルQ盤
(Naxos 8.550972)
ドビュッシーQ盤
(Arion ARN 68596)

弦楽四重奏曲第7番嬰ヘ短調 作品108

ショスタコーヴィチの二度目の結婚は、早々に破綻した。1959年5月、生きていれば50歳を迎えていたはずの、最初の妻ニーナのことをおそらくは想起しつつ、ショスタコーヴィチは新たな四重奏曲に着手した:

……作曲中のものとして、弦楽四重奏曲の総譜の一章半ぶんはできている。だがそれについては語る価値があろうとも思われない。じっさい仕事は始まったばかりなのだから……。(『ソヴェト文化』1959年6月6日号:ショスタコーヴィチ自伝, p. 293)

右手の治療のために入院生活を送っていた1960年2月に作曲は進められ、3月に完成した。全3楽章がアタッカで続けて演奏されるこの作品は、ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲全15曲中で、最も演奏時間の短いものである。楽章間で主題が引き継がれて回帰するような構成は、簡潔さと統一感に対するショスタコーヴィチの嗜好を凝縮している感がある。第6番の平明さとは打って変わり、曲調は内省的でいくらか気難しさを感じさせるものとなり、薄い書法(たとえば、第2楽章のほとんどは2〜3声で書かれている)から引き出される妙なる美しさは、後期の四重奏曲を予感させる。

作品の内容に関する作曲家自身の言葉やエピソードは特に遺されていないが、「ニーナ・ヴァシーリェヴナ・ショスタコーヴィチの思い出に」という献辞はスコアに書き込まれている。初演は1960年5月15日、レニングラード・グリンカ・ホールにてベートーヴェン四重奏団によって行われた。

ちなみに、ショスタコーヴィチが24の全ての調性で弦楽四重奏曲を作曲する構想をツィガーノフに打ち明けたのは、この作品のリハーサル中だったという:

「あなたの最後の四重奏曲を録音したいのですが。」

「最後の四重奏曲だって?」と、ショスタコーヴィチは語気を強めて言いました。「全部の四重奏曲を書き終えた時に、私の最後の四重奏曲の話をしましょう!」

「では、一体何曲作るおつもりなんですか?」とツィガーノフが尋ねました。

「24曲ですよ」と彼は答えました。「私が同じ調性を繰り返し使っていないことに気づいてませんでしたか?完全なセットとするために、24曲書くつもりです。」(E. Wilson: Shostakovich: A Life Remembered, p. 389)

ボロディーンQによる3種類の録音が、いずれも素晴らしい。中でも1990年盤(Virgin)が、暗く、深く、そして美しい、真に感動的な名演。腹の底から盛り上がってくる力感にも不足しないが、全体を支配しているのは透明感溢れる静けさ。端正なリズムに支えられた雰囲気に満ちた抒情が大変素晴らしい。1981年盤(Victor)も風格溢れる名演で聴き応えがあるが、1963年盤(Chandos)もまた、多彩な響きと人間的な情感に満ちた、極めて完成度の高い演奏。

初演者ベートーヴェンQには、初演からわずか4ヶ月後のライヴ録音(Triton)があり、その作品に没入し切った異様な昂奮には戦慄すら覚える。ただし、バランスがとれているのはスタジオ録音(Consonance)の方。どちらを好むかは聴き手の好み次第だろう。

ボロディーンQの第2代第1Vn奏者を中心に結成されたコーペリマンQ(Nimbus)盤も、極めて完成度の高いアンサンブルが傑出している。あらゆる音符に込められた表現意欲が空回りすることなく、非常に大きなスケール感を持った音楽が作り出されている。名演である。

アマティQ(Jecklin-Disco)盤も、磨き上げられた美感の傑出する、特筆すべき名演である。明晰ながらも多様な響きが見事で、ロシア風のアクの強さはないが、それゆえに広く受け入れられる演奏でもあるだろう。サンクト・ペテルブルグQの1994年盤(Sony)の、勢いの良い若々しい音楽も素晴らしい。特に中低音域の充実した響きが、雰囲気豊かな音楽を作り上げている。いたずらに深刻ぶらない伸びやかな歌心も心地好い。

ボロディーンQ盤
(Virgin 0777 7590412 3)
ボロディーンQ盤
(Victor VICC-40018/23)
ボロディーンQ盤
(Chandos CHAN10064(4))
ベートーヴェンQ盤
(Triton MECC-26019)
ベートーヴェンQ盤
(Consonance 81-3006)
コーペリマンQ盤
(Nimbus NI 5762)
アマティQ盤
(Jecklin-Disco JD 620-2)
サンクト・ペテルブルグQ盤
(Sony SMK66592)

弦楽四重奏曲第8番ハ短調 作品110

交響曲第5番などと並ぶショスタコーヴィチの代表作であり、古今の弦楽四重奏曲の中でも傑出した名曲でもある。それは、ショスタコーヴィチにとって悲劇的な状況下で生み出された。

ショスタコーヴィチが共産主義についてどう考えていたのか、それをはっきりと証明できるものはない。ただ、共産主義という思想そのものに対して、それを全面的に否定していたとは考えられない。しかし、そのこととソ連の共産党に入党すること、党員として社会活動することは、全くの別問題である。自分を散々に痛めつけ、数え切れないほどの友人や知人を不幸にし、名も無い無実の人々を時には死にまで至らしめてきた共産党という組織を、ショスタコーヴィチが無邪気に礼讃することなど、あり得るはずもなかった。ショスタコーヴィチほどの世界的な知名度を誇る文化人が共産党員でないことは、体制側が不自然だとみなすのは当然だったろう。事実、ショスタコーヴィチへの入党の圧力は、それ以前からもあったようだ。それを何とかかわし続けていたショスタコーヴィチは、どういう経緯があったのかはわからないが(妻イリーナにすら「強制されたのだ、自分を愛しているなら詮索するな(ショスタコーヴィチ ある生涯, P.272)」とだけ言った)、1961年9月、突如として正式に共産党員となったのだった。実際には、正式に入党が認められるまでに1年間の期間が必要だったので、ショスタコーヴィチが入党を“志願”したのは、1960年のことである。

共産党入党息子マクシームは「父は『党員にさせられてしまったよ』と言うなり泣き出したのです。父が泣いているところを見たのは生涯で二度だけ。母が死んだ日と、この不幸な日だけです(わが父ショスタコーヴィチ, P.177)」と語っている。入党式と思われる会合で演説をしているショスタコーヴィチの表情は、共産党員になることが彼の良心にとっては死を意味するに等しい絶望的な悲劇であったことを雄弁に物語っている。

精神的に追い詰められて不安定な精神状態のまま、1960年7月、ショスタコーヴィチは映画「五日五晩」の音楽を担当するために、ドレスデンへと旅立った。その滞在中のわずか3日間(12〜14日)で書き上げられたのが、この作品である。帰国したショスタコーヴィチは、早速グリークマンへ手紙を送った(7月19日):

私は、ドレスデンから戻ってきました。……

ドレスデンは、創作にとりかかるには理想的な場所でした。私は、ゲーリッツの町の温泉に滞在しました。そこは、ドレスデンから40kmほど離れたケニンシュタインと呼ばれる小さな地区のそばでした。その地区は、信じられないほど美しかった。その辺り一帯は「ザクセン地方のスイス」として知られています。仕事をするのに良い環境だというのは、自明のことでした。私は第8四重奏曲を作曲しました。映画のために何か書こうと努力したのですが、どうしても何も書くことができませんでした。代わりに私はこの、誰の役にも立たない、イデオロギー的に欠陥のある四重奏曲を書いたのです。いつの日か私が死んだとしても、誰も私の思い出に捧げる作品を書いてくれないでしょう。そこで、私は自分自身で書くことにしたのです。表紙には“この四重奏曲の作曲者の思い出に”と書くこともできるでしょう。

四重奏曲の基本主題は D・Es・C・Hの4つの音、つまり私のイニシャル「D. SCH」です。また、私のいくつかの作品の主題と、革命歌「重き鎖につながれて」も使っています。自分の作品というのは次のもの:第1交響曲、第8交響曲,ピアノ三重奏曲(第2番)、チェロ協奏曲(第1番)、そして「マクベス夫人」。ワーグナー(「神々の黄昏」の葬送行進曲)とチャイコーフスキイ(交響曲第6番の第1楽章第2主題)の仄めかしもあります。ああそう、自分の作品をもう一つ忘れていました、第10交響曲。何とも素敵でかわいい寄せ集めです。この似非悲劇の四重奏曲には、作曲しながら、ビールを半ダース飲んだ後の小便と同じ量の涙を流しました。家に帰ってこの曲を二度弾き通そうとしましたが、泣いてしまってどうしてもだめでした。これは悲劇もどきの内容のせいではなく、最高に統一のとれた作品の姿に自分で驚いたからでした。あなたは少しばかり自画自賛だと感じるかもしれませんが、間違いなくすぐにそれは過ぎ去ってしまい、いつもの自己批判の二日酔い状態に戻ることでしょう。四重奏曲は今、清書してもらっています。私はすぐに、ベートーヴェン四重奏団との練習を開始できることを望んでいます。(I. Glikman: Story of a friendship, pp. 90〜91)

この手紙に挙げられている引用を整理すると、次のようになる:

この他、「Dies Irae」や「マクベス夫人」から不眠のライトモチーフ(D-C-H-C-G)が用いられていること、そして何より全曲を通して執拗にDSCH音型が刻印されていることなどを考えるならば、この曲が(死を考えた)ショスタコーヴィチの自伝的な作品であることは自明だろう。ボロディーン四重奏団のベルリーンスキイは、この作品について次のように回想している:

第8四重奏曲は、私が特に気に入っている作品の一つです。それは、作曲家の人生のあらゆる時期を集約した、ランドマークです。ショスタコーヴィチ自身がそれまでに書いた作品からの引用は、作品に自伝の性格を与えています。当然、私達はこの作品をレパートリーにしようと決めました。まず最初に、数多くのリハーサルを重ねた後に、クラスノヤルスクの郊外で演奏しました。そうしてようやく、ショスタコーヴィチの前で演奏するだけの準備が整ったと思えたのです。私達は、ショスタコーヴィチの家でこの曲を演奏しました。私達が弾き終えると、ショスタコーヴィチは無言のまま部屋を出て行きました。そのまま、戻ってくることはありませんでした。私達は静かに楽器を片付け、帰りました。翌日、彼は非常に動揺した様子で私に電話をかけてきました。彼はこう言ったのです:「ごめんなさい、でも、どうしても誰とも顔を合わせることができないのです。修正が必要な箇所はありません。あなた方が弾いた通りで結構です。」(E. Wilson: Shostakovich: A Life Remembered, p. 246)

このように、自身に捧げた一種のレクイエムとも言えるこの作品について、ショスタコーヴィチは表向きには次のように語った:

……被災者の言葉で知ったドレスデン住民のこうむった爆撃の恐ろしさから、第8四重奏曲のためのテーマをわたしは暗示された。過ぎし日のエピソードを再現した映画の強い印象からわたしは抜けきれずにいた。そうして何日間かぶっつづけに仕事をして、わたしは自分の新しい四重奏曲の総譜を書きあげた。戦争とファシズムの犠牲者の思い出にわたしはそれをささげたい。(『イズヴェスチャ』1960年9月24日号:ショスタコーヴィチ自伝, p. 311)

初演は1960年10月2日、ベートーヴェン四重奏団によって行われた(レニングラード・グリンカ・ホール)。この作品を聴いたH. ネイガーウスは、「これは完璧な天才のなせる技だ!私は震え、声をあげて泣いた 」と評した。

ショスタコーヴィチを代表する名曲だけに、演奏機会も録音も抜きん出て多い。有名団体による演奏も少なくないが、全部で8種類を数える録音の全てがいずれ劣らぬ名演であるボロディーンQの存在感は他を圧倒している。ここでは、この団体が辿り着いた至高の境地である1990年盤(Virgin)と、長く聴き継がれてきた1962年盤(London)、そして、鳴っている音だけではなく、休符も含めた全ての時間が演奏者の支配下にある、圧倒的な1991年のライヴ録音(Russian Disc)の3つを挙げておく。

1960年10月9日に行われたベートーヴェンQの一般初演ライヴ録音(Triton)は、切々と訴えかけてくる音楽の力が凄い。第2楽章や第3楽章の強靭な勢いもさることながら、緩徐楽章の深く陰鬱な音楽は傑出した出来である。

この2団体の録音は別格として、他にも優れた演奏は少なくない。以下、筆者が気に入っている録音を列挙しておく(順不同):ダネルQ(Fuga Libera)盤、ドビュッシーQ(Arion)盤、デュークQの1995年(Collins)盤、エーデルQ(Naxos)盤、フィッツウィリアムQ(London)盤、フレスクQ(Caprice, LP)盤、マンハッタンQの1990年(ESS.A.Y)盤、ショスタコーヴィチQの1992年(Sacrambow)盤、ソーフィアQ(Gega)盤、タネーエフQ(Victor)盤。

弦楽合奏用編曲の録音も数多くある。まず筆頭に挙げたいのが、ゴスマン/亡命ロシア人管弦楽団(Olympia)盤(ゴスマン編)の凄惨な響きに満ちた壮絶な名演である。確かに粗い部分もあるが、それでもこのアンサンブル能力は賞賛に値する。弦楽合奏版としては異例の快速テンポは、まさにこの曲の本質をついている。どの一音をとっても血が吹き出そうな充実度を持っており、聴き終えた後の満足感は筆舌に尽くしがたい。スピヴァコーフ/モスクワ・ヴィルトゥオージ(Capriccio)盤(バルシャーイ編)もまた、完璧としか言いようのない見事で自在な仕上がり。技術的な精度の高さだけではなく、音楽的な密度の高さが驚異的な名演である。編曲者自身によるバルシャーイ/ヨーロッパ室内O(DG)盤(バルシャーイ編)とバルシャーイ/水戸室内O(Sony)盤(バルシャーイ編)は、ロシア風の泥臭さとは無縁だが、地に足のついた意味深さが際立っている。どちらを採るかは聴き手の好みの問題だが、後者の方がより洗練された誠実な演奏である。D. デイヴィス/シュトゥットガルト室内O(ECM)盤(バルシャーイ編)盤のゆったりとした演奏も素晴らしい。弱奏部に至るまでしっかりと中身のつまった骨太の音で演奏されているため、弛緩した感じは全くない。特に中音域が充実したバランスが素晴らしく、典型的なドイツの音色だが不満はない。

ボロディーンQ盤
(Virgin 0777 7590412 3)
ボロディーン盤
(London KICC 8184)
ボロディーンQ盤
(Russian Disc RD CD 11 087)
ベートーヴェンQ盤
(Triton MECC-26019)
ダネルQ盤
(Fuga Libera FUG512)
ドビュッシーQ盤
(Arion ARN 68461)
デュークQ盤
(Collins 14502)
エーデルQ盤
(Naxos 8.550973)
フィッツウィリアムQ盤
(London F00L-29155/60)
フレスクQ盤
(Caprice CAP 1052, LP)
 
マンハッタンQ盤
(ESS.A.Y CD1009)
ショスタコーヴィチQ盤
(Sacrambow OMCC-1001)
ソーフィアQ盤
(Gega GD 168)
タネーエフQ盤
(Victor VICC-40104/9)
ゴスマン盤
(Olympia OCD 196)
スピヴァコーフ盤
(Capriccio 67 115)
バルシャーイ盤
(DG POCG-1572)
バルシャーイ盤
(Sony SRCR 1675)
D. デイヴィス盤
(ECM 1620)

弦楽四重奏曲第9番変ホ長調 作品117

交響曲第12番 作品112が初演された1961年の秋頃、ショスタコーヴィチは新たな弦楽四重奏曲に着手した。グリークマンは、1961年10月5日の日記に次のように記している:

2、3日前、ショスタコーヴィチは、今、“ロシア・スタイル”の弦楽四重奏曲を書いている、と話してくれた。(三橋圭介訳)

それから一カ月ほど後(1961年11月18日)、ショスタコーヴィチはグリークマンに次のような手紙を送った:

私は第九四重奏曲を書き上げた。しかしそれにとても不満足だったので、健全な自己批判精神の発露から、私はそれを燃やしました。このようなことをしたのは私の“作曲人生”で2度目です。最初は1926年で、その時は全ての自筆譜を燃やしました。(I. Glikman: Story of a friendship, p. 99)

その後、1961年12月30日には交響曲第4番の初演が行われ、翌1962年の前半は数多くの社会的活動や入院などの間隙をぬって交響曲第13番 作品113の作曲に没頭する。さらに夏には3番目の妻イリーナ・アントーノヴナ・スピーンスカヤとの同棲生活が始まる。そんな中、1963年に結成40周年を迎えるベートーヴェン四重奏団のツィガーノフから、新しい弦楽四重奏曲の熱烈な催促があった。それに応える形で、ショスタコーヴィチは次のように言っている:

……わたしは第九四重奏曲をつくっている。これは子どものための音楽で、おもちゃについて、遊びについて書いたものである。これは二週間もかければ終るだろうと思う。(『プラウダ』1962年10月21日号:ショスタコーヴィチ自伝, p. 344)

しかし、これらの試みは、どれも作品として結実しなかった。結局のところ、自らが「創造の下痢」だと形容した多作の年、1964年の5月2〜28日に、第9番が仕上げられる。これは、それまでに書いていたものとは全くの別物であると、ショスタコーヴィチはツィガーノフに語ったという。

ここまでの話をまとめると、この作品には以下のような異なる版があったものと推測される:

  1. 1961年に焼却されたもの(完成はしていた)
  2. 1962年に書き始めていたもの(「子供のための音楽」)
  3. 1964年に書き上げられたもの(決定稿)
こうした苦難の過程を証明するかのように、「弦楽四重奏曲第9番 作品113 I」と書き込まれた自筆譜が2003年に発見された(2005年にDSCH社から出版)。この自筆譜で明らかななことは、以下の通りである:「焼却された」ことや「作品113」と記されていることをどう解釈するかで、この未完成の自筆譜が上述した1961年版と1962年版のどちらなのか、あるいはそのどちらでもないのかについて、議論の余地が残されている。特に“子供のための音楽”という作曲者の言葉とどう関連するかは、作品理解に繋がる重要な鍵となる可能性がある。この四重奏曲の断片は、2005年1月17日にモスクワ音楽院大ホールでボロディーンQが初演した。現在のところ、録音はアレクサーンドルQの自主製作盤のみである。

このように、ある意味では難産だった作品だが、完成した音楽はとても素晴らしいものである。アタッカで演奏される全5楽章には、主要動機の巧みな扱いによって統一感がもたらされている。第4楽章の印象的なレチタティーヴォは、第2番のそれとは異なり、後期の四重奏曲を予感させる。簡素なスコアではあるが、終楽章の頂点へと向かう高揚感の奔流は圧倒的である。

ちなみに、第3楽章の主題は映画音楽「ハムレット」からの引用である。当該シーンでハムレットは次のような台詞を言う:

ハムレット:あのどくろにも舌があって、かつては歌を歌うことも出来たのだな。まるで人殺しの元祖のカインが使ったあご骨のように、地べたにたゝきつけているぞ。今なればこそこんなとん馬に手玉にとられているあの頭も、もとは神様さえ手玉にとろうとした策士だったかも知れんよ。

ホレーシオ:そうかも知れませぬな。

ハムレット:それとも、宮廷に仕えた奴で、「これは閣下、お早うござる。御健勝に渡らせまするか?」など言うてたかも知れぬな。或はだ、それがし閣下の馬を、ねだりたいばかりに、賞めたゝえたそれがし閣下だったかも知れない。ねい、君?

ホレーシオ:そうかも知れませぬ。

ハムレット:なに、そうだよ。そして、今はすでにうじ虫のつぼねの食物となって、寺男のくわで脳天のあたりをどやされて、あごなしとなってござる。われわれに見る目さえあれば、面白い有為転変の歴史があれに見られるよ。折角育てられても、この骨が、せいぜい、子供のねっき遊びにしかならないとは?そう考えるだけでも、僕は気持が悪くなって、骨まで痛むよ。(市川三喜・松浦嘉一訳)

この台詞と「これは子どものための音楽で、おもちゃについて、遊びについて書いたものである」というショスタコーヴィチの言葉が呼応しているとするならば、この作品の内容については、何らかの文学的な解釈の余地があるのかもしれない。

この作品は、三番目の妻「イリーナ・アントーノヴナ・ショスタコーヴィチに」捧げられた。初演はベートーヴェン四重奏団により、続く第10番と同日(1964年11月20日)にモスクワ音楽院小ホールで行われた。

まずは、ベートーヴェンQの初演ライヴ(Triton)盤を聴いてほしい。ドルジーニンにとってはベートーヴェン四重奏団員として最初のショスタコーヴィチ演奏ということになるが、若々しい張りのある響きで存分にその実力を発揮している。尋常ならざる熱気と共感が漲った演奏は素晴らしく、特に第5楽章の大熱演には、やみくもに興奮させられる。その場に居合わせられないことを、これほど悔しく感じる演奏も珍しい。初演にして最高の名演。同じベートーヴェンQのスタジオ録音(Consonance)盤も、初演者の貫禄に満ちた快演。力強く暖かい響きと引き締まったリズムが、ショスタコーヴィチの音楽を見事に描き出している。劇的な盛り上がりも立派なもので、作曲者の意図が全て音になっている感がある。ただし、この2盤は残念ながら録音が悪い。ある程度の音質も求めるのならば、ボロディーンQの新盤(Victor)を採りたい。この団体の実力と魅力が余すところなく発揮された圧倒的な名演で、ライヴゆえの荒っぽさが皆無とは言えないが、卓越した技術の冴えはもの凄い。逞しい強奏から緊張感漲る弱奏に至るデュナーミクの幅広さと、ただ一つの音符も逃さない濃密な表現力は、弦楽四重奏における一つの極致とすら言えるだろう。全集収録音源にもかかわらず、拍手がそのまま残されているのも納得。もちろんボロディーンQの旧盤(Chandos)も、ドゥビーンスキイ時代のこの団体がまさに絶頂期にあったことがわかる、音楽的にも技術的にも非の打ち所のない名演である。正確な音程と切れ味鋭い精密なリズム、すみずみまで心の通った音色、いずれをとっても完璧と言って過言ではないだろう。やみくもに勢いだけで押すのではなく、楽譜の正確な再現を通して内面から沸き起こってくる高揚感がたまらない。他にこの両横綱に対抗し得るのは、洗練された音楽性と土臭い音色とのバランスが絶妙なタネーエフQ(Victor)盤くらいだろうか。繊細な抒情、ひねくれた諧謔性、力強いクライマックス、全てが理想的に再現されている。何より、ショスタコーヴィチの音楽が持つローカル性が、ごく自然な形で表出されているのが素晴らしい。

ショスタコーヴィチQの旧盤(Olympia)も、全曲に渡って緊張感と力感の漲る熱演である。作品をよく弾き込んだ安定感がある。弱奏部の表現力は若干劣るものの、特徴的なリズムや和声の処理は模範的なもの。音楽の持つ力強さが愚直なまでに音にされた感じで、聴き手は否が応にも引き込まれてしまう。一方、同じショスタコーヴィチQの新盤(Sacrambow)では、明るい抒情が素直に表現されているのが面白い。やや表現の幅が狭いものの、音色の生かし方はなかなか効果的。第3楽章の引き締まったリズムも良いが、第5楽章の少々泥臭い高揚感が素晴らしい。

サンクト・ペテルブルグQ(Hyperion)盤は、いかにも現代的な洗練された流れをもった演奏だが、ロシア風の骨太な響きが雰囲気をよく醸し出している。丁寧に楽譜を読み込んだ堅実な作品解釈も立派なもの。整然としたまとまりの中に、熱い情感がしっかりとこめられた秀演である。最後に挙げておきたいのが、エーデルQ(Naxos)盤の伸びやかで美しい演奏。いわゆるショスタコーヴィチらしさよりは、音楽の持つ響きと歌の魅力を素直に描き出した演奏といえるだろう。確かに一つの側面に偏った解釈ではあるが、これはこれで十分に立派で説得力がある。

ベートーヴェンQ盤
(Triton MECC-26019)
ベートーヴェンQ盤
(Consonance 81-3009)
ボロディーンQ盤
(Victor VICC-40018/23)
ボロディーンQ盤
(Chandos CHAN10064(4))
タネーエフQ盤
(Victor VICC-40104/9)
 
ショスタコーヴィチQ盤
(Olympia OCD 533)
ショスタコーヴィチQ盤
(Sacrambow OMCC-1001)
サンクト・ペテルブルグQ盤
(Hyperion CDA67155)
エーデルQ盤
(Naxos 8.550973)

弦楽四重奏曲第10番変イ長調 作品118

ディリジャンでイリーナと過ごした1964年7月、10日足らずで一気に書き上げられた。第9番の作曲過程には苦難の跡が見えるが、この第10番にそうした痕跡は一切ない。当時、既に9曲の弦楽四重奏曲を作っていた友人のモイセーイ・サムイロヴィチ・ヴァーインベルグ(1919〜1996)に、それを追い越した記念(I. Glikman: Story of a friendship, p. 117)として献呈された(最終的に、ヴァーインベルグは17曲を遺した)。初演はベートーヴェン四重奏団により、第9番と同日(1964年11月20日)にモスクワ音楽院小ホールで行われた。

第2楽章が終始ff以上で奏でられる猛烈な音楽であることが目を引くが、基本的にはごく普通の4楽章構成である。緩徐楽章にパッサカリアを配置し、終楽章でその主題を回帰させてクライマックスを築く構成は、第3番や第6番に共通する、いわばショスタコーヴィチの中期様式である。全体を貫く穏やかで清明な抒情性も中期作品の特徴であるが、一方で後期作品特有の簡素さも目立ち始め、ショスタコーヴィチの作曲様式の変遷上、過渡的な作品とも言えるだろう。

第8番と同様に、バルシャーイが弦楽合奏用の編曲を行っている。しかし第8番とは異なり、この編曲が取り上げられる機会はそれほど多くない。このスコアが持つ簡潔さが、四重奏以上の響きの厚さを本質的に求めていないのであろう。

ちなみにこの初演は、ベートーヴェン四重奏団のヴィオラ奏者がヴァディム・ヴァシーリエヴィチ・ボリソーフスキイから彼の弟子のフョードル・セラフィモヴィチ・ドルジーニンに交代した初めての機会であった。ベートーヴェン四重奏団に対する信頼は変わらなかったとはいえ、やはりショスタコーヴィチにはそれなりの心配もあったようだ。ドルジーニンは、次のように回想している:

私の先生(ヴァディム・ボリソーフスキイ)が重い病気でもはや演奏ができなくなった時、私はドミートリイ・ツィガーノフから、ショスタコーヴィチの2曲の新しい四重奏曲、第9番と第10番の初見を手伝ってくれないかと頼まれました。ショスタコーヴィチが自分の新作を聴きたがっているのだと、ツィガーノフは言いました。彼はお昼に音楽院でパート譜を渡してくれました。そしてその晩、セルゲーイ・シリーンスキイの家へ7時に行くことになっていました。

私は、少し早過ぎるかもしれないと思いながら、予定の7時より15分ほど前に着きました。しかし、部屋に入ってみると、私は恐怖におののきました。他のメンバーが既に着席していただけではなく、誰も座っていない私の席のすぐ隣の肘掛け椅子にショスタコーヴィチが座っていたのです。この控え目な「初見大会」は、3時間に及ぶ忍耐力の試験であることがわかりました。私はベートーベン四重奏団で私の先生の代理を務めるだけでなく、すぐそばに作曲家の存在を感じて初見演奏をしなければならなかったのです。存在を感じて、と言ったのは、私にはドミートリイ・ドミートリェヴィチを見る勇気がなかったからです。

私たちが第9四重奏曲の最後の和音を弾き終えると、ドミートリイ・ドミートリェヴィチは満足げに「熟練の演奏ですね」と言いました。こうして、これらの2曲の来るべき初演において、四重奏団内の私の席が保証されることになりました。(E. Wilson: Shostakovich: A Life Remembered, pp. 390〜391)

ボロディーンQの新旧両盤が、群を抜いて素晴らしい。まず、ボロディーンQの旧盤(Chandos)は、アンサンブルの精度、幅広くスケールの大きな表現力、全ての意味においてこの作品の模範的な演奏と言えるだろう。澄み切っていながらも温もりのある響きはドゥビーンスキイ時代のこの団体の特徴であるが、第1楽章と第3楽章にその美質が遺憾なく発揮されている。第2楽章の錯綜した音楽を見事に捌き切る手腕も素晴らしい。全てを総括する第4楽章に至っては、ただただ圧倒されるだけ。不満があるとすれば録音の鮮度くらい。一方、ボロディーンQの新盤(Victor)は、洗練の極致でありながら、泥臭くも意味深い内容の抉り出しが傑出している。スケールの大きな音楽の中で、繊細かつ多彩な表現が惜し気もなく繰り広げられる様は、まさに横綱相撲。この2つは、甲乙つけ難い圧倒的な名演である。

タネーエフQ(Victor)盤も、この団体の実力が十二分に発揮された素晴らしい演奏。各奏者の高い技巧と音楽性に加えて、やや土臭いロシアの音色が魅力的。きびきびとした音楽の流れも作品にふさわしい。この曲の魅力を存分に味わうことができる。上述したベートーヴェンQの初演ライヴ(Triton)盤は、歴史的・資料的価値はもちろんだが、演奏そのものも大変素晴らしい。ライヴゆえの瑕はほとんどなく、ヴィオラがドルジーニンに交代したばかりながらも、特に違和感を感じさせないのはさすが。早目のテンポもいかにもショスタコーヴィチらしく、この団体のショスタコーヴィチに対する理解の深さが随所に窺える。強靭なリズム、繊細な抒情、いずれも文句のつけようがない。同じベートーヴェンQのスタジオ録音(Consonance)盤には、この一種異様な昂奮はないが、楽譜に忠実な解釈が心地好く、ショスタコーヴィチの意図を真正に伝える演奏として聴き逃してはならないだろう。

ウェラーQ(London)盤も、短命に終ったこの団体の真価が十二分に発揮された名演として挙げておきたい。ウィーン流儀の美音の魅力は言うまでもないが、安定した技術に基づく、隅々まで丁寧に弾き込まれた表情の渋い美しさが際立つ。ロシア風の骨太な力強さはないが、ショスタコーヴィチの美質が見事に引き出されている。地味ながらも、しっかりと楽譜に書かれた内容を引き出したソーフィアQ(Gega)盤も良い。どこか垢抜けないざらついた音色で、実に男らしい音楽に仕上げられている。いたずらに絶叫することはないが、十分な切実さを持って訴えかけてくる。ショスタコーヴィチQ(Olympia)の旧盤には技術的に鈍いところも散見されるものの、第3楽章のように抒情的な歌い回しはなかなか魅力的。ざらついた土俗的な音色が独特の雰囲気を醸し出している。覇気に満ちた速めのテンポも心地好い。

ヴィーハンQ(Universal)盤は、音程の取り方や音色、歌い回しなどがいかにもチェコの団体といった感じ。独特の素朴さを漂わせながらも滑らかで抒情的な音楽は、ロシア情緒とは異質ながらも、不思議と懐かしい。いわゆるショスタコーヴィチらしさとは異なるが、こうしたふくよかなショスタコーヴィチも悪くない。中でも第3楽章以降の切々とした音楽は、特筆すべき仕上がりと言ってよいだろう。

第8番とは異なり、本作品の弦楽合奏版の録音はそれほど多くない。中では、バルシャーイ/ヨーロッパ室内O(DG)盤が特に素晴らしい演奏である。オーケストラの高い機能性を存分に生かし(さすがに第2楽章ではアラも散見されるが)、ゆったりとしたテンポで豊かな音楽を奏でている。しっかりと響かされる弱奏部が非常に効果的で説得力を持っている。曲そのものだけでなく、編曲の魅力も存分に伝える名演。カンガス/オストロボスニア室内O(BIS)盤は、若い団体がしっかりとした技量で清潔に弾ききっているところに好感が持てる。ロシア的な力感とは異質だが、力強さに不足しているわけでもなく、残響の多い録音も影響してか、立派な雰囲気をもっている。やや洗練され過ぎな感じもするが、ラフレフスキイ/クレムリン室内O(Claves)盤も模範的な演奏と言えるだろう。緩徐楽章での深く沈んだ雰囲気も、妙に深刻ぶったり耽溺したりしないのが好ましい。センスの良さが窺える。

ボロディーンQ盤
(Chandos CHAN10064(4))
ボロディーンQ盤
(Victor VICC-40018/23)
タネーエフQ盤
(Victor VICC-40104/9)
ベートーヴェンQ盤
(Triton MECC-26022)
ベートーヴェンQ盤
(Consonance 81-3009)
ウェラーQ盤
(London KICC 8184)
ソーフィアQ盤
(Gega GD 168)
ショスタコーヴィチQ盤
(Olympia OCD 534)
ヴィーハンQ盤
(Universal 472 460-2)
バルシャーイ盤
(DG 429 229-2)
カンガス盤
(BIS BIS-CD-1256)
ラフレフスキイ盤
(Claves CD 50-9115)

弦楽四重奏曲第11番ヘ短調 作品122

1965年8月15日、ベートーヴェン四重奏団の第2Vn奏者、ヴァシーリイ・ペトローヴィチ・シリーンスキイが死去した。1901年生まれの彼は、メンバーの中ではヴィオラのボリソーフスキイ(1900年生)に次いで年長だったとはいえ、60代前半での死はあまりに早すぎた。ショスタコーヴィチはその死を悼むと同時に、「ベートーヴェン四重奏団は、50年も100年も存続しなければならない。歳をとったメンバーが次第に離れて行った後でも、それが維持すべき高いレベルにあるよう保証するのは、君の義務だ」とツィガーノフに語ったという。彼の死から約半年、1966年1月30日に完成されたのが、本作品である。亡くなったV. シリンスキーの思い出に捧げる作品を弦楽四重奏曲としたのは、単なる追悼だけではなく、ベートーヴェン四重奏団が新たなメンバーを迎えて、さらに活動を続けていって欲しいという、ショスタコーヴィチの想いが込められているようにも思える。

この作品は、「序奏」「スケルツォ」「レチタティーヴォ」「エチュード」「ユーモレスク」「エレジー」「終曲」と題された7つの楽章から成る組曲風の構成をとっている。第一楽章で提示される動機が全曲を統一していることを考えると、両端楽章を提示部と再現部、中間の5つの楽章を展開部とする単一楽章として捉えることもできる。ロシア民謡の哀歌、泣き女の歌、古い儀式歌などの音調が取り入れられていることもあって、全体に哀歌的な雰囲気が漂うが、第6楽章以外は必ずしも悲劇的な様相を呈してはいない。気分的には弦楽四重奏曲第7番に近く、ここにショスタコーヴィチ独自の哀悼の表現を見て取ることもできるだろう。

初演は、新しい第2Vn奏者にツィガーノフの弟子であった、ニコラーイ・ニコラーェヴィチ・ザバーヴニコフを迎えて行われた。1966年5月28日にレニングラードで開かれた演奏会は、ショスタコーヴィチ作品ばかりで構成された自身の生誕六十年を祝う趣旨のものであった。この四重奏曲は好評で、全楽章がアンコールされたという。演奏会後、ショスタコーヴィチは心臓発作を起して緊急入院する。結果的に、ショスタコーヴィチが舞台でピアノを弾いたのは、この演奏会が最後となった。この第11四重奏曲を練習している時には、ベートーヴェン四重奏団のメンバーと酒を飲みながらV. シリーンスキイの思い出話に花を咲かせていたというショスタコーヴィチも、以後は急速に悪化する一方の健康状態に悩まされることとなる。第10番と作品番号は近いが、明らかに後期〜晩年の作風となっており、様々な意味において節目の作品と言うこともできるだろう。

冒頭からいきなり濃密な音楽が聴こえてくるボロディーンQ(Chandos)の旧盤が、すみずみまで意味深く、シンフォニックで充実した響きが聴き手を捉えて離さない、超名演。ショスタコーヴィチQ(Olympia)の旧盤も、全ての音に熱い共感が込められた名演である。この作品が内包する精神の力強さが、振幅の大きい表情をもって完全に表出されている。各楽章の表情付けが実に明解なタネーエフQ(Victor)盤は、そっけないまでに淡々とした音楽の運びにもかかわらず、一つ一つの音に十分な意味が込められている、これもまた素晴らしい演奏。

美しい音と安定した技術、そして見事な合奏力が光るフォーグラーQ(RCA)盤も、ソ連勢のスタイルとは異なるものの、傑出した名演として忘れるわけにはいかない。第5楽章の鋭くも熱い音楽に、この演奏の魅力がよく表われている。典型的なドイツ風の落ち着いた音色も、雰囲気豊かで素晴らしい。

初演を行ったベートーヴェンQ(Consonance)の録音も、深い曲理解に基づいた、手堅い秀演。奏法も録音も古めかしいが、鳴っている音楽そのものは実に新鮮。作品の持つ人間的なぬくもりを存分に感じさせてくれる。この路線の解釈は、西側の団体の演奏に多く聴かれる。フィッツウィリアムQ(London)盤は飾り気のない淡々とした演奏だが、それが作品の雰囲気と非常によくマッチしている。終楽章の最後など、その寂し気で意味深い響きはたまらなく素晴らしい。ドビュッシーQ(Arion)盤も良い。地味ながらも内面の燃焼度は高く、淀みなく流れる洗練された音楽ながらも、コクのある訴求力が全編に貫かれている。しっとりした余韻の残る秀演である。ラズモフスキーQ(OEHMS)盤は、凝縮された形式感を適切に表現している。ゆったりとしたテンポで奏でられる上品で集中度の高い音楽は、知情意のバランスがよくとれた名演である。

もっとも、筆者の趣味としては、ソーフィアQ(Gega)盤のように、ざらついた感触を持つ男らしい音色で、真摯に真正面から取り組んだ骨っぽい演奏に、より魅力を感じる。同種の演奏として、ゴツゴツとした哀感が漂うサンクト・ペテルブルグQ(Hyperion)盤を挙げておきたい。少々美観に欠ける印象がなくもないが、こういうハードボイルドな演奏も悪くない。

ボロディーンQ盤
(Chandos CHAN10064(4))
ショスタコーヴィチQ盤
(Olympia OCD 534)
タネーエフQ盤
(Victor VICC-40104/9)
フォーグラーQ盤
(RCA BVCY-1513)
ベートーヴェンQ盤
(Consonance 81-3009)
フィッツウィリアムQ盤
(London F00L-29155/60)
ドビュッシーQ盤
(Arion ARN 68596)
ラズモフスキーQ盤
(OEHMS OC 562)
ソーフィアQ盤
(Gega GD 168)
サンクト・ペテルブルグQ盤
(Hyperion CDA67157)

弦楽四重奏曲第12番変ニ長調 作品133

ベートーヴェン四重奏団(創立メンバー)の仲の悪さは有名だったらしい。ボロディーン四重奏団のベルリーンスキイが、ドミナント四重奏団というモスクワ音楽院の若い団体にマスタークラスを行った映像の中で語っているエピソードが、実に傑作である。ある日の練習中、第1Vnのツィガーノフがあるパッセージを弾き損じた。すぐに2nd VnのV. シリーンスキイが「君、音が抜け落ちたよ」と突っ込んだところ、ツィガーノフも負けずに「君は髪の毛が抜け落ちてるじゃないか」と言い返したという。チェロのS. シリーンスキイは、隣に座っている(そして、実の兄でもある!)V. シリーンスキイに言いたいことがある時は、ヴィオラのボリソーフスキイを通して伝えてもらっていたという。仲睦まじいからといって優れた四重奏団になれるわけではないので彼らの個人的な関係に興味はないが、それにしても子供の喧嘩である。

ショスタコーヴィチにとって、生涯を通じて創作上の協力関係を持った四重奏団の一人(V. シリーンスキイ)が亡くなったとなれば、彼に作品(第11番)を捧げることはごく自然の行為であったろう。しかし、ベートーヴェン四重奏団の仲の悪さを、ショスタコーヴィチが知らなかったはずはない。残りの3人にも同じように作品を捧げなければ不都合が起こる、と考えても不思議はないだろう。折りしも、1st Vnのツィガーノフは65歳の誕生日を1968年3月12日に控えていた。第11番以降の4曲がベートーヴェン四重奏団の各メンバーに献呈され、第12番がツィガーノフに贈られた直接的な動機は、おそらくはこのような事情によるものだろう。

彼(筆者注:ショスタコーヴィチ)は3月2日から20日まで、作曲家同盟の保養所に滞在した。そして、そこで弦楽四重奏曲第12番を完成させた。3月9日にはレーピノで、彼は私(筆者注:グリークマン)に向かってこう言った。「変な話ですが、私は作曲している時はいつも、それを完成できないような気がするのです。突然死んでしまい、作品は未完成となってしまうのではないか…とね」。幸いにしてそのようなことは何も起こらず、ドミートリイ・ドミートリェヴィチはヴェニヤミン・バースネルと私の前で、3月16日に大いに劇的な第12四重奏曲を弾き通したのだった。(I. Glikman: Story of a friendship, p. 152)

作曲がいつから始められたのかは明らかでないが、このような主として自身の健康状態に起因する不安と闘いながら、この弱音を吐いた2日後の1968年3月11日には全曲が完成した。ショスタコーヴィチは、ツィガーノフに宛てた手紙を直ちに書いた:

親愛なるミーチャ!明日は君の65歳の誕生日ですね。私はたった今、四重奏曲を書き上げました。この作品を君に献呈したいと思います。どうか受けてくださいますよう。(E. Wilson: Shostakovich: A Life Remembered, p. 409)

作品は二つの楽章から成るが、第一楽章は全曲の中心動機を提示する序奏部のような短いものである。長大な第二楽章は、緊密な繋がりを持つ四つの部分から構成されている。この作品の特徴としては、何よりも十二音音列の本格的な使用が挙げられるだろう。この技法に対する集中的な関心は、「ブロークの詩による七つの歌曲」作品127やヴァイオリン協奏曲第2番 作品129、ヴァイオリン・ソナタ 作品134、交響曲第14番 作品135といった、同時期の作品群に示されている。作品中の十二音技法についてツィガーノフが質問したところ、ショスタコーヴィチは「でも、モーツァルトの作品の中にもそうした例を見つけることはできますよ」と答えたという。この問題に対するショスタコーヴィチの見解は、以下の文章に明らかだろう。

きわめて技術的な方法、たとえば十二音音楽とかアリアトーリックのような音楽「システム」を(いま専門的すぎる問題には踏みこまない)利用することは、度を越さなければ別に問題はない。もし、たとえば、なにがなんでも十二音音楽で書かなければならぬとしたら、作曲家は自分のもつ可能性と構想とがむりやり制限されてしまう。もし作品の思想がこの複雑なシステムによる諸要素の利用を要求するならば、それを使うことはいっこうかまわない。ただバッハやリストやモーツァルトやベートーヴェンの作品のなかに、たとえこんにち十二音音楽の要素がみつかるにしても、一九二〇年代にオーストリアの作曲家アーノルド・シェーンベルクの編みだした理論を彼らは知りもしなかったろう。エキゾチックな、意想外の和声法はかくべつ彼らの考案になるものではなく、水がはね出たかのごとく、自然に素朴に、その創造した音楽自体から生じたものである。……むろん、新しい表現方法の探究は常に試みなければならない。だがこういう方法をえらぶためには、思想的芸術的課題にそれを従属させる必要がある。聴衆が音楽を聞くことによって精神が高められ、高潔な人間になるように書くこと、それにはどうするか。そのための唯一の道は、大きな目的を音楽に具象化できるような方法をえらぶことである……

「目的によって方法が正当化される」ということが音楽でどの程度正しいとわたしが思うか。いかなる方法でもかまわないか。もしそれが目的を正しく伝えるものでさえあれば、どんな方法でもかまわない。音楽をきいて、わたしはふつう、どんな方法で書かれたかなどは考えもしない。それを分析したりせずに、耳で感じる、情緒的に。そして音楽が冷淡で、感動をよばないときにふつう分析してみたくなる。(なぜこんなふうになるのか、失敗の原因は何かが知りたくなる)。あるいは逆に非常に魅力的なとき、どうしてそうなりえたのかを分析してみたくなる。だがそのさいにも、理論よりも感動のほうにむしろ興味が向きがちになる。(『青春』1968年第5号:ショスタコーヴィチ自伝, pp. 420〜421)

この文章に沿って考えるならば、十二音音列よりもむしろ、規模の大きさや英雄的な性格を持った力強さという特徴を重視したいところである。ツィガーノフが作品の規模を見て「これは室内楽なのか?」と質問した際、ショスタコーヴィチは「いや、いや、それは交響曲、交響曲ですよ」と答えた。こういう音楽は、ショスタコーヴィチの全作品の中で、この作品が最後となる。

ツィガーノフは、次のように語っている:

この作品(第12四重奏曲)は、まるで私の音楽的な資質の核心に到達したかのようでした。ショスタコーヴィチは、第2楽章中の葬送風の部分について、私の演奏を賞賛してくれました。そこは非常に長いヴァイオリンのピッツィカートの箇所で、死そのものの足音のようにも聴こえます。それから、この四重奏曲には、もう一つの特徴があります。冒頭の少なからぬ間、3つの楽器のみが音を出すのです。第11四重奏曲は、ヴァシーリイ・シリーンスキイのために書かれました。しかし、第12四重奏曲では、もう彼は私達と一緒にはいない。それをこの音楽(3つの楽器だけが残り、後になって4番目の楽器が入ってくる)が示しているのです。(E. Wilson: Shostakovich: A Life Remembered, pp. 409〜410)

ショスタコーヴィチ自身がその出来にとても満足していたと伝えられるこの作品は、1968年9月14日にモスクワ音楽院小ホールで初演された。

ドゥビーンスキイ時代のボロディーンQ(Chandos)が遺した録音は、初出時は第13番とカップリングされたLPであった。この1枚は、ショスタコーヴィチを語る上で欠かすことのできない、別格の名盤である。技術的にも音楽的にも非の打所がなく、これ以上の演奏を考えることは不可能である。最初の一音から最後の音まで一瞬たりとも気を抜くことができない。ショスタコーヴィチの内面的なドラマトゥルギーが雄弁かつ多彩に、まさに完璧としか言い様のない形で表出されている。

この高みを体験してしまうと、他の演奏にはどうしても物足りなさが残る。とはいえ、いわゆる名演の水準に達している録音は、決して少なくない。ツィガーノフの名技が冴え渡るベートーヴェンQ(Consonance)盤は、現代の水準から言えば技術的には必ずしも完璧とは言えないが、その老練な表現力は素晴らしい。骨太でありながらも透徹した響きの美しさが印象的で、初演者らしい真摯な作品への取り組みが立派。録音の古さを超えて、訴えかけるものの多い演奏である。ボロディーンQの1970年ライヴ(Intaglio)盤の完成度も凄まじい。安定した技術と圧倒的な表現力を駆使して、この複雑怪奇な作品を明晰に音化している。加えて、ドゥビーンスキイ時代に特徴的な抒情的な演奏スタイルが、独特の魅力を持っている。緊張感がどちらかといえば外面に発散される傾向にあり、あえていえばそこが物足りないものの、録音の悪さを考えなければ十分に素晴らしい。

コーペリマン時代のボロディーンQ(Victor)の全集盤も、徹底的に磨き上げられた技術的な美しさが際立つ秀演。極めて高い精度で整えられたアンサンブルは、この作品の響きを余すところなく引き出している。音楽的にも十分に充実しているが、あくまでも格調高く気品を感じさせる仕上げが、ここまで挙げてきた演奏とは異なる特徴である。タネーエフQ(Victor)盤も同様の方向性を持つ、きびきびとしたスマートな演奏だが、骨太の音色のおかげで十分なスケール感を持っている。技術的にも安定しており、非常に完成度の高い演奏に仕上がっている。ただ、どこかあっさりし過ぎているのが気にならなくもない。この路線を追求するのならば、同じく颯爽としたスマートな音楽の流れが印象的なサンクト・ペテルブルグQ(Hyperion)盤が、決して音楽の表面をなぞるだけに留まらない充実した秀演で薦められる。安定した技術と楽曲にふさわしい音色で丹念に紡がれた音楽からは、苦みのある深さを十分に感じ取ることができる。

フィッツウィリアムQ(London)盤は、ロシア風の響きが後退している分、過剰に力むことなく自然体で丁寧に仕上げられた好演である。特に和声の響きの美しさには心惹かれる。もっとも、この作品にはダネルQ(Fuga Libera)盤のような、無骨で逞しい響きと大柄で力強い音楽作りの方が相応しいように、筆者には思われる。

ボロディーンQ盤
(Chandos CHAN10064(4))
ベートーヴェンQ盤
(Consonance 81-3008)
ボロディーンQ盤
(Intaglio INCD 7561)
ボロディーンQ盤
(Victor VICC-40018/23)
タネーエフQ盤
(Victor VICC-40104/9)
サンクト・ペテルブルグQ盤
(Hyperion CDA67156)
フィッツウィリアムQ盤
(London F00L-29155/60)
ダネルQ盤
(Fuga Libera FUG512)

弦楽四重奏曲第13番変ロ短調 作品138

1969年は、ヴァイオリン・ソナタの初演に始まり、その大半が交響曲第14番の初演準備に費やされた。ショスタコーヴィチの健康状態が悪化していく中、何度となく繰り返される入退院にも追われていた。グリークマンに宛てた1969年11月23日の書簡では、ピアノの演奏や筆記に支障をきたしていた手足の麻痺の理由が明かされている。

手足(特に右手)の具合が悪いので、また入院しています。私の手足の機能がとても悪化している理由のいくらかが解明されました。奇妙なことかもしれませんが、小児麻痺だということです。普通は子供の病気なのですが、稀に、成人でもかからないことはないそうです。それで、クルガンのイリザーロフ博士のところには行かないことにしました。この場合、外科は役に立ちませんからね。(I. Glikman: Story of a friendship, p. 169)

ここで話題になっているガヴリイル・アブラーモヴィチ・イリザーロフとは、シベリア在住の著名な整形外科医である。ソ連では、外科的な不具合で彼に治せないものはないとまで信奉されていたようだ。当初、手足の不具合はイリザーロフの治療を受けることで改善すると期待していたショスタコーヴィチにとって、成人性の小児麻痺という診断はショッキングなものであったに違いない。一時はクルガンにあるイリザーロフの診療所へ行くことを断念したものの、最終的には藁をもすがる思いでイリザーロフの治療を受けることにした。最初の入院は1970年2月27日のことで、それから断続的に入退院を繰り返すこととなる。この第13四重奏曲の作曲は1969年8月10日に着手されたが、その大部分は6月10日に退院した後、集中的に進められた。完成は作曲家意思からちょうど1年後の1970年8月10日であった。その後すぐに、ショスタコーヴィチはクルガンでの二度目の入院生活に入った。

第十三四重奏曲をわたしは完成した。これをすぐれた音楽家、モスクワ音楽院のワジム・ワシリエヴィチ・ボリソフスキー教授にささげたい。(『イズヴェスチヤ』1970年12月7日号:ショスタコーヴィチ自伝, p. 437)

第11番、第12番と続いた流れを継承し、本作品では1970年にちょうど70歳の誕生日を迎えたベートーヴェン四重奏団の初代Va奏者、ヴァディム・ヴァシーリエヴィチ・ボリソーフスキイに捧げられた。第11番で示された構成の簡素化、第12番で採用された十二音的要素などが昇華され、ショスタコーヴィチ後期の作風の頂点となる一曲である。ボリソーフスキイに献呈されたこともあり、全曲を通じてヴィオラが主役を担う。冒頭のヴィオラ独奏が提示する十二音の主題を中心に、ピッツィカートの音色旋律や弓で楽器の胴を叩く打楽器風の効果が印象的な中間部をはさんだ、単一楽章ながらも対称的な楽曲構造をとっている。ツィガーノフが「この曲は、人間の運命についての、霊感にみちた感動的な物語である 」と語っているように、内容においては交響曲第14番の延長上で捉えることもできるだろう。

ドルジーニンの回想によると、この作品の背景には次のようなエピソードがあったようだ:

私達は、メロディヤが録音スタジオを持っていた教会で、第12四重奏曲(ツィガーノフに献呈)の録音をしていました。私は指慣らしのために少し早く到着していました。その時は、J. S. バッハの半音階的幻想曲をコダーイが編曲したものを練習していました。この曲にはあらゆる種類の分散和音がたくさんあります。私はちょっと派手に、3オクターブ上のB音(シ♭)まで駆け上る属七の和音を、楽譜に書いてある通りffで、たっぷりヴィブラートをかけて弾いていました。

突然、背後で聞き慣れた甲高い声がしました。「フョージャ、それはシ♭、シ♭だね」と、遠慮がちにそっと私に近づいてきたドミートリイ・ドミートリェヴィチが言いました。私は、その通りだと答えました。「じゃあ、特に気を遣わないで、もう一回弾いてみてくれないか」と、ドミートリイ・ドミートリェヴィチが頼んできました。私は、その分散和音を再び弾き飛ばしました。

「よし、今度はヴィブラートをかけて音を伸ばしてみて。倍音じゃないよね?…うん、うん、よし、よし、そうだ。」ドミートリイ・ドミートリェヴィチは、何か頭の中で考え込んでつぶやいていました。それから彼は、前に何かパッセージがなくても、直接その音にあてることはできるかと尋ねてきました。私は、それは可能だし、上昇音型よりは下降音型の方が難しいと返答したのです。

しばらくして、私達は第13四重奏曲の新しいスコアを受け取りました。その作品が書かれていたことは、まったく知りませんでした。私は、その四重奏曲の結尾が高音域での長大なヴィオラ・ソロであること、最後の音がシ♭で、第1、第2Vnが加わっていくことで雪だるま式に膨れ上がる効果を持ったクレッシェンドを伴っていることに気づきました。(E. Wilson: Shostakovich: A Life Remembered, pp. 438〜439)

初演は1970年12月13日にレニングラードで行われた。初演時には、全曲がアンコールされた。翌1971年の春にモスクワを訪問したベンジャミン・ブリテンとピーター・ピアーズは、ショスタコーヴィチの家でこの作品を聴く機会があった。ベートーヴェン四重奏団が続けて2回した後、深く感動したブリテンはショスタコーヴィチの手にキスをした。これが、ショスタコーヴィチとブリテンの最後の出会いとなった。

この作品には、弦楽四重奏芸術の極致と呼ぶに相応しい超弩級の名演であるボロディーンQの旧盤(Chandos)という決定盤がある。個々の技量の高さもさることながら、四重奏として徹底的に磨き上げられた技術の素晴らしさは筆舌に尽くし難い。しかも、奏でられる音楽には人工臭は全くなく、楽譜に込められた全ての感情を余すところなく引き出し切っている。作品解釈についても非の打ち所はただの一点もない。次点は、ベートーヴェンQ(Consonance)盤。とりわけ、ドルジーニンの味わい深い演奏が素晴らしい。この団体らしい太く暖かい音の中にも、胸を引き裂くような鋭さが際立つ、模範的な演奏である。

ボロディーンQの新盤(Victor)も、卓越した技術から引き出される澄み切った響きが大変素晴らしい。リズムや和声の処理、一瞬たりとも緊張感のとぎれない構成、いずれをとっても模範的な演奏と言うことができるだろう。ただ、あまりにも格調高く整然とまとまり過ぎのようにも思われ、突き抜けた昂奮や戦慄が感じられないのが物足りない。逆に、ショスタコーヴィチQの旧盤(Olympia)は隅々にまで熱い共感が漲っていて、聴き手を力強く引き込むような力を持った振幅の大きい音楽に仕上がっているが、表現に多彩さはあまり感じられないのが惜しい。むしろ同じショスタコーヴィチQの新盤(Sacrambow)の方が、静謐な美しさが際立つ秀演で、表現の線は細いが、懐の深い集中力はなかなかのもの。手慣れた感じで音楽が進められながらも、表面だけをなぞるような部分は皆無。地味ながらも聴き応えのある演奏に仕上がっている。タネーエフQ(Victor)盤は、典型的なロシアの音色、手堅い合奏能力、いずれを取っても模範的で立派な演奏である。きびきびとした音楽の運びによるスマートな仕上げはこの団体の特徴だが、全体にあっさりとし過ぎているような気がしなくもない。

西側の団体による演奏は、いずれも響きの美しさを丁寧に表出している。フィッツウィリアムQ(London)盤は、しっとりと落ち着いた端正な演奏。全体の構成を把握した的確な表現も素晴らしい。ドビュッシーQ(Arion)盤も同様で、ロシア臭は全くといってよいほどないが、むしろそれゆえにこの作品の持つ美しさと深さが素直に表出されている。徒に絶叫したり深刻ぶったりするようなところは皆無で、作品に対する真摯な取り組みが立派である。技術的にも、やや線は細いものの、不満はない。静謐感の表現がより一層傑出しているのが、ラズモフスキーQ(OEHMS)盤。抑制されたヴィヴラートは、ピリオド楽器も演奏する奏者から成るこの団体ならではのものだろう。冒頭の美しさは特筆すべき出来。

こうした傾向とは異なるが、堂々たる好演であるダネルQ(Fuga Libera)盤も挙げておきたい。簡素なスコアから多彩な表現を引き出す力量は賞賛に値する。ただ、重厚な表現のあまり、逆に作品の凝縮性が損なわれているのは残念。もっとも、一種の歌謡性を持った演奏なので、聴きやすいことは確かだろう。

ボロディーンQ盤
(Chandos CHAN10064(4))
ベートーヴェンQ盤
(Consonance 81-3008)
ボロディーンQ盤
(Victor VICC-40018/23)
ショスタコーヴィチQ盤
(Olympia OCD 535)
ショスタコーヴィチQ盤
(Sacrambow ATCO-1018)
タネーエフQ盤
(Victor VICC-40104/9)
フィッツウィリアムQ盤
(London F00L-29155/60)
ドビュッシーQ盤
(Arion ARN 68461)
ラズモフスキーQ盤
(OEHMS OC 562)
ダネルQ盤
(Fuga Libera FUG512)

弦楽四重奏曲第14番嬰ヘ長調 作品142

交響曲第15番の後、2年近くにも渡って、ショスタコーヴィチは何も作曲できなかった。健康の悪化に起因する創造意欲の減退や霊感の枯渇に加えて、増える一方の公務や度重なる海外旅行などがショスタコーヴィチの創作活動を物理的に制約したため、ショスタコーヴィチにとっては異例であり、また遺憾でもあったろう創作上の沈黙状態が生じたのだろう。グリークマンに宛てた1973年1月16日の書簡では、次のように述べている:

自宅にいる、ということがどのようなものか、ほとんど忘れかけています。長旅か、さもなくば入院で家を空けています。今現在は、12月3日以来、ここの病院にいます。もともとは腎結石の治療のための入院でした。それはとても痛かったのですが、いつかは身体の中から出てくれるはずだと信じています。帰宅が決まってから、“万一に備えて”しっかりと検査することになりました。その結果、左の肺に癌が見つかりました。今は、それを除去するための放射線治療を受けているところです。癌は徐々に小さくなっているので、3〜4週間もすれば癌のない、きれいな肺を2つ持っていると自慢できるようになるでしょう。一方、手足はどんどん弱くなっています。というのも、肺の治療に専念しているからです。

今は、ずいぶん調子が良くなりました。そんなわけで、あなたのお手紙に返事を書けるのです。

どうぞ、お身体には気を付けてください。私の身体からは、健康というものが失われてしまいました。そのために、みじめな思いをしています。日常生活に関しては、ほぼ完全にお手上げです。服を着替えたり顔を洗ったりすることも、もはや自分一人ではできません。頭の中では、バネか何かが壊れてしまいました。第15交響曲以来、一つの音符も書いていません。これは、私にとって恐ろしい状況です。(I. Glikman: Story of a friendship, p. 188)

こうした不毛の時期に終止符を打つように一気呵成に書き上げられた作品が、この弦楽四重奏曲である。このジャンルに着手した時点で、第11番以降の流れ(ベートーヴェン四重奏団の第2Vn→第1Vn→Va→)に従い、ベートーヴェン四重奏団の創立メンバーであるVc奏者のセルゲーイ・ペトローヴィチ・シリーンスキイに献呈されること、またそれに相応しい内容となることが自ずと決まっていた。1973年3月23日に作曲が始められ、一ヵ月後の4月23日には全曲が完成した。第11〜13番に見られた形式上の簡素化は影を潜めて、ここでは伝統的といってもよい3楽章の構成がとられているが、冒頭のヴィオラの反復音が巧妙に全曲に統一をもたらしている 。

わたしの室内楽曲は、ベートーヴェン記念四重奏団員とは切っても切れぬ関係にある。第二ヴァイオリンのシリンスキーが亡くなったとき、わたしは自分の作品を彼の思い出にささげて、こう考えた。ひとり彼のみではない、これらの人たちがそろってわたしのためにこれほど多くのことをしてくれたのだから、わたしはひとりひとり全員に作品をささげることにしようと。(『コムソモールスカヤ・プラウダ』1973年6月26日号:ショスタコーヴィチ自伝, pp. 467〜468)

S. シリーンスキイに捧げたことを示す工夫は、2点ある。まず一つは、第3楽章の冒頭で提示される動機(音列)にセルゲイの愛称“セリョージャ(Сереша)”の音名象徴(С=C、Р=D、Ш=Es)が埋め込まれていること、二つ目は『ムツェンスク郡のマクベス夫人』第4幕のアリア「セリョージャ、愛しい人よ」が引用されていることである。また、これはS. シリーンスキイ個人に対してではないが、全曲を通して第1VnとVcの二重奏が中心となっているのは、1972年にVa奏者のボリソーフスキイも亡くなってしまい、創設メンバーがこの2人になってしまったことを反映しているものと考えられる。

わたしは時をえらばずに仕事している。アメリカとコペンハーゲン行きの旅中に第十四四重奏曲を書き終えたが、それは文字どおりデンマークの出発数時間前のことだった。まだ今のところその余韻にひたっている。できるだけ早く帰国して、それをさらって、演奏したいものである。(『ソヴェト文化』1973年6月26日号:ショスタコーヴィチ自伝, p. 468)

5月には、年に一度授与されるゾンニング基金名誉賞 の第10回受賞者としてデンマークへと旅立った。そして、コペンハーゲンでいくつかの演奏会に顔を出した後、そこからフランスのル・アーブル港へと行き、そこからミハイール・レールモントフ号に乗船し、その大西洋横断の処女航海でアメリカのニューヨーク港へ入港した(6月11日)。アメリカではイリノイ州のノースウェスタン大学で名誉博士号を受け取った。滞在中、ニューヨークでメトロポリタン歌劇場での「アイーダ」鑑賞や、ブーレーズ指揮のニューヨークPOの演奏会を聴いた。メトロポリタン歌劇場で観劇した際には、リンカーン・センターの理事長ジョン・マッゾラから記念メダルを贈呈されたりもした。

明らかに健康状態が悪い中、あえてこのような苛酷な長旅を決行したのは、アメリカの病院で検診を受けるという計画があったからである。残念ながら、ショスタコーヴィチの病状に対する所見はアメリカでも好転することはなかった。

帰国後、ショスタコーヴィチはただちに初演の準備にとりかかろうとした。しかし、第2Vn奏者のニコラーイ・ニコラーェヴィチ・ザバーヴニコフが足を骨折したために、初演の予定は延期された。そんなある日、ザバーヴニコフを除く3人が、第14四重奏曲の勉強のためにショスタコーヴィチの家を訪れた時のことを、Va奏者のフョードル・セラフィモヴィチ・ドルジーニンは次のように回想している:

ドミートリイ・ドミートリェヴィチはピアノの前で総譜を開き、第2Vnのパートは自分が弾くと言いました。それで、この特別な組み合わせで全曲を通したのです。演奏が終わった時、ドミートリイ・ドミートリェヴィチは目に見えて興奮していました。彼は立ち上がり、こんな言葉を私達に贈ってくれました:「親愛なる皆さん、これは私にとって、人生の中で最も幸せな瞬間の一つです。まず何よりも、セルゲーイ、この四重奏曲が上出来だと思うからです(この四重奏曲は、チェロ奏者のセルゲーイ・シリーンスキイに献呈された)。そしてもう一つは、ベートーヴェン四重奏団の団員として演奏する幸運に恵まれたからです。一本指で演奏しただけではありましたがね!それで、私のイタリア風の一節はいかがでしたか?」私達はすぐに、彼が言っているのは第2楽章と終楽章のコーダにある、短いけれども素晴らしく美しい、感傷的な旋律のことだとわかりました。それは和らぐことのない、決して消えることのない心の痛みを喚起させます。それはおそらく、陳腐さと紙一重の歌謡的なフレーズだからなのでしょう。

彼は、スコアに指示を書き込むにあたって、極めて慎重でした。最終的なテンポの表記や指示は、四重奏団と何回かのリハーサルを経過した上でしか付け加えられませんでした。

そんなわけで、私は第14四重奏曲を譜読みした後の出来事を、とても誇りに思っているのです。彼は突然私のところにやってきて、こう言いました。「ペンを持ってきて、今、君が“シャコンヌ”(彼は、第1楽章にあるヴィオラのエピソードをこう呼びました)を弾いたやり方を、そのまま書き込むことにしますよ。」私は抵抗しました。「でもドミートリイ・ドミートリェヴィチ、まだ私はこの曲を弾き込んでいません。少し早すぎると思います。もっと後になったら、もうちょっとうまく弾けると思いますよ。」「いやいや、そこは、まさに今弾いたように弾かれなければならないんだ。」そう言って彼は、その時私が弾いたように、レチタティーヴォのニュアンスを書き込んだのです。(E. Wilson: Shostakovich: A Life Remembered, p. 440)

この回想中、“イタリア風の一節”というくだりは注目に値する。この部分には、同時期にブラガの『ラ・セレナータ』の編曲を手がけていたこととの関連が指摘されている。ショスタコーヴィチは最晩年に、チェーホフの短編小説『黒衣の僧』(1894年)の歌劇化を構想していた(実際に作曲が進められたかどうかは、知られていない)。もっとも、この小説に対する関心は少年時代から絶えず続いていたようで 、1943年に「このチェーホフの作品は、まるでソナタとして書かれているといってもいいほど、ロシア文学のなかでも最も音楽的な作品である 」と語ったりもしている。この小説の中で「ターニャがソプラノを、令嬢たちのひとりがコントラルトを、例の青年がヴァイオリンを受けもって、ガエターノ・ブラーガの名高いセレナーデを練習していた (松下裕訳)」として登場し、全編を通じて一種のライトモチーフの役割を果たしているイタリアのチェロ奏者兼作曲家であったブラガの「天使のセレナーデ」を、イリーナが1972年頃に図書館で見つけ出してきた。それを小説に出てくる編成に仕立てたものが、この編曲である。唯一の録音であるソコレンコ(S)、コルマコヴァ(MS)、スプテル(Vn)、ポーストニコヴァ(Pf)(Melodiya, LP)盤の清らかで美しい調べを聴くと、この話の結末をショスタコーヴィチはどのような音楽で描いたのだろうかと夢想せずにはいられないと同時に、その世界観をより抽象的に昇華し、音楽にしたものがこの四重奏曲なのかもしれないとも思う。

『ラ・セレナータ』の編曲
(Melodiya C10 26307 004, LP)

初演はレニングラードで、1973年11月12日に行われた。同じ演奏会で「M.ツヴェターエヴァの詩による6つの歌曲 作品143」も初演され、ベートーヴェン四重奏団による本作品の初出LPのカップリングも同じくこの歌曲であった。作品は「感情と思考、霊感と巨匠性の最高のハーモニー」などと高い評価を受け、1974年末には、ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲では唯一となるグリーンカ賞(ロシア共和国国家賞)を受賞した(男声合唱のための8つのバラード「忠誠」作品136と合わせての受賞)。

ボロディーンQ(Victor)盤がこの作品の魅力を余すところなく描き出した、傑出した名演である。卓越した個人技とアンサンブル能力で、この薄いスコアから驚くほど芳醇な響きを引き出している。出番は少ないものの、内声が充実しているのが非常に素晴らしい。もちろん、コーペリマンとベルリーンスキイの凄さは改めて言うまでもない。これと双璧をなすのは、シベリウス・アカデミーQ(Finlandia, LP)の非常に渋味のある落ち着いた演奏だろう。全体に音色の重心が低く、この作品が本来持つ響きの美しさがごく自然に引き出されているのが素晴らしい。チェロが主役を担う曲だけに、ノラスの名技も際立っている。ヴァイオリンには技術的な弱さが聴こえなくもないが、ほとんど気にならない。

これらに比べると、他の演奏は一長一短といったところ。ベートーヴェンQ(Consonance)盤は何とも雰囲気の良い演奏で、奏法、録音ともに古めかしいものの、この音こそがショスタコーヴィチのイメージしていたものだと納得させる説得力がある。この作品が要求しているあらゆる表情が、老練なアンサンブルによって引き出されている。一方タネーエフQ(Victor)盤は、やや技術的に不安定な部分(高音域の音程)や、表現の踏み込みの甘さなどが気にならなくもないが、全体に作品の美しさを十二分に引き出した秀演に仕上がっている。書法の極端な薄さを感じさせない、骨太の音色が非常に魅力的。バランスの良さという点では、ショスタコーヴィチQ(Sacrambow)の新盤の、曲を知り尽くした自信に満ちた、練り上げられたアンサンブルが立派なもの。武骨でざらざらとした質感を持った音色と、甘く抒情的な音楽とがうまく溶け合っている。個々の技量はそれほどでもないが、4人が一体となってショスタコーヴィチ晩年の歌をゆったりと歌い上げているのが素晴らしい。「この楽団は若いが、なかなか興味ぶかいとわたしは思う。(『全ソ著作権エージェント報』1975年第2号:ショスタコーヴィチ自伝, p. 494)」とショスタコーヴィチが言及したこともあるグリーンカQ(Praga)の録音も、音の肌理が荒いのは惜しいが、曲の雰囲気を的確に捉えた骨太の佳演である。多彩な表情と内容を引き出すというレベルまでは達していないものの、作品が持つ妖艶な美しさと聴き手に深い印象を残さずにはおかない雰囲気とを、立派に再現している。

クレーメル他(ECM)盤は、ロッケンハウス音楽祭でのライヴ録音。臨時編成のアンサンブルだけにトゥッティでの一体感に乏しいのは否めないが、単独でのソロが多いこの曲については大きなマイナスにはなっていない。クレーメル独特の節回しに違和感を感じるものの、全員が安定した技術で繊細な美しさを表出しており、この曲の魅力を真摯に伝えている。

ボロディーンQ盤
(Victor VICC-40018/23)
シベリウス・アカデミーQ盤
(Finlandia FA 324, LP)
ベートーヴェンQ盤
(Consonance 81-3008)
タネーエフQ盤
(Victor VICC-40104/9)
ショスタコーヴィチQ盤
(Sacrambow ATCO-1019)
グリーンカQ盤
(Praga PR 254 043)
クレーメル盤
(ECM 1347/48)

弦楽四重奏曲第15番変ホ短調 作品144

死の1年前に作られた(1974年5月17日に完成)、ショスタコーヴィチ最後の弦楽四重奏曲である。「エレジー」「セレナーデ」「間奏曲」「ノクターン」「葬送行進曲」「エピローグ」と標題がつけられた、ショスタコーヴィチが得意とした組曲風の構成をとっているが、全ての楽章がアダージョであるところが異例であり、また異様でもある(全楽章がアダージョの構成には、B. チャイコーフスキイの弦楽四重奏曲第3番(1967年)という前例がある)。

第十四四重奏曲につづいて、わたしはもう一つの四重奏曲をつくった。この第十五四重奏曲は、ゆっくりとしたテンポのもので、「エレジー」「セレナード」「インターメッツォ」「ノクターン」「葬送曲」「エピローグ」と名づけた六つの楽章から成っている。できるだけドラマチックな作品をつくろうとしたが、それがどれだけ成功したかは判断しにくい。(『全ソ著作権エージェント報』1975年第2号:ショスタコーヴィチ自伝, pp. 493〜494)

ここでショスタコーヴィチ自身が言う“ドラマチック”という形容は、少なくとも表面的には、この作品に相応しいものではない。しかし、内面的な音楽の彫りの深さは極めて劇的な変化を伴っており、モノローグが支配的なショスタコーヴィチ後期の弦楽四重奏曲の極致と言うことができるだろう。調性的な音楽にもかかわらず身の置き所のない非現実感に満ちた第1楽章では死体の腐敗臭が漂い、第2楽章では断末魔のうめき声のような音列に続いて、何度もワルツを踊ろうとするもののすぐに力尽きてしまう。第3楽章の苦しみに満ちた絶叫に続く第4楽章の腰を抜かすほどの美しさを経て、モノローグだけでひたすら時間と空間を埋め尽くす第5楽章では、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第14番作品27の2「月光」からの引用(弦楽四重奏曲第11番やヴィオラ・ソナタでも用いられている)が意味深く響く。最晩年の作品に頻出する不気味な半音のトリルが印象的な第6楽章に至っては、生の力はもはやどこにもなく、無気力というより、やはり死に支配されているとしか言いようがない。

この作品がショスタコーヴィチ自身へのレクイエムであることに疑う余地はなく、第1番と同様に献辞のない作品でこのジャンルと自らの生涯に別れを告げたことには、偶然のこととはいえ運命的な何かを感じなくもない。もっとも、1960年にベートーヴェン四重奏団が弦楽四重奏曲第7番のリハーサルをしている時にツィガーノフが聞いた「全ての調性で24曲の四重奏曲を書きたい」というショスタコーヴィチの意思は失われていたわけでなく、第16番以降では第一Vnのツィガーノフを除く全員が入れ替わったベートーヴェン四重奏団の新しいメンバーに捧げる作品群の構想もあったらしく、自らの死期を予感していたとはいえ、ショスタコーヴィチの創作意欲は依然として旺盛であったことも事実である。

このごろ四重奏曲をわたしが作曲すると必ず初演はレニングラードでおこなわれることがすでに恒例のようになっている。第十二、第十三、第十四四重奏曲はこうして演奏された。ふつうはベートーヴェン記念四重奏団がそれを演奏してくれている。だがそのうちすぐれたチェロ奏者セルゲイ・シリンスキーの死によって、アンサンブルは演奏をつづけることができなくなった。そこでわたしとしては初めてのタネーエフ記念四重奏団に自分の作品を演奏してもらうことになった。第十五四重奏曲はこの第一級の音楽家たちによって立派に演奏されるにちがいない。この新しい作品がレニングラードで初演される前夜にあって、それがいかに演奏されるか(それには全く不安はない)ではなく、自分の作品が演奏されるということ自体に興奮を禁じえない。(『夕刊レニングラード』1974年11月15日号:ショスタコーヴィチ自伝, pp. 485〜486)

初演は当然、ベートーヴェン四重奏団に委ねられた。ところが、順調に準備が進んでいた1974年10月18日、午前中に同曲の練習を終えたばかりのセルゲーイ・シリーンスキイ(チェロ奏者)が急逝した。ベートーヴェン四重奏団はすぐに後任の奏者の手配に取り掛かったが、予定されていた日程(作曲家同盟での非公開初演は10月25日、一般初演は11月15日)には間に合いそうもなかった。自らの健康状態が急速に悪化していることを自覚していたショスタコーヴィチは、初演を延期することを望まなかったため、既に楽譜を見せていたタネーエフ四重奏団に初演を任せることにした(タネーエフ四重奏団の第1Vn奏者オフチャレクによると、ベートーヴェン四重奏団による初演のすぐ後に演奏ができるように、ショスタコーヴィチからスコアが送られてくるのが常だったそうだ)。上の記事では“いかに演奏されるかには全く不安はない”と言っているが、実際にタネーエフ四重奏団がこの作品を演奏するのを自らの耳で聴くまでは痛々しいほどに神経質になっていたことは、言うまでもないだろう。ベートーヴェン四重奏団は、新しいVc奏者にエヴゲーニイ・アリトマンを迎え、翌1975年1月11日にモスクワ初演を行った。

ボロディーンQの1995年盤(Teldec)が、全てにおいて理想的な名演。磨き上げられた硬質な響きがたまらなく美しく、解釈し尽くされた表現の全てに説得力がある。最初から最後まで、間然とすることなくショスタコーヴィチの音楽に引き込まれてしまう、非の打ちどころがない決定盤。同じボロディーンQの1978年盤(Victor)は、劇的な表現力と透徹した集中力で聴き手を圧倒する、これもまた名演。鋭く澄んでいながらも骨太で強靱な音色の魅力だけではなく、老練とすら言える風格漂うスケールの大きな音楽が素晴らしい。精神をぎりぎりまで追い詰めるような音楽でありながら、一方で全てを受け止める余裕を感じさせる。タネーエフQ(Victor)盤も、初演者の名に恥じない誠実な演奏である。厳格なテンポ、均質で透明な響き、暖かさと冷たさとを兼ね備えた音色と表現力。いずれをとってもこの作品を演奏する際の規範たる仕上がりとなっている。強奏部の骨太な力強さも素晴らしいが、とりわけ弱奏部の透徹した響きの美しさと尋常ならざる緊張感が傑出している。ベートーヴェンQ(Consonance)盤は、ショスタコーヴィチ作品を知り尽くした自信と確信に満ちた演奏ぶりが素晴らしい。特に、第4楽章の幻想的で悲痛な雰囲気の表現は卓越している。太く暖かいロシアの弦の音色が、ごく自然に作品の世界へと聴き手を導いてくれる。ツィガーノフの音にやや衰えが聴かれるのが惜しい。

異彩を放っているのが、クレーメル他(Sony)盤。臨時編成の四重奏団による演奏だが、重奏よりも独奏の占める割合の高いこの作品ではそれほどの不満はなく、尋常ならざる緊張感と透徹した静謐感の表現が傑出した名演に仕上がっている。フレージングやヴィブラートの使い方等はクレーメルのそれを全員が踏襲しているように思われるが、非常に素晴らしい。ソリストの集団にしては意外なほど劇的な表現は聴かれないが、逆に極度に抑制された演奏の中から作品の美しさと内容が鮮明に浮かび上がってくる。極めて個性的で、しかも本質を完璧にとらえた名演といえるだろう。

西側の団体にも、立派な録音がある。作品の劇的な側面に寄った解釈としては、ダネルQ(Fuga Libera)盤とブロドスキーQ(Teldec)盤が挙げられるだろう。特に前者は、充実した硬派な佳演である。緊張感漂う異様な静謐感だけではなく、随所で爆発する力強い生命力が説得力を持っている。長大な作品を貫く集中力が素晴らしく、聴き手を退屈させることがない。後者も、時に荒々しいまでの爆発力を秘めているが、一貫してスマートな音楽の流れが保たれているところが特徴的。個々の技量は決して卓越しているとは言えないが、4人が一体となった集中力はなかなかのもの。真摯に作品と取り組んだ好演である。作品の持つ響きの異様なまでの美しさを再現しているのは、ケラーQ(ECM)盤。隅々まで磨き抜かれた響きは単に外面的な美観に留まらず、作品の内面を見事に表出している。残響の豊かな録音もこうした印象に大きく寄与している。ただ、あまりに美しすぎるためか、どこか生々しさに欠ける気がしなくもない。バランスの良さという点では、フィッツウィリアムQ(London)盤が随一だろう。奇を衒うことなく正面から作品に取り組む姿勢が実に心地好い。全体に洗練された仕上がりになっているが、やや大人しく感じられるところに好みが分かれるかもしれない。その代わり、全体を覆う静寂感は素晴らしい。技術的な不満もなく、西側初演者の名に恥じない、作品の内容を深く理解した秀演と言ってよいだろう。

ファースト・チョイスにはなり得ないが、スークQ(panton, LP)盤も忘れ難い。温もりのある、暖かい音色が独特の雰囲気を醸し出している。作品自体が要求している緊張感は十分に表出しながらも、どこか人間的な息遣いを感じさせるのが、この演奏の個性的なところ。細部まで丁寧に弾き込まれており、完成度も高い。

弦楽合奏の編成で演奏されることもあるが、ショスタコーヴィチの意図云々以前に、ここに挙げた音盤に匹敵するような内容を持った演奏は、今のところない。

ボロディーンQ盤
(Teldec 4509-98417-2)
ボロディーンQ盤
(Victor VICC-40018/23)
タネーエフQ盤
(Victor VICC-40104/9)
ベートーヴェンQ盤
(Consonance 81-3006)
クレーメル盤
(Sony CSCR 8009)
ダネルQ盤
(Fuga Libera FUG512)
ブロドスキーQ盤
(Teldec 246 017-2)
ケラーQ盤
(ECM 1755)
フィッツウィリアムQ盤
(London F00L-29155/60)
スークQ盤
(panton 8111 0195, LP)

弦楽四重奏のための2つの小品 作品D(i)

1931年10月31日から翌日にかけて、グルジアで完成された作品。歌劇「ムツェンスク郡のマクベス夫人」作品29より第1幕第3場「カテリーナの寝室」でカテリーナが歌うアリア(第1曲)と、バレエ「黄金時代」作品22より第3幕のポルカ(第2曲)をそれぞれ弦楽四重奏用に編曲したもの。ヴィヨーム四重奏団に献呈された。作曲者自身は当初、36番という作品番号を与えるつもりだったらしい(現在は、映画音楽「司祭とその下男バルダの物語」が作品36となっている)。初演については全く知られていないが、1984年9月20日にテル・アヴィヴで行われたイスラエル音楽祭で、ボロディーン四重奏団が蘇演した。その5日後にはモスクワ音楽院小ホールでも演奏されている。

原曲は、ショスタコーヴィチ初期の名作として広く知られているもので、弦楽四重奏用に編曲されてもその魅力を失っていない。また、この編曲が行われたのは弦楽四重奏曲第1番作品49の7年前のことであるが、すでにこの編成を器用に使いこなした見事な編曲に仕上がっている。楽譜が発見されて以降、数多くの弦楽四重奏団がアンコール・ピースとして重用しているのも当然な佳品である。

ちなみに、第2曲「ポルカ」の第2小節1拍目の裏で第1ヴァイオリンがE音を弾いている演奏がほとんどだが、これはF音の間違い。Sikorskiのパート譜のミスなのだが、スコアは正しくプリントされている。

録音の数は比較的多いが、中でもボロディーンQ(Teldec)の1994年録音が素晴らしい。音色の多彩さはオーケストラ版に全く引けをとらず、しかも弦楽四重奏ならではのツボを押えた絶妙の演奏。第1曲の抒情、第2曲の諧謔、どちらも最高の姿で再現されている。同じくボロディーンQ(Russian Disc)が第1曲のみのライヴ録音を残しているが、こ れも熱気に満ちた、自由な歌心を持った佳演。表情の振幅が大きく、原曲のスケールをも超える。コーペリマンの細身の音色が何とも美しい。

ボロディーンQに比べると分が悪いのは確かだが、他にはフィッツウィリアムQ(London)ショスタコーヴィチQ(Olympia)なども良い。前者は本作品の世界初録音盤。特に第1曲は素晴らしいが、ポルカでは第1ヴァイオリンのピッチカートが弱い。原曲のシロフォンにも強い音が必要なだけに、これは残念。一方後者はロシアの団体らしい野太く、荒っぽい音が小気味よい。特に圧倒させられるものはないが、全体に水準に達した演奏。また第1曲だけであるが、ライヴ映像(ショスタコーヴィチQ(EMI))もある。これは、スペイン王室秘蔵のストラディヴァリウス(スパニッシュ・セット)を使用しての演奏。落ち着いた抒情の感じられる、円熟した演奏。映像は、見苦しくないという程度。音声もあまり良くはない。

弦楽合奏による演奏もいくつかある。スピヴァコーフ/モスクワ・ヴィルトゥオージ(RCA)は、弦楽四重奏の編曲をほぼそのまま生かして弦楽合奏で演奏したもの。少し趣味の悪さを感じさせる部分や、パート譜のミスがそのままになっていたりと問題もあるが、とにかく巧い!特にエレジーが素晴らしい。スヴェンセン/タピオラ・シンフォニエッタ(Ondine)も良い。Sikorski社から出版されている弦楽合奏用の編曲による演奏で、楽譜に書いてあることが忠実に音化されている。特に第1曲は大変美しい。第2曲では愉悦感に乏しいの残念だが、その素直で伸びやかな演奏には好感が持てる。

ボロディーンQ盤
(Teldec 4509-94572-2)
ボロディーンQ盤
(Russian Disc RD CD 11 087)
フィッツウィリアムQ盤
(London F35L-50441)
ショスタコーヴィチQ盤
(Olympia OCD 531)
ショスタコーヴィチQ盤
(EMI TOLW-3719, LD)
スピヴァコーフ盤
(RCA 09026 61189 2)
スヴェンセン盤
(Ondine ODE 845-2)

ピアノ三重奏曲第1番 作品8

ショスタコーヴィチ最初の室内楽作品。単一楽章ではあるが、一応ソナタ形式の片鱗を残している。1923年夏、肺リンパ腺結核の治療のため滞在したクリミアのガスプラにて作曲された。1923年12月13日、ペトログラード音楽院での発表会において初演され、作曲科教授のマクシミリアーン・オセーエヴィチ・シテーインベルグはこの作品を高く評価した。

ロマンティックな雰囲気と抒情的な旋律は最初期の作風であるが、すでにショスタコーヴィチ独特の和声感覚とイントネーションの萌芽が見られるところが興味深い。伝統からの影響と独自の新しい感覚との微妙なバランスが、この曲の魅力でもある。

当時ショスタコーヴィチは家計を助けるために映画館で無声映画の伴奏ピアニストとしてアルバイトをしており、この曲は友人のヴァイオリニスト、ヴェンジャミン・シェールとチェリスト、グリゴリイ・ペッケルと共に映画に合わせて演奏することで練習をしたというエピソードが残されている。しかし、この曲に関して最も有名なエピソードは、初恋(厳密に言えば違うようだが、大した問題ではない)の相手であるタティヤーナ・グリヴェーンコに献呈されているということである。彼女との関係はその後も長く続き、複雑な様相を呈したようではあるが、この曲には青春時代の爽やかな情熱を忍ばせる雰囲気がある。こうした若きショスタコーヴィチの境遇に想いを馳せながらこの曲を聴いてみるのも、一興だろう。もちろん、単にそうした興味だけで済ませることのできない完成度を持った作品でもあるのだが。

なお、現存する自筆譜には20小節強の欠損があるが、Музыка刊の全集では弟子のボリース・ティーシチェンコが補完している。現在耳にできる演奏は、全てこの楽譜に基づいている。

この曲の最高の演奏は、チョン三重奏団(EMI)盤。これさえあれば、無理して他の演奏を聴く必要は全くない。キョンファの美しく情熱的なヴァイオリンを、ミョンファのチェロがそっと寄り添いながらも確実に支え、ミョンフンのピアノが二人を大きなスケールで包み込む。リズミカルな部分も叙情的な部分も、これ以上ないくらいに的確に表現し尽くしている。コーダの壮大な歌い上げには、思わず目頭が熱くなる。まさに非の打ち所のない名演。

ウィーン・ピアノ三重奏団(Nimbus)盤も非常に美しい名演で、一聴の価値がある。よく練られたアンサンブルでこの曲を等身大に描き出し、その美質を余すところなく音化している。緩徐部分の美しさは特筆すべき出来。

この他、コペンハーゲン三重奏団(Kontrapunkt)モスクワ三重奏団(Saison Russe)ミュンヘン・ピアノ三重奏団(MD+G)フィニコ三重奏団(Finlandia)等が素直で癖のない演奏を聴かせて好感が持てる。お国柄を反映した各団体の音色の違いを楽しむのも一興かもしれない。最後に、カリクスタイン・ラレード・ロビンソン三重奏団(Arabesque)盤では、コーダが通常聴かれるものと異なっていることを付記しておきたい。使用楽譜等の表記がなく、解説書にも全く触れられていないために詳細は不明。演奏自体は悪くない。

チョン三重奏団盤
(EMI CDC 7 49865 2)
ウィーン・ピアノ三重奏団盤
(Nimbus NI 5572)
コペンハーゲン三重奏団盤
(Kontrapunkt 32131)
モスクワ三重奏団盤
(Saison Russe RUS 288 088)
ミュンヘン・ピアノ三重奏団盤
(MD+G L 3334)
フィニコ三重奏団盤
(Finlandia FACD 364)
カリクスタイン・ラレード・
ロビンソン三重奏団盤

(Arabesque Z6698)

ピアノ三重奏曲第2番ホ短調 作品67

1944年2月11日、疎開先のノヴォシビルスクで、ショスタコーヴィチの大親友であったイヴァーン・イヴァーノヴィチ・ソレルティーンスキイが心臓発作のため、41歳の若さで死去した。彼の死を悼んだショスタコーヴィチは、チャイコーフスキイやラフマーニノフらロシアの伝統に従い、追悼のピアノ三重奏曲を作曲した。といっても、この作品の構想自体は1943年の末には練られていて、フレイシマンの歌劇「ロスチャイルドのヴァイオリン」の補筆 作品K(ii)を完成させると同時に三重奏曲の作曲が始められている。12月8日付のグリークマン宛書簡にも、この作品についての記述がある。ソレルティーンスキイの死の四日後である2月15日に第1楽章が完成した後、同年8月13日に全曲が完成した。公開初演は1944年11月14日、レニングラード・フィルハーモニー大ホールにおいて、ベートーヴェン四重奏団のメンバーであるドミートリイ・ミハイーロヴィチ・ツィガーノフのヴァイオリン、セルゲーイ・ペトローヴィチ・シリーンスキイのチェロ、そしてショスタコーヴィチ自身のピアノによって行なわれた。

ほぼ古典的な4楽章形式の作品で、冒頭のチェロのハーモニクスによる悲痛極まりない主題が非常に印象的である。この主題が終楽章のコーダにも現れ、全曲を統一している。しばしば両手がオクターヴのユニゾンで動くピアノ・パートなど、典型的なショスタコーヴィチの室内楽の特徴も聴かれる。全ての楽章が素晴らしいのは言うまでもないのが、やはり全曲の頂点はロンド形式の終楽章。ユダヤ風のイントネーションを持った第3楽章からアタッカで繋がる終楽章は、明らかにユダヤ的な音楽に仕上げられている。このことは、直前に「ロスチャイルドのヴァイオリン」に取り組んでいたことと無関係ではないのかもしれない。ショスタコーヴィチは、後に詩人のアーロン・ヴェルゲリスに次のように語っている:

私はどうも、ユダヤ的旋律の際だった特質がどこにあるかが分かっているようです。陽気なメロディがここではもの悲しいイントネーションの上に築き上げられているのです……。民衆は人間のようです。なぜ、民衆はにぎやかな歌を歌いだすのか。なぜなら、心が悲しいからです。(A. ヴェルゲリス:門前の番人, Moscow, P.248, 1988:驚くべきショスタコーヴィチ, p. 33)

このように、個人的な悲しみを、ユダヤ的な舞踏のモチーフを用いることで普遍的な悲劇性へと高めていることが、この作品の傑出している点であろう。終楽章の頂点では、聴き手が音楽に飲み込まれてしまうような巨大な力を感じずにはいられない。

ちなみに、この終楽章の主題は弦楽四重奏曲第8番作品110でも引用されている。自伝的な内容を持つと言われるこの作品の中で、直接的に引用されていることを考えると、やはりこの主題の根底にはユダヤ人だった親友ソレルティーンスキイへの思いも投影されていることは間違いないだろう。ソレルティーンスキイの姉は、次のように語っている:

第二楽章にイヴァン・イヴァノヴィチの驚くほど正確な描写を認めました。ショスタコーヴィチしか知らない弟の姿です。彼の気質、論証法、話し方、そして、ひとつの同じ考えに舞い戻り、それを発展させる習慣を聴き取ることができたのです。(フェイ:ショスタコーヴィチ ある生涯, P.192)

現代のピアノ三重奏曲の中では高い人気を博している作品だけに録音は少なくない。中ではオーイストラフ三重奏団(Praga)の演奏が傑出している。これは、作品の内容を余すところなく表現しきった名演。オーイストラフとオボーリンの巨大で圧倒的な音楽と非の打ち所のない技術が、大変素晴らしい。この2人と比較すると分が悪いものの、もちろんクヌシェビツキイも立派な出来。テンポ設定等、基本的な解釈はショスタコーヴィチ自身が参加した演奏とほぼ同じで、まさにショスタコーヴィチが頭の中に描いていた音楽そのものを、極めて高い精度で再現した演奏といえるだろう。微細なニュアンスから圧倒的な力強さに至るまで、とにかく不満を感じる部分は皆無。録音はお世辞にも良いとは言えないが、それを超える凄い内容のある演奏である。ヴァイマン(Vn)、ロストロポーヴィチ(Vc)、セレブリャコーフ(Pf)(Victor)盤も立派。確かな技術と理想的な音色だけでも十分素晴らしいが、地に足のついた重厚な音楽に圧倒される名演。皮相な悲劇性を強調するのではなく、内側からこみあげてくる切実な感情をごく自然に、かつ巨大なスケールで表出している。ソリスティックな技術のキレと音楽性も当然ながら凄いが、アンサンブルとしてもまとまりにも不足していない。L. コーガン(Vn)、ロストロポーヴィチ(Vc)、E. ギレリス(Pf)(BBC)という大物3人によるライヴ録音は相当荒っぽいものの、音楽のスケールは極めて大きく、悪くない。ちょっと趣きの変わった演奏としては新プラハ三重奏団(Panton, LP)盤もいい。派手でソロイスティックな名技性とは無縁だが、地に足のついた安定した技巧を持つ、非常に充実した名演。隅々まで磨き込まれたアンサンブルが、スコアの要求していることを余すことなく表現し切っている。くすんだような、落ち着いた響きも独特で大変美しい。大人の演奏。

ショスタコーヴィチ自身が参加した録音も2種類ある。初演メンバーによる録音(ツィガーノフ(Vn)、S. シリーンスキイ(Vc)、D. ショスタコーヴィチ(Pf)(Revelation))は、非常に適切なテンポをはじめ、深く曲を理解した真摯な解釈が素晴らしい。恐らく作曲者が意図した通りの響きがしていると思われる。ただ、冒頭のチェロなどに若干ソロイスティックな技術の不足が見られるのが惜しい。録音も悪いが、この曲のあるべき姿を示した演奏であるので、一度は耳にしたいところだ。より優れているのはD. オーイストラフ(Vn)、サードロ(Vc)、D. ショスタコーヴィチ(Pf)(Supraphon)盤で、卓越した技巧と音楽性を持った3人の共演だけに、不満のない出来である。全ての音に深い意味が感じられる。この曲を語る上で絶対にはずせない演奏なのだが、残念なことに非常に録音が悪い。靄がかかったような音なのだが、それでも圧倒的な音楽がひしひしと伝わってくるところに、この演奏の凄さを垣間見ることができるだろう。

最近の録音の中では、レーピン(Vn)、ヤプロンスキイ(Vc)、ベレゾーフスキイ(Pf)(Erato)盤が優れている。高い技巧を生かした、スケールの大きな名演で、強奏部でも決して音が汚くならない上に、きれいごとではない曲の内容も見事に表現しきっている。わずかながら淡白な部分も残っているが、とても若い演奏家による演奏とは思えない、成熟した演奏だ。一方、ボロディーンQ団員&レオンスカヤ(Pf)(Teldec)盤は、繊細すぎるほどに抒情的な演奏。曲に対する激しい共感と共に、甘く優しい歌に満たされている。曲の持つ巨大で圧倒的な力よりも、描かれている人間の姿が等身大かつ比類ない芸術性を持って表出されているように聴こえる。かなり個性的な演奏といえよう。

非ロシア系の団体による演奏は、総じて洗練された響きが魅力的だが、アカデミア三重奏団(SNS REAAL)コペンハーゲン三重奏団(Kontrapunkt)チャイコーフスキイ三重奏団(Ondine)ウィーン・ピアノ三重奏団(Nimbus)辺りが注目に値するだろう。

オーイストラフ三重奏団盤
(Praga PR 254 054)
ヴァイマン盤
(Victor VICC-2152)
L. コーガン盤
(BBC BBCL 4024-2)
ツィガーノフ盤
(Revelation RV70007)
D. オーイストラフ盤
(Supraphon CO-4489)
新プラハ三重奏団盤
(Panton 8111 0570, LP)
レーピン盤
(Erato 0630-17875-2)
レオンスカヤ盤
(Teldec WPCS-6434)
アカデミア三重奏団盤
(SNS REAAL VA 0106-2)
コペンハーゲン三重奏団盤
(Kontrapunkt 32131)
チャイコーフスキイ三重奏団盤
(Ondine ODE744-2)
ウィーン・ピアノ三重奏団盤
(Nimbus NI 5572)

ヴァイオリン・ソナタ ト長調 作品134

1968年8月26日から10月23日にかけて、D. オーイストラフの60歳の誕生日を祝う目的で作曲された。本来は、前年に作曲されたヴァイオリン協奏曲第2番作品129がそのための作品だったのだが、オーイストラフの誕生年を1年勘違いしていたショスタコーヴィチが、律儀にもう一度お祝いを作り直したというわけだ。初演は、被献呈者であるダヴィード・オーイストラフのヴァイオリン、スヴャトスラフ・リヒテルのピアノによって1969年3月3日、モスクワ音楽院大ホールで行なわれた。

この作品に、誕生日のお祝いといった作曲動機から想像される祝祭的な雰囲気は、全く感じられない。難解な哲学性、尋常ならざる精神の力強さといった、作品番号130番台特有の作風を端的に示している。凶暴なスケルツォを間にはさみ、両端にパッサカリアが配置された3つの楽章から成る。ト長調を中心としながらも、ギリシア旋法の混用や、ショスタコーヴィチが晩年に多用した4度音程などが独特の響きを作り出している。

作曲が開始された1968年8月といえば、「プラハの春」にソヴィエト軍が侵攻した時期である。確かに、第1楽章を侵攻前のプラハの情景、第2楽章をソヴィエト軍の侵攻、第3楽章を侵攻されたプラハ市民の魂の叫び、という風に捉えることも不可能ではないだろうが、この作品にはそうした皮相な解釈をはねつけるような厳しさがある。第3楽章の猛烈なカデンツァを頂点として、ヴァイオリンの表現力を極限まで追求するような音楽、そして極めて少ない音数でそれを支えるピアノ。技術的にもかなり至難な作品であるが、それにも増して作品の内部へと踏み込む精神力により苛酷なものが要求される。

D. オーイストラフ&リヒテル(Melodiya)による初演時のライヴ録音が残されているが、これが絶対的な名演。歴史的価値だけではなく、演奏自体も不滅の価値を持っている。理想的なイントネーション、揺るぎないリズム、鬼気迫る緊張感。いずれをとってもこれ以上の演奏は考えられない。オーイストラフもリヒテルも、持てる力を全て発揮している。こんな巨人達の名演で作品を初演してもらうことのできたショスタコーヴィチは、ひょっとすると音楽史上最高の幸福者だったのかもしれない。一方、初演の前に、モスクワの作曲家の家でD. オーイストラフ&D. ショスタコーヴィチ(Revelation)によって行なわれたプライヴェート録音というのも存在し、非常に期待させられるが、録音状態も悪く回転数のせいかピッチが高めなのと、当時すでに右手の調子が優れなかったショスタコーヴィチのピアノが第2楽章や第3楽章のカデンツァで壊滅状態であるために、一般的な鑑賞には全く薦められない。ただ数多くのアラを我慢して耳を澄ませると、特に瞑想的な部分の美しさに心惹かれるものがある。また、全編に異様な緊張感が漂っているのも特徴的である。60歳を過ぎた巨匠二人が、個室にこもってこのような演奏をしていた様子を思い浮かべるのは背筋が凍る思いだが、それもまた一興か。第1楽章の途中で柱時計(?)の鐘の音が聴こえるのは、臨場感があって楽しいかも。

オーイストラフの骨太で硬派な円熟の芸に対抗できる演奏はほとんどないが、クレーメル&ガヴリーロフ(EMI)の映像は一際鮮烈な印象を与えてくれる。ベルリン・フィルハーモニカーでのライヴ録画で、病的なまでの集中力と緊張感を持った、徹底的にクレーメル節に満ちた演奏だが、不思議と違和感はない。クレーメルの異常に透徹した音とガヴリーロフの凶暴な音とのコンビネーションが、この曲の本質を抉り出している。第1楽章で弱音器を付け損なうミスがあるものの、各楽章の性格が明確かつ適切に捉えられているのが素晴らしい。それにしても、ソリスト二人の風貌は異様に怪しい。譜めくりのオヤジまで胡散臭い。同じクレーメル&ガヴリーロフ(Victor)がこの2年前に収録した録音も、若きクレーメルの鬼才ぶりが存分に発揮された名演。特に繊細で緊張感に満ちた弱音の美しさは特筆すべきもの。ガヴリーロフはやや大人しいが、スケール大きな風格ある伴奏でクレーメルの神経質な美しさを引き立てている。ライヴ映像の熱狂とは対極にある演奏だが、この作品に対する本質的な姿勢は当然ながら同じ。どちらを取るかは聴き手の趣味の問題だろう。とはいえ、個人的には悪夢にうなされそうな映像をお薦めしたいところだが。

カガーン&リヒテル(Live Classics)の1988年ライヴ盤もいい。同じ顔合わせによる3年前の旧盤(Melodiya)と比較すると、線の細さが払拭され、透徹したカガーンの音色と深遠なリヒテルの音楽とが見事に調和した、スケールの大きい立派な演奏に仕上がっている。最初はどこか落ち着かない客席が、曲が進むにつれて静かに緊張感を漲らせていく様も、わずかながらCDから聴いてとることもできる。間然とするところのない、完成度の高い秀演。他には、ドゥビーンスキイ&エドゥリーナ(Chandos)盤が、何とも熱い、人間的な情感に満ちた秀演。技術的には必ずしも完璧な出来とは言い難いものの、曲の隅々にまで感情を込めきった演奏には感動せずにはいられない。ベテランの室内楽奏者らしく、ヴァイオリンとピアノとのバランスも素晴らしい。近寄り難い雰囲気をもった作品だが、ドゥビーンスキイの演奏にはそうした難解さはほとんど感じられない。大変魅力的な演奏である。

古き佳きロシア流儀のヴァイオリンで聴きたいところではあるが、グラズマン&ヨッフェ(BIS)盤を挙げずに済ます訳にはいかないだろう。冒頭から、艶やかで深みのある、それでいて若々しさも感じさせるヴァイオリンの響きが実に素晴らしく、全体の構成に対するバランス感覚も秀逸で、表現の幅も非常に広い。この作品のファースト・チョイスとして薦めるに値する名盤である。他に敢えて挙げるとすればミンツ&ポーストニコヴァ(Erato)盤辺りだろうか。典型的なジュリアード流儀の奏法に加え、ねっとりと音を潰し気味にしたミンツ独特の弾き方には好き嫌いが大きく分かれるだろう。とはいえ、技術的な水準は極めて高く、不思議と体温を感じさせない冷ややかで軽くただような演奏は、この作品の持つ美しさを浮かび上がらせているともいえる。ポーストニコヴァの重いピアノも立派。これがこの作品の真正な姿とは思えないが、聴き手の耳を惹きつける力は十分に持っている。

D. オーイストラフ盤
(Victor VICC-2014)
D. オーイストラフ盤
(Revelation RV70008)
クレーメル盤
(EMI TOLW-3613, LD)
クレーメル盤
(Victor VICC-2080)
カガーン盤
(Live Classics LCL 183)
ドゥビーンスキイ盤
(Chandos CHAN8343)
グラズマン盤
(BIS BIS-CD-1592)
ミンツ盤
(Erato 2292-45804-2)

ヴィオラ・ソナタ ハ長調 作品147

亡くなる一ヶ月前の1975年7月5日に完成された、ショスタコーヴィチ最期の作品。ベートーヴェン四重奏団の第二代ヴィオラ奏者であったフョードル・セラフィモヴィチ・ドルジーニンに献呈されている。ショスタコーヴィチ自身はこの作品を実際の音として聴いたことはなく、1975年10月1日レニングラード・グリンカ・ホールにてフョードル・セラフィモヴィチ・ドルジーニンのヴィオラ、ミハイール・ドミートリェヴィチ・ムンチャンのピアノで初演された。

初演者ムンチャンの語ったところによると、1974年12月13日にフリードというソ連の作曲家のヴィオラ・ソナタをドルジーニンとムンチャンがショスタコーヴィチ邸で演奏した(ショスタコーヴィチは体調が悪くて、演奏会に足を運ぶことができなかった)ことが、この作品が生れるきっかけとなったらしい。フリードはショスタコーヴィチに師事した経歴があり、教え子の作品を確かめながら自身の新作を着想していたのであろうか。そして、1975年6月には完成していたこの作品の楽譜は8月1日にドルジーニンとムンチャンの手元へと届き、さっそく練習が開始された。しかしながらその約1週間後の8月9日、ショスタコーヴィチは死去したのだった。初演に際してはロジデーストヴェンスキイやムラヴィーンスキイなど、ショスタコーヴィチに師事した作曲家達やショスタコーヴィチをよく知る著名な演奏家達が集まってのリハーサルが何度も行なわれたらしい。

Moderato―Allegretto―Adagioの三楽章からなるこの曲は、両端楽章がパッサカリアの形式を取り、第3楽章に長大なカデンツァを配置するなど、ヴァイオリン・ソナタ作品134と形式上の類似が見られる。加えて、ベルクのヴァイオリン協奏曲(第1楽章冒頭)、未完の歌劇「賭博師」(第2楽章)、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第14番作品27-2「月光」(第3楽章)などからの引用が、聴き手の想像をいやが上にも駆り立てる。まさにショスタコーヴィチの「白鳥の歌」にふさわしく、病的なまでの透明感と、ヴィオラの魅力を完璧に引き出した暗く深い響き、そして哲学的な思索性を持った大傑作である。

ただ、自筆スケッチはヴィオラ用のハ音記号ではなく、ヘ音記号で書き始められているため、当初はチェロ・ソナタとして着想されたことが、現在ではわかっている(ヤクーボフ氏による)。終楽章の最後の14小節には、R. シュトラウスの交響詩「ドン・キホーテ」から騎士の主題の断片が引用されている。スケッチの当該部分には「スラーヴァによろしく」とショスタコーヴィチ自身が書き込んでいることから、「ドン・キホーテ」を得意にしていたロストロポーヴィチ(作曲当時は、既に国外に追われていた)に対するメッセージであることは明らかだろう。また同じ部分では、父ドミートリーの死を悼んで作曲した「2台のピアノのための組曲 作品6」冒頭の動機も引用されている。こうした背景を踏まえて、このたまらなく美しいコーダを聴くのもよいだろう。

初演者の一人ムンチャンは、この作品について次のように述べている:

このソナタというのは彼の音楽作品の中でも大変ユニークな位置を占めていまして、つまり初めは複雑だった音楽が、ずっと溶けて溶けて溶け続けて、そしてついに最もシンプルなハ長調という調性に到達するんです。こんな終わり方をしたら、実際この後どんな作品も書くことは不可能だとおもいますよ。このエンディングに込められているもの、或いはこのときショスタコーヴィチの心の中に何が去来していたかなんてことは、並の人間には到底理解できないことだと思います。音楽というのは大体が雄弁でたくさんのことを語りかけてくれますが、特にこのソナタの終わりは、少なくとも私にとっては、人間の創造性がもたらしたこの世で最も偉大で崇高な具現化とでも言いましょうか、感じることさえできないほど壮大で宇宙的なもの、或いは一人の人間の人生の一部みたいなものなんです。(渡辺和彦:ショスタコーヴィチの遺作「ヴィオラ・ソナタ」成立についての真相, 音楽現代, 19(5), p.131, 1989.

これ以上付け加えるべき言葉はないだろう。後は、ただ作品を聴くのみだ。

ちなみに、名チェロ奏者のダニール・シャフラーンがヴィオラ・パートをチェロ用に編曲している。この曲をチェロでも弾きたいと思うのは、チェロ弾きならば当然のことかもしれない。しかしながら、この作品はヴィオラで演奏してこそその真価が発揮される。音域が変わり、楽器が変わることでこの作品の魅力は半減してしまうように、筆者には感じられる。他に、ヴィオラ奏者ヴラディーミル・メンデルスゾーンがピアノ・パートを弦楽合奏用に編曲しているが、これもあまりに軟派な雰囲気で気に入らない。

技術的な不満がないわけではないが、音楽的には初演者ドルジーニン&ムンチャン(Melodiya)による録音が傑出している。単なる歴史的価値だけではなく、真摯な演奏は依然として圧倒的な力を持っている。高音部の音程などに若干不安定な要素も見られるが、ロシア流儀の太く深い音色は大変素晴らしい。後期の弦楽四重奏曲を数多く演奏してきた経験からか、ショスタコーヴィチ最晩年の様式を完全に手中におさめている安心感がある。変な癖や小細工といったものとは全く無縁の演奏だが、だからこそなお曲の素晴らしさが完璧に表出されている。名演。ドルジーニンの弟子であるバシメート&リヒテル(Melodiya)のライヴ録音も、世評通り素晴らしく、バシメートの卓越した技巧を存分に味わうことができる。粘着質の歌い回しには好き嫌いが分かれるだろうが、ヴィオラという楽器の魅力が最大限に引き出されている。リヒテルの巨大で圧倒的な伴奏も特筆すべき出来。深淵で瞑想的な雰囲気は、リヒテルの音楽性に負うところが大だろう。比類なき精度とスケールの大きさ、そして内面的な燃焼度を誇る名演。また、バシメート&ムンチャン(RCA)という顔合わせの新盤は、旧盤ではいささかリヒテルの音楽に押し切られてしまったバシメートの音楽性が、遺憾なく発揮されている。とにかくよく歌うヴィオラ(筆者にはややねちっこ過ぎるが)が、軟派ながらも魅力的。技術的な至難な部分を感じさせない鮮やかな技巧と相まって、スコアに込められたあらゆる表情がもれなく表現されている。ムンチャンの伴奏は強烈に主張するようなことはないが、初演者という自信と確信に満ちたサポートぶりには、安心して耳を委ねることができる。両端楽章の極端に遅いテンポも、全く弛緩することがない。

現代のヴィオラ奏者の中でもトップを行く女性二人も、立派な演奏を残している。カシュカシャン&レヴィン(ECM)盤は、硬質な輝きを持った辛口の演奏。とはいえ、フレーズの端々に官能的な歌い回しが聴かれるので、とっつき辛いことはない。低音弦の深い響きにはやや乏しいが(録音のせい?)、非常にバランスのとれた技術的に安定した演奏に仕上がっている。ピアノとの音楽的な関連も十全で、この作品の多様な側面を立派に描き出している。一方今井&ペンティネン(BIS)盤は、やや甘口ではあるが、ヴィオラの美質を十二分に発揮した美演。ペンティネンのピアノも素晴らしい。過剰な思い入れを排したあっさり目のテンポ設定(初演者ドルジーニンらのものとほぼ同じ)が、歌い口の甘さに反して硬派な印象を作り出している。作品の内容を的確に捉え、そして余すところなく表出した名演。同じ女性奏者でも、T. ツィンマーマン&ヘル(EMI)盤は、徹底的に感傷的な歌い込みで押し通した演奏。技術的な不満は全くないが、この波乱に満ちた大作曲家の到達点としては、あまりに表面的に過ぎるように感じられる。ただ、こういう美しさもこの作品の一面であることは確かで、あまりにぶっきらぼうなドルジーニン盤などよりも、この演奏を好む向きがあるのは当然だろう。

ツィンマーマン盤の軟派路線よりは、ヒリヤー&デ・レーウ(Koch)盤の硬派路線の方を、筆者はより好む。どことなく鄙びた音色に衰えを感じなくもないが、技術的には不満のない演奏。ロシア風の深い響きとは対照的に、無機質なまでの堅い透明な響きが印象的。もちろん、ヴィオラの美質は十分に発揮されている。決して感傷に溺れることのない硬派な音楽が素晴らしい。ミルプ&トフテマルク(Classico)盤は、ちょっとした掘り出し物的名演。難所も清潔に弾ききる確かな技術にも感心するが、何よりヴィオラの美質を凝縮したような音色の見事さに惚れ惚れとする。音楽的な水準も非常に高い。

ヴァイオリニストが楽器を持ち変えた録音も少なくないが、技術的な完成度は高いものの、明るく軽い音色に大きな違和感が残る。

ドルジーニン盤
(Victor VICC-2049)
バシメート盤
(Victor VDC-5541)
バシメート盤
(RCA 09026-61273-2)
カシュカシャン盤
(ECM 1425)
今井盤
(BIS BIS-CD-358)
T. ツィンマーマン盤
(EMI TOCE-7853)
ヒリヤー盤
(Koch 3-1161-2)
ミルプ盤
(Classico ClassCd 420)

チェロ・ソナタ ニ短調 作品40

1934年8月14日から9月19日にかけて作曲された。特に第1楽章は2日間で書き上げられたらしい。初演は1934年12月25日レニングラード音楽院小ホールで、被献呈者のヴィクトール・ルヴォヴィチ・クバツキイのチェロとショスタコーヴィチ自身のピアノによって行なわれた。

初期の実験的な作品群から、自己のスタイルを確立する中期への過渡期に位置するこの作品は、意外なまでの旋律性に満ちている。ショスタコーヴィチ自身、「『音楽の純粋さ』についていえば、チェロ・ソナタが、ある程度の成果をあげていると思う」(『クラースナヤ・ガゼータ』1935年1月14日号:ショスタコーヴィチ自伝, pp. 57-58)と述べている。深く感傷的な抒情に満ちた、最良の意味で平明な作品だが、作曲当時はエレーナ・コンスタンチノーフスカヤという女性との関係で、妻ニーナとの離婚の危機を迎えていた 。

二つの主題が魅力的なソナタ形式による第1楽章、いかにもショスタコーヴィチらしい機知と諧謔に満ちたスケルツォの第2楽章、暗く物悲しいが不思議と温もりのある三部形式の第3楽章、そしてあっけないが鮮やかで気の利いたロンド形式の第4楽章。極めて古典的な形式の中でショスタコーヴィチ特有の効果と内容が存分に発揮されている。実演でも録音でも頻繁に取り上げられるのも当然だろう。

1936年1月末、アルハンゲリスクで初演者クバツキイとこの曲を演奏したショスタコーヴィチは、その地で『プラウダ』の論文「音楽のかわりに荒唐無稽」を目にすることになる。その後吹き荒れた粛清の嵐の中で、ショスタコーヴィチの青年時代に大きな関わりをもったトゥハチェフスキイ元帥やメイエルホーリドらが辿った運命も併せて思い起こすと、この作品に満ちている抒情の背後にどこか暗い影がさしているようにも聴こえてくる。まぁ、穿ち過ぎといえばそれまでなのだろうが…。

この曲に関しては、ロストロポーヴィチ&D. ショスタコーヴィチ(Victor)盤一枚さえあれば十分だろう。確かに録音は良くないが、演奏自体は未だにこれを凌駕するものはない。特にテンポはこれ以外に考えられない。終楽章の引き締まった音楽は非常に魅力的だ。作曲家自身のピアノを含め、技術的に完璧な演奏はスコアのすみずみまで見事に光を当てている。絶妙なリズム感と音色の感覚が特に素晴らしい。いくつかのレーベルからCD化されているが、やはりVictor盤の音質が一番優れているだろう。一方、ロストロポーヴィチ&ブリテン(Decca)盤は、いつものロストロポーヴィチらしいスケールの大きな音楽であるが、彼のライヴ時特有の粗雑さが目立つ。気合いが入りすぎるのだろうが、さすがに好ましいとはいえないだろう。この演奏の聴きどころはブリテンのピアノ。奔放なチェロにぴったりとつけるだけではなく、作品のあらゆる側面を見事に音にしていく様はまさに圧巻。音も際立って美しく、またショスタコーヴィチ作品にふさわしい音色でもある。第3楽章の深さと美しさは筆舌に尽くし難い。録音はあまり良くないが、一聴の価値がある。

ロストロポーヴィチ盤に匹敵する演奏としては次の2つが挙げられるだろう。ペルガメンシチコフ&ウゴルスキイ(Victor)盤は、チェロ、ピアノ共にスケールの大きい表現意欲に満ちた名演。技術的にも完璧と言ってよい出来で、安心して楽曲を味わうことができる。和声の微妙なうつろいが骨太の音色で美しく描き出されており、ともすればリズムと旋律の面白さばかりが強調される中で独特の魅力を持っている。ノラス&ヴァルスタ(Finlandia)盤も素晴らしい。いたずらに絶叫することのない、寡黙でありながら雄弁な、まさに男臭い名演。木の香りがする太く深い音色は絶品で、特に第3楽章の抒情は他の追随を許さない。ピアノはそれほど個性的ではないものの、安定したサポートぶりを聴かせている。ショスタコーヴィチ自身がノラスの演奏を聴き、感謝の手紙を送ったという逸話があるが、それも十分に頷ける。

この他に敢えて挙げるとすれば、ゲリンガス&シャッツ(Es-Dur)ハレル&アシケナージ(London)長谷川陽子&野平一郎(Victor)モルク&ヴォクト(Virgin)シャフラーン&D. ショスタコーヴィチ(Revelation)J. ロイド=ウェッバー&マッケイブ(Philips)クニャーゼフ&ヴォスクレセンスキイ(Exton)キルシュバウム&P. ヤブロンスキ(Altara)の各盤辺りになろうか。シャフラーン盤は、出版譜とは異なる初稿で演奏されているという点でも注目したいところ。

ロストロポーヴィチ盤
(Victor VICC-2027)
ロストロポーヴィチ盤
(Decca 466 823-2)
ペルガメンシチコフ盤
(Victor VICC-2108)
ノラス盤
(Finlandia 1576-57705-2)
ゲリンガス盤
(Es-Dur ES 2021)
ハレル盤
(London 421 774-2)
長谷川陽子盤
(Victor VICC-120)
モルク盤
(Virgin 7243 5 45274 2 5)
シャフラーン盤
(Revelation RV10017)
J. ロイド=ウェッバー盤
(Philips 422 345-2)
クニャーゼフ盤
(Exton OVCL-00202)
キルシュバウム盤
(Altara ALT1019)

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Last Modified 2009.06.13

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