現在私が所有しているШостакович関連文献のリストと、それらについてのコメントをまとめてみました。アイコンをクリックすると、表紙画像が別ウィンドウに表示されます。
秋山邦晴・武満 徹:シネ・ミュージック講座 映画音楽の100年を聴く |
映画音楽「新バビロン」作品18、映画音楽「呼応計画」作品33、映画音楽「司祭とその下男バルダの物語」作品36および「戦艦ポチョムキン」の音楽についての言及がある。 |
芥川也寸志:音楽の旅―エッセイ集― |
pp.97-100に、「ショスタコービッチの死」という追悼文がある。著者がショスタコーヴィチからもらった自筆サイン(ヴァイオリン協奏曲第1番の冒頭が書かれている)の写真などもある。短文だが、ショスタコーヴィチの本質を鋭くついた、含蓄のある名文である。 |
朝吹英和:時空のクオリア |
「伍藤暉之とドミトリー・ショスタコーヴィチ、その交響的序論」「『静寂のうちに、ものがたる余裕』――森永かず子のエッセイに寄せて」という2編のエッセイにて、ショスタコーヴィチが取り上げられている。もっとも本書はいわゆる音楽書ではなく、音楽が表現しているであろう意味世界を、俳句を通して思索した随想である。 |
伊熊よし子:ヴェンゲーロフの奇蹟〜百年にひとりのヴァイオリニスト〜 |
ヴェンゲーロフの伝記だが、第十四章「私のすべてを持っていけ」に、彼とショスタコーヴィチの音楽との関わりが記述されている。といっても、ヴェンゲーロフ自身の考え方等はなく、彼にショスタコーヴィチの音楽を教えてくれたロストロポーヴィチとの思い出話のようなものが主である。 |
磯田健一郎:ポスト・マーラーのシンフォニストたち |
音楽之友社ON BOOKSの一冊。マーラー以降の26人の作曲家による交響曲についてのエッセイ風のガイド。ショスタコーヴィチについての記述は、85〜106ページにある。『証言』がショスタコーヴィチの音楽を聴く上で、それほど大きな意味を持たないという立場を取っている。勿論、作曲当時の社会状勢に関する簡単な記述は出てくる。文体が軽い感じでおちゃらけた雰囲気が気になる人には気になるだろうが、言わんとしていることには大いに共感できる。ショスタコ初心者用に最適かも。 |
伊藤恵子:革命と音楽―ロシア・ソヴィエト音楽文化史 |
主として前半はロシアの宗教音楽、後半はショスタコーヴィチを中心とした当時のソヴィエト音楽界事情についてまとめられている。「支配せよ、ブリタニア!」の舞台写真など、貴重な写真が目を引くものの、学術的な精密さには欠ける。ショスタコーヴィチが生きた社会の流れをざっと追うには手軽だが、もう少し他の作曲家との関わりや作品の紹介などに紙面を割いて欲しかった。もっとも、このシリーズ(はじめて音楽と出会う本)の趣旨からすればこれが限界だったのかもしれないが。 |
井上太郎:レクィエムの歴史 死と音楽との対話 |
交響曲第14番が取り上げられている。レクィエムを広範に取り扱った本としては注目に値するが、ショスタコーヴィチ・ファンにとってわずか2ページ足らずの記述は、残念ながら特に興味を引くものではない。 |
井上頼豊:ショスタコーヴィッチ |
日本語による初の伝記。交響曲第10番あたりまでについて、当時の“公式見解”に基づいた記述がなされている。巻末にプラウダ批判やジダーノフ批判の全文が載っているのは非常に便利。文体や表現になんとなく左翼的なものを感じることが多いが、それもまた時代感を漂わせていて良い。当時のソ連音楽界の動きを知る上でも、重要な文献と言えるだろう。 |
井上頼豊(著)・外山雄三・林光(編):聞き書き 井上頼豊―音楽・時代・ひと |
ショスタコーヴィチについての目立った記述はないが、日本におけるショスタコーヴィチ受容に大きく貢献した井上頼豊氏の人生を通して、当時の雰囲気が色濃く描き出されている。 |
猪俣勝人:世界映画名作全史 戦前篇 |
pp.319-320に、映画「呼応計画」の解説がある。 |
岩城宏之:森のうた 山本直純との芸大青春記 |
副題通り、岩城宏之が山本直純と過ごした芸大時代の思い出を綴ったエッセイ。個々の話の真贋そのものはともかくとして、ここに登場する人物達がいずれも活き活きと魅力的に描かれているのが楽しい。表題の「森のうた」は、この作品を演奏した時代の思い出の象徴といった感じで、「森の歌」そのものに対しては紙数もそれほど割かれているわけではなく、「スターリンへのあてつけで書いた“模範的な”作品だが、音楽的にはよくできている」という、ごく簡潔な紹介で済まされている。とはいえ、作曲の背景については少々乱暴なまとめ方をしていると思うものの、肝心の音楽的な特徴については簡潔ながらも的をはずしていないのはさすが。もっとも、この本に楽曲分析やショスタコーヴィチ論を求めるのは全くもって的外れなのだが。 |
梅津紀雄:ショスタコーヴィチ 揺れる作曲家像と作品解釈 |
交響曲を中心とした主要作品を軸に、ショスタコーヴィチの生涯の要点を簡潔にまとめた好著。特にショスタコーヴィチをあまりよく知らない読者にとっては、手軽かつ便利な一冊であろう。 |
瓜生忠夫:ソヴィエト映画 |
主に40年代のソ連映画について詳しくまとめられている。ショスタコーヴィチが関わった映画も数多く取り上げられている。スチール写真が多数収められていることも貴重だが、各々の映画についてかなり突っ込んだ評論がなされているのが素晴らしい。もちろん、かなり強烈な“左翼臭”を感じるが、それでも十分に価値のある文献である。 |
海老澤 敏 (監修):プロコフィエフ/ショスタコーヴィチ (CDマガジン グレート・コンポーザー48) |
隔週刊のCD付きで作曲家を紹介するシリーズの一冊。当然のことながら、内容は薄い。しかも付録の演奏はアシケナージ指揮の第5交響曲。ただ、見るに耐えない間違い等はないので、害はないだろう。 |
ショスタコーヴィチ (CDマガジン クラシック・コレクション104) |
グレート・コンポーザーシリーズとの関連や、誰が責任を持って監修しているのかが全く分からないが、交響曲第2番とチェロ協奏曲第1番という意図不明の選曲がなされている。これを手にしてもショスタコーヴィチのことはよく分からないどころか、人によっては時代錯誤のイデオロギー的な側面ばかりが目について敬遠してしまう恐れもあるだろう。 |
ショスタコーヴィチ/ハチャトゥリアン (CDつきマガジン クラシック・イン49) |
当たり障りのない内容。この手のものとしてはそう悪くないだろう。付録CDの内容は、交響曲第5番(ムーティ指揮)、ステージ・オーケストラのための組曲より「第2ワルツ」(M. ヤーンソンス指揮)、ハチャトゥリャーン:バレエ「ガヤネ」より「剣の舞」(テミルカーノフ指揮)。 |
音楽之友社編:ショスタコーヴィチ (作曲家別名曲解説ライブラリー15) |
かつて「最新名曲解説全集」に収められていたショスタコーヴィチの作品解説をまとめたもの。新たに追加されたり改訂されたりした曲目もある。巻末の日本初演一覧はなかなか興味深い。名曲解説全集にはなかった写真類が追加されているのも嬉しい。譜例が充実しているので、CD等の解説だけでは不満足な場合、役に立つ本と言えよう。 |
鹿島保夫・江川 卓編訳:ソヴェト藝術論爭 |
雪解け期を代表するハチャトゥリャーンの論文「創作上の大胆さとインスピレーションについて」が収録。 |
片山杜秀:音盤考現学(片山杜秀の本 1)/音盤博物誌(片山杜秀の本 2) |
『レコード芸術』誌の連載記事「傑作!?問題作!?」をまとめたもの。まさに博覧強記と形容する以外にない著者の真骨頂と言って過言でないだろう。とにかく面白い。話の切り口も面白ければ、主張そのものも面白い。ショスタコーヴィチそのものに対する言及はほとんどないが、凡庸なソ連体制論を読むよりはよほど、ショスタコーヴィチの音楽の背景にあるもの、そしてその価値について多様な知見を与えてくれる。 |
加藤 潔:偉大なる音楽家 回想のダビッド・オイストラフ |
日本のヴァイオリン指導者である著者とオーイストラフとの対談集。ごくわずかだが、ヴァイオリン協奏曲第1番について言及されている他、ショスタコーヴィチの名前が登場している。 |
亀山郁夫:ロシア・アヴァンギャルド (岩波新書) |
歌劇『鼻』前後の、ショスタコーヴィチが前衛的な作風を示した時期のロシア芸術の流れをまとめた本。絵画や演劇、映画などとの関わりが分かりやすくまとめられている。 |
亀山郁夫:磔のロシア |
スターリン時代に生きた芸術家達についての論文集。中に、ショスタコーヴィチに関する一章が設けられている。歴史的背景の記述もしっかりされているため、やや雑駁な印象はあるものの、大胆な仮説も交えて興味深く読むことができる。 |
亀山郁夫:熱狂とユーフォリア スターリン学のための序章 |
本書は書き下ろしではなく、様々な場で発表されてきた文章をまとめたもの。にもかかわらず、単なるアンソロジーではなく一冊の本としてまとまった仕上がりになっているのは、著者の一貫した関心・視点のゆえだろう。ショスタコーヴィチに割かれた紙数は決して多くはないが、体制との関わりに関する独自の語り口が面白い。 |
亀山郁夫:大審問官スターリン |
『磔のロシア』、『熱狂とユーフォリア』に続く、スターリンと芸術家達を主題にした書物。ここでは、スターリンが主人公として前面に押し出されているため、太い一本の筋が通っていて読み応えがある。個々の芸術家への言及内容や、スターリンと芸術家達との関わりについては、基本的な部分においては前著から一貫している。 |
亀山郁夫:悲劇のロシア ドストエフスキーからショスタコーヴィチへ |
NHKの教養・情報番組「知るを楽しむ」の月曜日枠(「この人この世界」)で、2〜3月に放送された「悲劇のロシア」(全8回)のテキスト。講師は亀山郁夫氏で、最終回がショスタコーヴィチを取り上げた内容となっている。中期の有名曲の引用を題材に、スターリン圧政下の二重言語をテーマとしている。 |
亀山郁夫:チャイコフスキーがなぜか好き |
帯には、「ラ・フォル・ジュネ・オ・ジャポン2012オフィシャルBOOK」と記されている。古代ルーシに遡ってロシアの歴史を辿り、正教をはじめとする民族的背景に思いを馳せながら、グリーンカ以降のいわゆる「ロシア音楽」を主要な作曲家の有名曲をエッセイ風にスケッチすることでその全体像を描こうとする、その構成には大いに共感するものがある。取り上げている作曲家の選択は、ごく一般的なもの。項目立てはされていないが本文中に言及されている名前まで含めれば、ロシア音楽入門として網羅すべきところに不足はない。ただし、個々の記述は、あくまでも著者の私的な体験に基づくものなので、いわゆる作曲家の伝記であったり有名曲の楽曲解説のようなものを期待してはならない。ショスタコーヴィチ以降の作曲家について、それなりの紙数を割いていることも、本書の大きな特色と言える。 |
亀山郁夫:ショスタコーヴィチ 引き裂かれた栄光 |
『歴史的な文脈を抜きにショスタコーヴィチの音楽を語ることが可能か、という問いそのものが成立しない……』(P.13)というスタンスが徹底された、亀山氏によるショスタコーヴィチ論の集大成。ロシア・アヴァンギャルドに対する広範な知見が光るショスタコーヴィチ初期の論述が面白い一方で、中期のスターリンとの絡みは、熱のこもった緻密な筆致ながらも、亀山先生の著作をこれまで追ってきた読者にとっては目新しさはない。共産党入党やサハロフ非難署名などの「よくわからない」エピソードに果敢に取り組んだ後期〜晩年の記述は、どの評伝でもそう深く扱われていないトピックだけに、著者の意欲が窺われる。 |
河島みどり:ムラヴィンスキーと私 |
ファミーンの評伝に比べると情報の詳細度や確度に劣るといえなくもないが、ムラヴィーンスキイ夫妻と親しく付き合ってきた筆者でなければ書くことのできないエピソードや視点が満載の名著である。同じ共産党でも、レニングラードとモスクワとで態度が違ったりすることなど、同時代をソ連で生きた人々には当たり前のことだったのかもしれないが、まさに目から鱗。ショスタコーヴィチとの書簡や日記など、日本ムラヴィンスキー協会の会報で目にしていた資料も少なくないが、意味深く選択かつ整理されていて、人間ムラヴィーンスキイを見事に描き出している。いくつかのDVDなどで見ることのできるムラヴィーンスキイ自身へのインタビューのような高度な芸術論はないが、むしろそこにこそこの本の意義があるとも言うことができるだろう。 |
許 光俊・鈴木淳史・梅田浩一(編著):クラシック反入門 |
交響曲第7番、弦楽四重奏曲第15番、歌劇「ムツェンスク郡のマクベス夫人」の3作品が取り上げられている。 |
工藤庸介:ショスタコーヴィチ全作品解読 |
ショスタコーヴィチの全作品(初期の習作や未出版の編曲作品のごく一部をのぞく)について、その内容や成立背景について概説し、各曲の「推薦盤」を紹介する「ショスタコーヴィチ入門」書。 |
近藤健児・木下 淳・田畑休八・鈴木晃志郎・鮫島奈津子:クラシックCD異稿・編曲のよろこび |
多岐に渡る編曲の存在、といった事項に焦点を絞った企画は面白い。ただ、全体に読み辛いのが決定的な短所だろう。データ部分のレイアウトなどを工夫するだけで、もう少し見やすくなると思うのだが。ショスタコーヴィチの項は、鮫島奈津子氏の執筆。原曲のジャンルごとに分類した構成は、ごくオーソドックスなものだが、せっかく最初に異稿・編曲のパターン分けをしているのだから、それに従った構成の仕方もあっただろうと思う。結果として、総花的な羅列に終始したのは残念。また、交響曲の版については一切の言及がないのも物足りない。個々の記述については、この本の対象とする読者層などを考えるならば、まずは妥当なところといえるだろう。ただ、データに間違いがあるのが非常に残念。例えば、交響曲第15番のデレヴャンコ版の演奏者がバルシャーイ/ヨーロッパCOになっていたりするのは、確かにカップリングの都合で逆にうまく見つかるのかもしれないが、全体の情報に対する信頼を落としかねない。また、同じ202ページの「このほかにも、リトアニアCOを率いるソンデツキスが……」という段落は、おそらく弦楽四重奏曲第8番の編曲版に対する記述だろうから、これは単なる版組のミスか。 |
実相寺昭雄:チェレスタは星のまたたき [世紀末のクラシックと劇空間] |
「音楽現代」誌への連載記事等をまとめたもの。ショスタコーヴィチにまつわる文章がある。連載時には毎回写真が掲載されていたのだが、単行本化にあたって全て削除されているのが残念だ。ちなみに、タイトルは交響曲第15番終楽章のコーダを想起してつけられたとのこと。 |
園部四郎:ロシア・ソビエト音楽史話 |
基本的に体制の御用作曲家としてのショスタコーヴィチ像に基づいた記述ではあるが、本全体に占めるショスタコーヴィチの割合が大きく、興味深く読むことができる。ただし、当時としては仕方のないことではあるが一部不正確な記述があったり、作品解釈に疑問のある記述などもある。生前ショスタコーヴィチがどのように受容・評価されていたのかを知るのには格好の資料といえるだろう。ただ、この本はショスタコーヴィチ以外の現代ソ連の作曲家についての記述が多く、そこにより大きな価値がある。 |
千葉 潤:ショスタコーヴィチ |
コンパクトな見た目とは裏腹に、非常に密度の高い内容を持つ一冊。主として評伝と作品解説の二部から構成されているが、評伝部分の方にやや力が入れられているように感じられる。体制との関わりについても、比較的思い切り良く踏み込んで独自の見解を示している。単なる“反体制”ではないショスタコーヴィチの複雑な姿を描こうという意図はよく伝わるが、特に作品解説において“反体制”ぶりが強調されがちな気もする。いずれにしても、現時点の日本でのショスタコーヴィチ受容のあり方を示す内容であり、盛りだくさんであるがゆえに読み辛い部分が無きにしも非ずだが、愛好家ならば手元においておきたい。 |
中川右介・安田 寛:ショスタコーヴィチ評盤記 |
2005〜6年にリリースされたショスタコーヴィチ作品の音盤約120タイトルについて、著者2人の対談を収録したもの。『クラシックジャーナル』誌に連載された記事をまとめたものだが、一部加筆・修正あり。音盤ガイドとしては、年が経てばそれほど有用ではないだろうが、自由に論じられた聴き方そのものは参考になるだろう。 |
中川右介・安田 寛:ショスタコーヴィチ評盤記 II |
前著の続編にして完結編。 |
中川右介:聴いておきたいクラシック音楽50の名曲 |
交響曲第5番と第9番が取り上げられている。簡潔な楽曲解説としては、妥当なところ。 |
中川右介:未完成 大作曲家たちの「謎」を読み解く |
6曲の有名な未完成作品を題材に、それぞれの成立や初演等にまつわる「謎」に迫ろうという内容。その一つとして、「オランゴ」が取り上げられている。帯には「芸術作品における完成とはなにか?」「音楽史ミステリ」とあるが、著者の書き振りはむしろ淡々としており、煽り文句から想像されるトンデモな自説の開陳の類とは無縁である。「オランゴ」について日本語で読める、現時点でほぼ唯一のまとまった文章である(他には、国内盤CDの解説くらい)。 |
西村雄一郎:シネマ・ミーツ・クラシック 94人の大作曲家が書いた映画音楽 |
ショスタコーヴィチについて一項設けられているが、ショスタコーヴィチが音楽をつけた映画ではなく、ショスタコーヴィチの音楽が使われた映画についての記述が多く、しかも、やや中途半端なショスタコーヴィチ論ばかりが繰り広げられているのが残念。 |
日本・ロシア音楽家協会(編):ロシア音楽事典 |
ロシア音楽に関連する事項を網羅的に取り上げた、何かと便利な事典。比較的有名な作品までもが項目となっている。記述については詳細度や正確さにやや散らばりがあるものの、まずは手元に置いて損はないだろう。 |
ひのまどか:戦火のシンフォニー レニングラード封鎖345日目の真実 |
交響曲第7番のレニングラード初演に至る顛末を、初演に携わったオーケストラ(現サンクト・ペテルブルク交響楽団)や指揮者のエリアスベルクをはじめとする音楽家達に焦点を絞って記述した労作である。封鎖の軍事的な経緯や歴史的観点からの叙述は最小限で、それもソ連の資料を中心にまとめられているだけに、レニングラード包囲戦におけるソ連側の不手際などはほとんど描かれていない。これまで日本ではまとまった形で紹介されることのなかった封鎖下の音楽事情について残された記録を丹念に辿りつつも、突如として戦争にまきこまれたレニングラードのオーケストラが苛烈な状況下で第7交響曲の演奏を果たすまでのストーリーには著者の主観的な思い入れが多分に反映されている。 |
堀内敬三・村田武雄・野呂信次郎(監修):ショスタコーヴィチ (世界大音楽全集24) |
LP2枚付きの名曲全集の1冊。井上頼豊氏による簡単な伝記と収録曲である交響曲第5番と森の歌の解説、ショスタコーヴィチの年表が掲載されている。出版年からも分かるように、当時ショスタコーヴィチはまだ存命中であり、伝記は「忠誠」や映画音楽「リア王」までの記述となっているが、井上氏の伝記の続編と見なしても良く、なかなか参考になる。 |
水野忠夫:ロシア文化ノート |
『証言』の訳者でもある著者が、1987年以降に発表した各種の文章を集めたもの。ロシア文学、演劇、映画について扱ったものが主であるが、数編はロシア音楽についてのものであり、その半数近くがショスタコーヴィチを主要主題として取り上げている。描かれているショスタコーヴィチ像には、今となっては古くさい部分もあるが、ロシア文化に対する広範な知識と愛情をもって展開される論述には、独自の魅力がある。 |
諸井 誠:音楽の現代史 (岩波新書) |
「戦間期における現代オペラの諸傾向」という章で、歌劇『ムツェンスク郡のマクベス夫人』作品29が取り上げられている。ストーリーや改訂による相違点などを簡単に知りたい時に便利。内容はロストロポーヴィチ盤のライナーノーツに基づいたものだが、この本が出版された時には廃盤であったことを考えると、この作品が取り上げられている意義は大きいといえよう。 |
山田和夫:ロシア・ソビエト映画史―エイゼンシュテインからソクーロフへ |
ロシア・ソビエトの映画史を俯瞰するような著作はなかなかないだけに、非常に貴重な文献。各作品についての詳細な解説はほとんどないが、ショスタコーヴィチが関わった映画作品のいくつかについても述べられている。中では「ベルリン陥落」について、比較的多くの紙面が割かれている。 |
矢野 暢:20世紀の音楽 意味空間の政治学 |
本の約半分がショスタコーヴィチに関する記述である。ソ連という国家と芸術家との関わり、といった視点からの見解が述べられているが、『証言』を全面的に信用しているため(当時としては仕方のなかったことではあるが)筆者の論調もヴォールコフとほぼ同じものとなっている。見方を変えれば、ショスタコーヴィチに対する興味を喚起するには良い本かもしれない。ただ、第14交響曲の副題(そもそもショスタコーヴィチ自身は副題など付けていなかった)についての意見など、もっともらしいがその実信用するに足らないことも多い。 |
吉松 隆:世紀末音楽ノオト |
作曲家の吉松隆が、あちこちの音楽雑誌等に書いた原稿を集めたもの。ショスタコーヴィチについては、196〜219ページに「ショスタコーヴィチ四題」として4つのエッセイが収録されている。基本的に『証言』を信用しながら、ユダヤとかフリーメイソンとかスターリンとか怪しげな暗号を曲の中に見つけ出していくというスタイルでどの文章も書かれている。現代音楽に対する罵りに満ちた最近の彼の文章に比べ、まだウィットもあり楽しく読むことができる。 |
吉松 隆:クラシック音楽は「ミステリー」である |
著者のブログ「月刊クラシック音楽探偵事務所」のエントリーに加筆・再構成したもの。第2章で、ショスタコーヴィチの第10交響曲をリストのファウスト交響曲のアナロジーとして分析している。今では常識になった第3楽章の音名象徴の話など、なるほどと思うところもあるものの、第1楽章=ファウスト、第2楽章=メフィストフェレス、第3楽章=グレートヒェンと来て、第4楽章は?という肝心なところが欠落しているのが残念。 |
米原万里:ロシアは今日も荒れ模様 |
ロシア語通訳者である著者が、数々のロシア人著名人との会話を通して知った抱腹絶倒のエピソード集。第1章の中に、ショスタコーヴィチに関する非常に面白いエピソードが載っている。是非ご一読を。(日本経済新聞社の出版案内の紹介記事) |
留守key:スラーヴァ!ロシア音楽物語:グリンカからショスタコーヴィチへ |
6人のロシア人作曲家を取り上げ、それぞれの人生や音楽を象徴するようなエピソードを元に、多少の脚色を交えて創作された漫画。ショスタコーヴィチについては交響曲第5番の作曲・初演について描かれている。 |
渡辺和彦:クラシック辛口ノート |
「マーラーとショスタコーヴィチ」という章の中で、92〜117ページに渡って2つの文章が収録されている。どちらも書き下ろしではなく、別のところで発表したものに手を加えたものである。著者は社会主義体制が作曲家に及ぼした影響を最重要視し、ショスタコーヴィチの創造活動を全てその体制との絡みの中で捉えようとしている。非常に説得力のある文章ではあるが、これからショスタコーヴィチの音楽を聴こうとする人にとっては変な先入観を与えてしまうかもしれない。 |
ショスタコーヴィチ大研究 |
現在日本語で出ている本の中では、最も内容の充実したもの。ショスタコ初心者にも熱烈なファンにも薦められる。特に巻末のディスコグラフィーと文献リストは充実しており(間違いも多いが…)、手元に置いておいて損はない。最初の評伝部分は、ヘーントヴァの伝記からの抜粋。楽曲解説に関しては、簡単なガイドといった感じで、やや手抜きの感は否めない。読み物については、執筆者によって中身の濃さに差があるものの、大体において興味深く読むことができる。間違いを添削するようなつもりで読み込むのも面白いかも。 |
アードイン, J.:ゲルギエフとサンクトペテルブルグの奇蹟 |
ゲールギエフがキーロフ劇場のポストに着任してからの出来事を中心に、劇場の歴史を辿っていく構成。ショスタコーヴィチ関連の記述は、ゲールギエフが振った「ムツェンスク郡のマクベス夫人」についてのみ。 |
アールドフ, M.:わが父ショスタコーヴィチ―初めて語られる大作曲家の素顔 |
ガリーナとマクシームの二人が語った、ショスタコーヴィチの思い出を編集した読み物。生活感あふれるショスタコーヴィチの姿が微笑ましい。音楽作品についてはごく限られたものしか触れられていないが、素顔のショスタコーヴィチがどんな毎日を送っていたのかが子供の視点から率直に語られているだけに、大変興味深い一冊に仕上がっている。珍しい写真も何点か掲載されているのも嬉しい。 |
イヴァシキン, A.:シュニトケとの対話 |
チェリストの著者とシニートケとの対談集。当然シニートケ自身の話が中心だが、ショスタコーヴィチに対する彼の見解が比較的多く掲載されていて、なかなか興味深い。ポスト・ショスタコーヴィチの世代がどのように彼の音楽を受容し、何を受け継いだのか。シニートケの作品になじみのない読者にもお薦め。 |
イヴァシキン, A.:ロストロポーヴィチ |
2007年に逝去されたロストロポーヴィチ追悼の一冊。当然ながら徹頭徹尾ロストロポーヴィチ讃美に終始する内容だが、体制との軋轢云々の部分よりも、音楽家としての軌跡やエピソードが非常に面白く、彼が20世紀を代表する天才の一人であったことを改めて認識させてくれる。ほんの数行の記述ではあるが、ショスタコーヴィチのヴィオラ・ソナタが当初はチェロ・ソナタとして構想されていたこと、終楽章のコーダにR. シュトラウスの「ドン・キホーテ」からの引用があり、スケッチの当該部分に「スラーヴァによろしく」とショスタコーヴィチ自身が書き込んでいたことが書いてある。これはヤクーボフ氏によって明らかにされたことだが、日本語の出版物に記されたのは、この本が最初となる。 |
ヴィシネフスカヤ, G.:ガリーナ自伝 ロシア物語 |
ショスタコーヴィチ作品の初演にも関わったことのあるソプラノ歌手、ヴィシネーフスカヤのソヴィエト時代の回想録。第3部以降にショスタコーヴィチとの想い出が出てくる。『風刺』のラジオ収録の話とか、『カテリーナ・イズマーイロヴァ』の再演に関わる話など非常に面白い。ショスタコーヴィチの身近にいた人物の証言として、第一級の価値を持つものだろう。ただし、交響曲第14番の初演に関する記述に対して指揮者のバルシャーイが若干異義を唱えていたり、交響曲第13番の初演についてコンドラシンが述べているものと食い違う部分があるなど、全てを信頼してしまうのには問題があるようだ。ロストロポーヴィチ夫妻は『証言』を認めていないが、証言と対にして読むと面白さが増す。 |
ウィルソン, E.:ロストロポーヴィチ伝 ―巨匠が語る音楽の教え、演奏家の魂 |
本書の最大の魅力は、主にレッスンを通して著者自身が見聞きしたロストロポーヴィチの言葉の数々にある。いずれの言葉も、音楽を音楽以外の事象と結び付けて捉えるロシアの楽曲解釈の伝統を最良の形で示すだけでなく、人の生き方に対するロストロポーヴィチの信念が込められた含蓄のあるものばかり。音楽に関する記述の内容を即座に理解できるようなコアなファンでなくても、十分に面白く読むことができるだろう。 |
ヴォイニッチ, E.:あぶ |
映画「馬あぶ」の原作。 |
ヴォズネセーンスキイ, A.:藝術の青春 |
自伝的小説が2篇収録されているが、『O』という作品の中に、ミケランジェロの詩による組曲作品145のロシア語訳詞を依頼されたが、結局採用されなかったというエピソードが出てくる。 |
ヴォルコフ, S. (編):ショスタコーヴィチの証言 |
言わずと知れた80年代以降のショスタコーヴィチ再評価のきっかけとなった本。これが“ショスタコーヴィチの”証言であるかどうかという点については、今や完全に「偽書」であるとの決着がついたようであるが、当時のソ連社会をショスタコーヴィチの名を借りて語った本として読めば依然として面白い本であるには違いない。当然、書かれているエピソードの中で確実に裏の取れないものは、単なる噂として楽しむべきである。 |
ヴォルコフ, S.:ショスタコーヴィチとスターリン |
2004年に出版された書籍の邦訳。ロシア=ソ連における体制と芸術、具体的には文学と音楽との関係を、ニコラーイ1世の時代とスターリンの時代とを比較対照しながら一種の文化史的な論述が繰り広げられている。その文脈の中で、ショスタコーヴィチには「聖愚者」「僭称者」「年代記作家」という3つの“仮面”があるとし、プラウダ批判前後とジダーノフ批判前後を中心にスターリンとの関わりの中で、その各側面について論考している。『証言』の序文(日本語訳には含まれない)で提起された「ショスタコーヴィチ=聖愚者論」については、ロシアの文化に通暁している著者だけに、広範な背景の下に論理が展開されていて面白い。さりげなく文中で『証言』の意義や正当性を主張しているのには苦笑してしまうが、『証言』とは異なる第三者的な視点で事実関係が整理されているので、ショスタコーヴィチが描いた時代がどのようなものであったのかについても、大いに得るところがある。ただ、「僭称者」の意味するところは今一つよくわからない。 |
カバレーフスキイ, D.:カバレーフスキイ・こどもに音楽を語る |
カバレーフスキイが熱心に取り組んだ子供のための音楽教育活動について、自身が書き記したもの。子供か大人かを問わず、専門的な話を広く大衆に伝えることには大小の困難が伴うものだが、本書は特にその点について示唆的な記述に富んでいる。もちろん音楽についての話題もその切り口が面白かったりするのだが、全391ページに及ぶ分量を通して読むと、正直なところ、少し飽きる。それよりも、ごくわずかではあるが自作についての言及もあり、カバレーフスキイについての貴重な日本語の情報源としての価値が上回るだろう。 |
ガルドン, G.:エミール・ギレリス もうひとつのロシア・ピアニズム |
原著にはないディスコグラフィ(浅里公三氏作成)が付録として収められているのも嬉しい。マニア的視点でどれほど“完璧”なのかは分からないが、ギレリスに関心を持つ愛好家が参考にするのに十分過ぎる資料であることは間違いない。 各章はそれぞれに何らかのテーマでまとめられており、その関係で編年体の記述と言うにはエピソードの時系列が前後している箇所が多い。また、イザイ(現エリザベート王妃)国際コンクールでの優勝(第16章)に至るまでの記述の詳細度に比べると、それ以降はエピソードや演奏に対する評論等の選択の仕方が少々散漫に感じられる。レコーディングについての記述がほとんどないのは、レコードでしかギレリスを知り得ない時期の長かった西側の読者としては、いくらかでも言及が欲しかったところである。その点で、原著にはないディスコグラフィ(浅里公三氏作成)が付録として収められているのは嬉しい。ただ、本書の全編を通じて「ネイガウス教授との確執」「リヒテルに比べて不当に不遇であった」という2点が必要以上に強調されているのは、せっかくの記述の客観性を損ないかねないばかりか、著者のギレリスに対する思い入れが執拗な恨み節にすり替わってしまうことで本書の風格をも損なっており、本書の意義と価値を高く評価するだけに、極めて残念である。 |
カレートニコフ, N.:モスクワの前衛音楽家 |
ショスタコーヴィチの名前が頻出するわけではないが、いくつかのエピソードの中に、ショスタコーヴィチの謎めいた人間性が見事に描出されている。 |
クズネツォーフ, A.:バービイ・ヤール |
バービイ・ヤールの悲劇を間近で体験した著者のノン・フィクション小説。交響曲第13番に直接関わる記述等はないが、バービイ・ヤールで何があったのか、リアリスティックな筆致が圧倒的な迫力で訴えかけてくる。 |
グリゴーリエフ, L.・プラテーク, Ja. (編):ショスタコーヴィチ自伝 時代と自身を語る |
『証言』に対抗してソ連で出版された、生前のショスタコーヴィチの公式発言を集めたもの。『証言』と見比べると共通する話も多い。大戦中の発言などにはあまり音楽と関係のないアジ演説のような文章も見ることができるが、『ガリーナ自伝』の記述等を思い起こすと興味深く読むことができる。“…”という形で表されている省略部分に何が書かれていたのか推測しながら読むのもまた一興か。 |
グリゴローヴィチ, V. S.:ショスタコーヴィチ&ムラヴィンスキー 時間の終わりに |
ショスタコーヴィチとムラヴィンスキーの写真集。両者とも晩年の写真ばかりだが、音楽に全てを捧げている二人の姿はたまらなく感動的である。ショスタコーヴィチの葬儀の写真など、他では見ることのできないものも含まれている。 |
クルイロフ, I. A.:完訳 クルイロフ寓話集 |
『クルィローフの2つの寓話 作品4』の原作となった「とんぼと蟻」「驢馬と鶯」が収録。 |
ゴーゴリ, N. V.:外套・鼻 |
歌劇「鼻」作品15の原作が収録。 |
コスモデミヤンスカヤ, L.:ゾーヤとシューラ |
映画「ゾーヤ」の主人公ゾーヤ・コスモデミヤンスカヤとその弟シューラ・コスモデミヤンスキイの短い生涯を、彼らの母親が綴った作品。大祖国戦争初期におけるゾーヤの英雄的な死はソ連人民の戦意を鼓舞し、戦争末期の1944年には「ゾーヤ」という映画が公開されるに至った。この小説は映画の原作ではないが、母親の愛情溢れる筆致は読み手の心を打つ。なお、この小説には新旧の版があり、新版では“スターリン”という語句がことごとく削除されている(他にも若干の変更個所あり)。 |
サドゥール, G.:世界映画史1 第二版 |
映画史を扱った文献は数多くあるが、ソ連をはじめとする東欧諸国の映画にも詳細に踏み込んだ邦語文献はほとんどない。その意味でも、非常に貴重な文献。全ての映画を見ているわけではないので批評の妥当性についてはコメントできないが、資料的な価値は極めて高い。 |
サミュエル, C.:ロシア・音楽・自由 |
ロストロポーヴィチ、ヴィシネーフスカヤ夫妻へのインタビューから構成されている。体制との関わりを含め、いつもながらの彼らの自己主張の強い、興味深い話が満載である。ショスタコーヴィチとの思い出話も多く、見逃すわけにはいかない一冊。 |
ジダーノフ, A.:党と文化問題 |
いわゆるジダーノフ批判の発端となった1948年の中央委員会ソヴェト音楽家会議での演説2本が収録されている。内1本は井上著『ショスタコーヴィッチ』にも収録されており、この批判に対するショスタコーヴィチ本人の発言は『自伝』に収められている。“(場内爆笑)”とか“嵐のような拍手”のようなことが書いてあるのも、臨場感があって楽しい。 |
ジョーンズ, M.:レニングラード封鎖 飢餓と非情の都市1941−44 |
交響曲のレニングラード初演について一章(第9章「交響曲第七番」)が割かれている。そもそもが音楽書ではないのでショスタコーヴィチに関する記述に見るべきものはないが、必ずしも分かりやすい音楽とはいえないこの交響曲が極限状況下の聴衆および演奏者の心を揺り動かした様は真に感動的である。 |
ジョンソン, S.:音楽は絶望に寄り添う ショスタコーヴィチはなぜ人の心を救うのか |
ショーンバーグ, H. C.:大作曲家の生涯(下) |
「ソビエト体制下で」という副題の元で、プロコーフィエフとショスタコーヴィチを同一の章で論じている。223〜244ページが該当する部分。著者はプロコとショスタコに対していわゆる“現代らしさ”を求めているため、特にプラウダ批判以降のショスタコについては辛辣な評価を下している。「ソビエトの芸術思想と政治思想に本格的変化が生まれ、再編成が行なわれない限り、この国から不朽の音楽が創り出される可能性はないであろう。」という結論は、この本が書かれた時代背景等を考慮すれば納得できるものの、13番交響曲を「社会主義リアリズム音楽であり、宣伝ポスター音楽の典型」と述べているのは、彼が「ショスタコーヴィチの音楽」ではなく「ソビエト体制下の音楽」を論じたかったということに他ならないと考えられる。 |
スヴェトラーノフ, E. F.:エフゲニー・スヴェトラーノフ ロシヤの巨匠が語る作曲・指揮・人生 |
編訳者の松岡氏による自費出版。入手方法はエフゲニー・スヴェトラーノフのページを参照頂きたい。内容はスヴェトラーノフの60歳時の自伝だが、ショスタコーヴィチに関する記述も(多くはないが)含まれている。 |
ゾールカヤ, N.:ソヴェート映画史 七つの時代 |
まず、読み物として大変面白いことに感心する。ショスタコーヴィチが音楽を担当した映画はわずかしか取り上げられていないが、社会主義体制下での映画界の成果が流れるような筆致で見事に描かれている。特に紙数を割いている作品などは、是非観てみたいという欲求を抑えきれない。巻末には、1927年以降に日本で公開されたソヴィエト映画がリストアップされているのも嬉しい。 |
ソレルチンスキイ, D. & L.:ショスタコーヴィチの生涯 |
ショスタコーヴィチの親友だったソレルティーンスキイの息子夫妻が著者である。ソレルティーンスキイ宛の書簡が引用されているのが特徴的で、大戦前までの部分に他には見られないことが書かれていたりする。基本的には当時の公式見解を出ることはないが、ことさらにショスタコーヴィチの英雄的な側面を押し出すこともなく、全体にインティメートな雰囲気が漂っている。 |
タシー, G.:ムラヴィンスキー 高貴なる指揮者 |
面白いエピソードに満ちているが、訳者自身が「訳者あとがき」で示唆しているように、個々の記述の信頼度があまり高くない点に問題がある。様々な文献からの引用が多く、もちろんそれらの引用元も明記されているのだが、何をどのように引用し、それらをどう関連付けてどのような解釈を行っているのかが、全文を通して明確ではない。したがって、ある熱烈なファンが彼のアイドルであるムラヴィーンスキイに関するものを手広く蒐集し、それを年代順に並べて披露している、といった感が強くなってしまい、評伝的な体裁をとりながらも、対象であるムラヴィーンスキイの人物像や評伝を貫くストーリーがない、極言すればゴシップ集に近いものとなっているように感じられる。 |
チェーホフ, A. P.:チェーホフ全集第7巻 |
ショスタコーヴィチが補筆した、フレイシマンの歌劇「ロスチャイルドのヴァイオリン」の原作が収録。 |
焦 元溥:ピアニストが語る! 現代の世界的ピアニストたちとの対話 |
現代を代表する14人の世界的なピアニストに対するインタビュー集。どの演奏家も、ピアノ演奏の技術のみならず、音楽全般に対する深い見識を有していることに圧倒される。特にロシア・ピアノ楽派については著者が強く関心を寄せていることもあり、各人による興味深い見解を読むことができる。ショスタコーヴィチに関するエピソードや言及は、クライネフの章に大半が集中している。 |
ツイピン, G.:ソビエトの名ピアニスト―ソフロニツキーからキーシンまで― |
1982年に刊行された原著では26名が取り上げられているが、邦訳では日本での知名度を考慮して21名に絞っているとのこと。省略された5名がどのような顔ぶれだったのか、気になるところ。各人の演奏様式についての的確な評だけではなく、H. ネイガウスをはじめとする名教師達の指導についても十分に紙数が割かれていて、大変興味深い。ピアニスト・ショスタコーヴィチについての記述はなく、演奏家達のレパートリーの一部としてショスタコーヴィチの名が散見されるのみ。 |
ハガロヴァ, D.:ユーリー・テミルカーノフ モノローグ |
第3部の中にショスタコーヴィチの項がある他、実質的に演奏禁止状態であった最中に交響曲第13番を演奏したエピソードが紹介されているが、とりたてて目新しい事実や見解はない。 |
バクスト, J.:ロシア・ソヴィエト音楽史 |
古代ルーシ国家の成立まで遡ってソ連時代の途中まで一通り触れられているという点で、個々の記述には古臭さがあるものの、ロシア音楽史の概要を手軽に知ることのできる一冊である。社会主義リアリズムの思想についても紙数を割いて論じられている。ただ、著者がどの程度ソ連共産党の理論を理解し、共感しているかはよくわからない。ソ連のオペラについて論じられた最終章は、聴いたことのない作品や作曲家の名前が目白押しで、非常に興味深い。 |
バシュメット, Y.:バシュメット/夢の駅 |
行間から音楽が自然に流れ出してくるような落ち着いた雰囲気がとても音楽的。多くの名演奏家達との様々な交流は、ヴィオラ奏者という微妙なポジションであるがゆえの特権だろうか。繰り返し読むに耐え得る興味深いエピソードが満載。特に、ヴィオラ・ソナタのくだりは、読みながら背筋がぞくぞくする。 |
バリリエ, É.:「亡命」の音楽文化誌 |
「モンド・ヌーヴォー 新しい世界へ」をテーマとして行われた、ラ・フォル・ジュルネ音楽祭2018の日仏共通オフィシャルブック。「亡命」というキーワードで、これだけ広範な作曲家とその作品を網羅していることに、軽く圧倒される。ショスタコーヴィチについては第10章で論じられるが、著者の言う「精神的亡命」の概念は、率直に言ってピンと来ない。心身共にロシアの地を離れることができなかったことがショスタコーヴィチの悲劇であると同時に、彼を彼たらしめているのだから、ショスタコーヴィチを「亡命者」として論じるのには違和感がある。また、「ブロークの詩による7つの歌曲」を特に取り上げているのも、ヴァーインベルグの話題へ繋ぐための牽強付会のような印象を拭うことができない。 |
パロット, J.:アシュケナージ 自由への旅 |
1980年代前半までを扱った、アシケナージの評伝。当然ながら、ソ連からの亡命にまつわるいきさつが大半を占める。『ガリーナ自伝』などと共通する論調は、『証言』が大きな波紋を投げかけていた当時においては、ソ連社会に対する西側の悪印象を決定付けるに足るものだった。ショスタコーヴィチに言及している部分も少なくないが、やや主観的に過ぎるコメントが多く、当時のソ連の知識人層からショスタコーヴィチがどう評価されていたのかはよくわかるものの、客観的な史料としては確度に欠ける。 |
ヒンク, W.:ウィーン・フィル コンサートマスターの楽屋から |
ウィーンPOのコンサートマスターを務めたヒンクの音楽活動に関するインタビューを元に構成されたもの。第3章「室内楽の喜び」中に「ショスタコーヴィチとモスクワ」という一節がある。オーケストラの公演でソ連に行った際のエピソードもあるが、ウィーンQのリーダーとしてショスタコーヴィチの音楽、特に弦楽四重奏曲をどう捉えているかについて、簡単に言及されている。 |
ファーイ, L. E.:ショスタコーヴィチ ある生涯 |
詳細に事実が積み上げられた、非常に信頼できる評伝。編年体での伝記としては、日本語で読めるものの中で最も重要な文献と言うことができる。数多くの一次資料を元に極力客観的な記述がなされているため、『証言』的ショスタコーヴィチ観から読者を解放してくれるだろう。原書の註や人名リストがすべて収録されている(英語)他、索引がついているのも嬉しい。 |
ファヂェーエフ, A.:若き親衛隊 |
「若き親衛隊」作品75の原作(1951年改訂版)。 |
フォミーン, V.:評伝エヴゲニー・ムラヴィンスキー |
ムラヴィーンスキイの存命中に執筆された伝記だが、当然のことながらショスタコーヴィチに関する記述が多数出てくる。アンドロポフ政権当時の情勢を考えるとやや個人崇拝的な文章の調子は我慢せざるを得ないが、それなりに興味深い内容になっている。 |
プーシキン, A. S.:プーシキン全集第2巻 |
ショスタコーヴィチが若い頃に破棄してしまった、歌劇「ジプシー」の原作が収録。 |
プーシキン, A. S.:プーシキン全集第3巻 |
「司祭とその下男バルダの物語」作品36の原作が収録。 |
ヘーントワ, S.:驚くべきショスタコーヴィチ |
第13交響曲、女性関係、サッカーとの関わりという3つの章から成る。いずれも他の文献からは知ることのできない情報が満載されている。特に女性関係の章では少年時代からのラヴレターなどを引用したりして、遺族を激怒させたらしい。日本ショスタコーヴィチ協会会報(1996年9月)で一柳富美子氏は「国外には一切持ち出し禁止の措置が取られ、ロシア物を扱う日本の代理店でも手に入りません」と述べておられるが、どういう経緯で邦訳が出版されることになったのか、実に不思議である。 |
ヘントヴァ, S.:ロストロポーヴィチ チェロを抱えた平和の闘士 |
ロストロポーヴィチの華々しい経歴や、ソヴィエト市民権剥奪前後の事情、ペレストロイカで1990年に帰国した際の出来事などについては、多数の本や映像で知ることができるが、ソ連時代の細かな生い立ち等について第三者が客観的に記した文献は(少なくとも日本語では)なかったため、大変興味深い内容となっている。ロストロポーヴィチ夫妻が存命中であることから、彼らにとって不利な記述はほとんど見当たらないものの、ロストロポーヴィチのファンにとっては必読書といえるだろう。もっとも、1990年の歴史的な帰国については、かつてLDでリリースされていたドキュメンタリー(Sony SRLM 972[LD])をなぞっているようにしか思えないので、主としてソ連にいた頃までの内容が中心だと言えるだろう。ただ、一つだけ残念なのは、日本語訳が悪いこと。訳者がクラシック音楽に詳しくないのだろうが、とにかく人名表記がひどい。これは、きちんとチェックを行わなかった編集者の責任だろう。また、音楽的な内容に関して、何を言わんとしているのか意味をつかみきれないような訳も少なくない。なお、原著の出版時期(1993年)からすると当然だが、最近の活動についての記述はないものの、あとがき代わりにロストロポーヴィチと日本との関わりについて若干記されている(この部分はヘーントヴァによるものではない)。ロストロポーヴィチが大相撲のファンで、テレビに映った春日野理事長(当時)を見て、「オォ!トチニシキ!」と言ったエピソードには大笑い。 |
ホフマン, M.:ショスタコーヴィチ |
交響曲第12番までの記述。生涯(というか半生)を辿った部分は、ごく一般的な記述に終始している。主要作品についても一通り解説されているが、当然のことながら当時の評価と大きく異なることはない。 |
ボリソフ, Y.:リヒテルは語る 人とピアノ、芸術と夢 |
モンサンジョン著の『リヒテル』とほとんど似たような印象を受ける。個々のエピソードは異なるものの、語り口はそっくり。楽曲を具体的なイメージでストーリー立てて捉える独特の感覚は、必ずしも共感できるわけではないが、大変興味深い。 |
マース, F.:ロシア音楽史 《カマーリンスカヤ》から《バービイ・ヤール》まで |
書名の通り、グリーンカからショスタコーヴィチに至るロシア=ソ連音楽の歴史について、網羅的に記述されている。いずれの項にも最近の研究成果が反映されていて、専門書でありながらロシア=ソ連音楽の入門書としても格好の一冊ということができるだろう。特に社会主義リアリズム等のイデオロギーが音楽にどのように反映されたのかに関する考察に紙数が割かれているので、大変参考になる。巻末の年譜(梅津氏作成)も資料的価値が高く、見ているだけでも楽しい。 |
モンサンジョン, B.:リヒテル |
著者のモンサンジョンはリヒテルの伝記映画の作者であり、本書の前半部分はほぼそれと同内容。ショスタコーヴィチについて語った部分は、その音楽よりは特異な人間性に重点が置かれている。いたずらに神格化されていないため、人によって不快感を持つこともあるかもしれないが、なかなか人間臭くて面白い。本書の後半部分は、リヒテルの“音楽ノート”だが、これが大変面白い。ショスタコーヴィチ作品に対するコメントも少なからずあるが、手放しの賞賛ではなく、いかにもリヒテルらしい視点で述べられている。 |
ユレーネフ, R.:ソヴェート映画史(世界の映画作家30) |
1970頃までのソヴィエト映画について、簡潔かつ網羅的に記述された好著。日本語版独自の年表や題名索引、付録として収められた3編の論文なども、非常に有用である。 |
ラング, K.:カラヤン調書 |
第10章に、カラヤン自身による交響曲第10番へのコメントがある。また、第15章はオーイストラフへのインタビューであり、その中でも同曲について触れられている。 |
リペッリーノ, A.:マヤコフスキーとロシヤ・アヴァンギャルド演劇 |
第5章が、『南京虫』の詳しい解説になっている。劇のあら筋だけではなく、マヤコーフスキイの他の演劇との関わりや当時のロシア・アヴァンギャルドの動きなども絡めて記述されており、大変面白い。 |
レスコーフ, N. S.:真珠の首飾り 他二篇 |
「ムツェンスク郡のマクベス夫人」の原作が収録されている。2000年2月の“リクエスト復刊”で再版された。 |
ロス, A.:20世紀を語る音楽 1 & 2 |
ショスタコーヴィチについては、交響曲第4番辺りからジダーノフ批判前後に至る、いわゆるスターリン時代の記述を中心に一章が割かれている。ジダーノフ批判後のニューヨーク訪問のくだりは、興味深い。 |
СИМФОНИЯ第1号 |
特集は「ショスタコーヴィチの<ラヨーク>」である。梅津紀雄、鮫島奈津子両氏による充実した論文が掲載されている。「ラヨーク」のスコアに掲載されている序文等の和訳が何よりも嬉しい。また、ショスタコーヴィチ関連のロシア語文献目録も、貴重な資料である。なお、筆者が所有しているのは“第2版”ということで、初版にいくつかの変更が加えられているようだ。変更点は巻頭にまとめられている。 |
СИМФОНИЯ第2号 |
特集は「プロコフィエフのオペラの世界」であるが、梅津紀雄氏による「ラヨーク」関係の論文、鮫島奈津子氏によるショスタコーヴィチ関連のロシア語文献目録の続編、1991年の各種雑誌に掲載されたロシア・ソヴィエト音楽関連文献案内など、ショスタコーヴィチ関係の記事も充実している。第1号と同じく筆者が所有しているのは“第2版”だが、変更点は各記事内に明記されている。 |
СИМФОНИЯ第3号 |
鮫島奈津子氏による「ショスタコーヴィチのオペラ『鼻』をめぐって」という新連載記事、V.ラジュニコフによるコンドラシン回想録の訳文(後に同じ部分が日本ショスタコーヴィチ協会会報にも掲載された。ただし、訳者は別。)、鮫島奈津子氏によるショスタコーヴィチ関連のロシア語文献目録の続編、1991年の新聞に掲載されたロシア・ソヴィエト音楽関連文献案内、といったショスタコーヴィチ関係の記事が掲載されている。 |
СИМФОНИЯ第4号 |
鮫島奈津子氏による連載「ショスタコーヴィチのオペラ『鼻』をめぐって」、V.ラジュニコフによるコンドラシン回想録の訳文、鮫島奈津子氏によるショスタコーヴィチ関連のロシア語文献目録、の続編に加え、斎藤育雄氏の「ショスタコーヴィチ、書記の3つの作品における和声の諸相」、長井 淳氏の「『反形式主義的<ラヨーク>』―そのジャンルの問題について―風刺物語としての<ラヨーク>―(1)」、田中周一氏の「音楽の革命と革命の音楽―ショスタコーヴィチの二つの交響曲―」といった、3本の論文が掲載されている。СИМФОНИЯ誌は、編集長の梅津氏の多忙もあってか、この第4号以降休刊の状態が続いている。非常に意欲的な内容であるだけに、残念である。なお、バックナンバーの入手にあたっては、立派な論文の執筆者でもある田中周一氏にご尽力頂きました。記して深謝の意を表します。 |
Amoh, K., Yevgeni Mravinsky A Concert Listing |
日本ムラヴィンスキー協会会員の天羽氏による、ムラヴィーンスキイの演奏会記録。実に丹念な仕事で貴重な資料である。ショスタコーヴィチとの共同作業の跡を窺う上でも欠かすことはできない。改訂版はデータの追加・修正のみで大幅な変更はなく、ムラヴィンスキー&レニングラード・フィル「リハーサル&コンサート」第1集(Altus ALT114)の初回特典として配布された。 |
Amoh, K. and Forman, F., Yevgeni Mravinsky Legacy A Recording Listing |
日本ムラヴィンスキー協会会員の天羽氏による、ムラヴィーンスキイのディスコグラフィ。海賊盤などの存在で生じたデータの混乱が可能な限り整理されている。演奏会記録とともに必携の資料。改訂版はデータの追加・修正のみで大幅な変更はなく、ムラヴィンスキー&レニングラード・フィル「リハーサル&コンサート」第2集(Altus ALT127)の初回特典として配布された。 |
Berger, M., Guide to Sonatas |
ショスタコーヴィチの章に、5つのソナタ作品についての簡単な記述がある。 |
Blokker, R. and Dearling, R., The Music of Dmitri Shostakovich The Symphonies |
交響曲全15曲の解説書だが、前半には簡単な評伝が、巻末には文献紹介や音盤紹介(これは、今となっては古いのであまり役に立たない)の他に、ショスタコーヴィチと同時代の交響曲を作曲年で整理した年譜がついている。『証言』前の文献ながらも、体制との関係においてはそれに類するような記述もあるが、解説そのものはやや通り一遍のもので、精密さにも若干欠ける。 |
Fay, L. E., Shostakovich: A Life |
邦訳有り。 |
Glikman, I., Story of a friendship: the letters of Dmitry Shostakovich to Isaak Glikman, 1941-1975 |
グリークマンがショスタコーヴィチから受け取った全293通の書簡集。各書簡には、グリークマンによる詳しい註が付記されている。第一級の資料として、1990年代以降のショスタコーヴィチ研究に新たな地平を拓いた。邦訳が強く望まれる。 |
Hulme, D. C. (ed.), Dmitri Shostakovich: A Catalogue, Bibliography, and Discography, 3-ed. |
ファン必携の“ヒュームのカタログ”最新版。著者高齢のため、第4版が発行されることはないだろう。今後はブックレットのような形で追加情報が随時増補される形になるようだ。フォーマットや内容は第2版とほぼ同じ。ディスコグラフィは当然完璧ではないものの、相当量の情報を有しており、当面これを超えるデータ本は登場することがないだろう。 |
Hulme, D. C. (ed.), Dmitri Shostakovich: a Catalogue, Bibliography & Discography, 2-ed. |
ショスタコ・ファンなら必ず手元に持っていなければならない本。全作品の詳細なデータの他、ディスコグラフィーも充実している。このホームページの作品リストも、この本の記述に準じている。 |
MacDonald, I. (Revised and Updated by Clarke, R.), The New Shostakovich, New ed. |
初版(1990年)は、当時既に“偽書”と確定されつつあった『証言』を下敷きにして、「ユローディヴィ」としてソ連の国家体制と闘い続けたというショスタコーヴィチ像を提示した、話題の一冊であった。ピアニストのR. クラーク氏が改訂を行なった箇所は、未だに初版を入手していないがゆえに、具体的にどの部分なのか、さらにはどの程度の改訂が行なわれているのか、確認できていない。ただ、初版以降に発表された書籍(フェイの評伝や、ウィルソンの回想録など)に対する言及は、おそらくクラーク氏によるものだろう。 以下、初版との相違は無視して、この改訂版のみに対する印象を記す。まず、読み物としては、十分に刺激的で面白い。ショスタコーヴィチが生きた時代についても、やや一面的である感は否めないものの、きちんとした記述がなされている。ただ、いかにショスタコーヴィチの人格が形成される過程においてスターリン時代が重大かつ決定的な時期であったとはいえ、フルシチョフ以降の時期に対する論述の分量が明らかにバランスを欠いて少ない(あるいは、スターリン時代が多い)。また、取り上げられている作品も交響曲と弦楽四重奏曲が中心で、特に歌曲の扱いが過小なのも気になる。個人的に、ここで提示されているショスタコーヴィチ像には多少の違和感はあるものの、それが受け入れ難いわけではないのだが、たとえばオーウェルの『1984年』まで引き出して大げさに論を展開するほどのものではないと思う。主張の是非はともかくとして、フェイの実証的な論述に対して、ある事象に対する解釈を導く過程が主観的な飛躍を含んでいるところにも問題を感じる。初版の1990年当時ならともかく、ソ連が崩壊してから15年以上が経った現在において、この本を研究書あるいは評伝として評価するわけにはいかないだろう。 |
Malko, N., A Certain Art |
交響曲第1番の初演者マリコの回想記を、指揮者の息子ジョージがマリコの没後にまとめた「自伝」とも言える内容で、とても面白い。リャードフ、リームスキイ=コールサコフ、グラズノーフといった“歴史上の人物”と直に接したエピソードの数々に加え、ショスタコーヴィチには5つの章を割いて、その鼻持ちならない青年時代の姿を活き活きと描写している。ソレルティーンスキイについての記述もあり、ショスタコーヴィチ・ファンならば、是非とも読んでおきたい書物の一つである。 |
Moshevich, S., Dmitri Shostakovich: Pianist |
書名の通り、ピアニストとしてのショスタコーヴィチの足取りを丁寧に辿った、良著である。ショスタコーヴィチの生涯を評伝風に記述しながら、演奏活動や録音に関する出来事をクローズアップするという構成。特に録音に関しては、テンポだけではなく、ペダリングにも言及するという徹底ぶり。ピアノの技術的側面については筆者の不得意な分野で、録音に聴かれるペダリングにどの程度の即興的な要素があるのかは分からないが、譜例を示しつつ細かな版の違いを検証するなど、特定のテーマに焦点を当てた著作ならではの内容はとても興味深く、また楽しい。 |
Norris, C. (ed.), Shostakovich: the Man and his Music |
論文集。「弦楽四重奏曲の解釈」「交響曲(第12番まで)」「ピアノ曲」「歌劇」「後期の歌曲」「ショスタコーヴィチとイギリスの作曲家」「政治と音楽言語」「ショスタコーヴィチと政治体制」といった論文が収録されていて、ショスタコーヴィチをめぐる主要な話題が一通り網羅されている。特に弦楽四重奏曲については、フィッツウィリアムQのメンバーが執筆していることもあって興味を惹くが、今となっては古くささも否めない。 |
Riley, J., Dmitri Shostakovich: A Life in Film |
ショスタコーヴィチが関わった映画の全てについて、そのあらすじとソ連映画史における位置付け、そしてショスタコーヴィチの音楽の内容を丁寧にまとめた好著である。学術的な分析の類はないが、111ページ(本文のみ)という分量ながらも概説のレベルを超えた詳細な記述は圧巻。 |
Roseberry, E., Shostakovich: his Life and Times |
写真が多くて楽しめる。特に当時の社会状勢を象徴するようなデモ隊の写真とか、変装したレーニン(かつらをかぶっている!)の写真などは、見ているとこれがショスタコーヴィチの伝記であることを忘れさせるほどだ。個人的に嬉しかったのは、あのムラデーリの顔写真があったこと。 |
Seroff, V. I., Dmitri Shostakovich: The Life and Background of a Soviet Composer |
ショスタコーヴィチの生前に出版された、世界初の伝記。交響曲第7番までの記述だが、ショスタコーヴィチが結婚する以前の家庭環境について、非常に詳しくまとめられている。母ソフィヤ、姉マリーヤがどのような人物であったのか、そして妹ゾーヤがどのような青春時代を送ったのかが、実に活き活きと描写されていて、どのページも読み飛ばすことができない。音楽的な内容については、今となっては目新しい記述はないものの、伝記的な価値は今なお第一級の資料である。 |
Tishchenko, B. I., Letters of Dmitri Dmitriyevich Schostakovich to Boris Tishchenko with the addressee's commentaries |
弟子の作曲家ティーシチェンコとの書簡集(1963〜1975年)。ショスタコーヴィチ晩年の貴重な資料である。かつて季刊誌「ExMusica」で邦訳紹介されたこともあった。 |
Volkov, S., Die Memoiren des Dmitrij Schostakowitsch |
『証言』のドイツ語版。ロシア語原文からの訳出である。 |
Volkov, S., Shostakovich and Stalin |
扱おうとしているテーマそのものは興味深いのだが、皇帝ニコライ1世とプーシキンとの関係や同時代の文学者なども取り上げて、より広範な文化論的な体裁を整えただけの内容には、基本的に『証言』の焼き直し以上の価値は認められない。 |
Wilson, E., SHOSTAKOVICH A Life Remembered |
著者のウィルソンは、ロストロポーヴィチのチェロの愛弟子。ショスタコーヴィチゆかりの人々に対するインタビューや寄稿を中心にまとめられている。興味深いエピソードが数多くあり、一読の価値がある。ただし、この本にはロストロポーヴィチが良しと思わない人物(例えばバルシャーイ、ロジデーストヴェンスキイ、オーイストラフ他)についての記述が極めて乏しく、逆にロストロポーヴィチ絡みのエピソードが膨大に大きいことから、グリークマン書簡であまり良く書かれなかったロストロポーヴィチの名誉挽回を図る意図が込められているとの指摘もある。 |
Dmitri Shostakovich |
DSCH社の作品全集で初めて出版される作品も含めた、ショスタコーヴィチの全作品についての最新の楽曲データ集である。コンパクトでありながらも、情報量はヒュームのカタログに準ずる。レイアウトや各種の索引は、非常に見やすい。 |
The Golden Age, The Authorized Bolshoi Ballet Book |
1982年版『黄金時代』の写真集。ショスタコーヴィチとバレエ音楽との関わりなどについての記述も多く、非常に参考になる。 |
Дмитрий Шостакович: Исследования и материалы. Вып. 1 |
Дмитрий Шостакович: Исследования и материалы. Вып. 2 |
Дворниченко, О. И., Москва Кремль Шостаковичу |
Дигонская, О., Копытова, Г., Дмитрий Шостакович. Нотографический справочник. Вып. 1 |
Домбровская, О. (сост.), Дмитрий Шостакович. Страницы жизни в фотография |
本文は206ページで、掲載されている写真は348枚。編者の序文によると約半数が初公開の写真ということだが、ChandosのDVD/CD-ROMに収録されている写真も多く、また全てにショスタコーヴィチが写っているわけではないので、見たことのない写真に圧倒されるといった感じではない。ただ、編年体に整理された全体の構成は読み応えがあり、写真の説明文(露・英)の情報量はなかなかのものである。評伝の類の代わりにすることはできないが、逆に評伝ではよく伝わらない雰囲気のようなものが全編に満ちており、ショスタコーヴィチ・ファンならば書棚に鎮座させておきたい、宝物のような書籍といってよいだろう。 |
Рахманова, М. П. (сост.), Шостакович - Urtext |
Хентова, С. М., Шостакович - Пианист |
ショスタコーヴィチのピアニストとしての経歴を辿ったもの。巻末には1958年までに行なわれた演奏会のリストが掲載されている。 |
Хентова, С. М., Шостакович в Петрограде - Ленинграде |
「ペトログラード=レニングラードのショスタコーヴィチ」 |
Хентова, С. М., Молодые годы Шостаковича, Книга вторая |
全4巻から構成される評伝集の第2巻。写真等の資料の貴重さは傑出している。 |
Хентова, С. М., Шостакович: Жизнь и Творчество, Том 1 |
「ショスタコーヴィチ:生涯と創作」と題された、ヘーントヴァの集大成とでも言うべき2巻本の評伝。第1巻では、1808〜1941年(大祖国戦争前)までが扱われている。様々な問題点も指摘されているが、ショスタコーヴィチ研究における基本文献としての位置は揺らがないだろう。 |
Хентова, С. М., Шостакович: Жизнь и Творчество, Том 2 |
「ショスタコーヴィチ:生涯と創作」と題された、ヘーントヴァの集大成とでも言うべき2巻本の評伝。第2巻では、1941(大祖国戦争開戦後)〜1975年までが扱われている。 |
Хентова, С. М., Пушкин в Музыке Шостаковича |
初期の歌劇「ジプシー」、「坊主とその下男バルダの物語」、作品46、91、128、歌劇「ボリース・ゴドゥノーフ」の編曲などについて、詳述されている。 |
Русские народные песни, собранные Николаем Львовым, положенные на музыку Иваном Прачем и опубликованные в 1790-1806 гг. |
「リヴォーフ・プラーチの民謡集」第2版(1806年)。 |
Last Modified 2022.11.10